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2011年12月





じゃあね。


12.31
年末も年始もカンケーねえ。めんどくせえ。



『斬首刀』を書くにあたって、試みたことのひとつは対比である。
青い天狗と赤い天狗。
赤い毛並みの小四郎と、目が青く光る田中愿蔵。
雷太と風子。愿蔵とモグラ。
戦争と平和。戦士と農民。

どちらかに偏った物語は一般受けするかもしれない。
でも、正義はどこにあるのかを考えたとき、
いくら物語だとはいえ、一方に肩入れする気にはならないのだ。
唯一正しい者がいたとすれば、
おとうとの木に登場するアキオくらいだろう。
オレはあの作品で、『一度も殺したことのない人間』を、物語の中心に据えた。
『新しい人間』を書くのは小説の最も大きな眼目のひとつだと考えている。
しかし、残念ながらオレの狙いが評価されたとは言い難い。

『斬首刀』はオレにしては登場人物の多い作品だった。
そのために苦労も多かったが、それぞれを魅力的に描けたと思っている。
また、いわゆるベタな展開もあって苦しい執筆だった。
ベタな場面を書くのは難しい。
ベタな場面とは、つまり肝心な場面のことである。
物語の正面といってもいいかもしれない。
それを逃げずに書くことが、つまり小説を書くことのひとつなのだと思っている。
だから難しいのは当たり前のことなのだが。

仁神町はオレの住む北関東の田舎町がモデルである。
風来山は、その只中にある実在の小さな山をイメージしている。
『化身』に収録されている『雷魚』という作品に雷神山というのがあるけれども、それと同じ山だ。
ただ、風来山でもなければ雷神山という名称でもない。

ところで雷神山(らいじんやま)という名の山はオレの生まれ故郷に実在する。
山というよりは丘と呼んだ方がいいくらいの小さな山で、
子供の頃、帰省する度に登って遊んだものだった。
北日本文学賞で批評を貰った作品『夏のきらら』のラストの舞台に使ったのがそれである。
あれは、オレの小説が初めて評価された作品だった。
だから、この山はオレがどこにいてもオレの中にある山なのかもしれない。

『化身』『おとうとの木』『斬首刀』と、違ったタイプの作品を三作上梓して、
ひとまずデビュー後の仕事としてひと区切りついたような気がする。

次に書くべき作品は胸中にある。
しかし、それがオレにとってどんな位置を占めるのか、
何を意味するのかはまだ分からない。


オレの作品を読んで下さった全ての人に、
ひとまず篤く御礼申し上げます。





12.30
年末年始は好きになれない。実業の仕事はストップするし、儀礼が満足にできるほどゆとりがないからだ。でも、何より嫌なのは否応なく新しい一年のことを思わされることである。新年にあたって夢だの希望だのがあったのはもう遥か昔のことだ。この十数年。未来にあるのは絶望ばかりだ。
大袈裟だと思われるかもしれない。しかし、これだけやっても開けない未来に何の期待が持てるというのだ。この沈みきった人生を浮上させるために、オレはやるべきことは全てやったつもりだ。趣味は全て仕事に変えた。ウェアーブランドを立ち上げ、ネット販売に手を出し、挙句小説で飯を食おうとした。しかしどれも成功したとは言い難い。
自営業を始めて以来、たぶん人の何倍も働いた。人がするような遊びは一切しなかった。いやできなかった。それどころか人付き合いだって満足にできなかった。酒を飲みに行くなんてとんでもない。葬式の香典だって借金で賄うのだ。信じて貰えないかもしれないが、煙草を買う金が無くて吸うのを止めた。車検代が払えなくて車を処分したこともある。このド田舎に住んでいてだ。自分の病気でまともに病院に掛ったこともない。朝7時から夜11時までひたすら働いてきた。土曜や祝日に休んだことは一度もないといっていい。連休を取るのは正月だけだ。それだって好きで休むのではない。全ての時間を仕事に費やし、それでもうまくいかず、やがて一発逆転を狙って小説を書くようになった。文学賞を二度受賞した。本を三冊出版した。で、何が変わったかというと、何も変わりはしない。
もううんざりだというのが正直な感想だ。オレの作風でベストセラーが出せるはずがない。売れなければ文学賞の候補にも上がらないだろう。謎解きがうんたらなんて書けるもんか、馬鹿馬鹿しい。で、実業の仕事に戻ろうと思った途端、こっちの仕事も激減したという訳だ。
それでもオレはまだマシな方なのだろう。だが、そんなことに何の意味がある。オレより不幸な人間がいたからといってオレの人生が輝く訳ではないのだ。









12.28
実業の仕事がなくて今日も遊び。貧乏ヒマなしがウリだったのに・・・。
♪どうしたんだ!Hey Hey Baby! バッテリーが切れそうだぜ。



年賀状をポストにポスっと入れた帰り道。
春の小川はさらさら流る。
岸に佇むオレは昭和枯れススキだな。







12.27
つくばのチャイハネでガネーシャ様の壁掛け発見。
さっそく、いやちょっと迷って、ホントはかなり迷って購入。



これはいいぜ!







12.25
つくばに行った。



TXつくば駅周辺



図書館



オレの本が三冊並んでいた。



中庭を眺めながらキリスト教関係の本を読む。
眠い。



隣駅にあるiiasでは今年もクリスマスツリーがたくさん飾られていた。

来年は『ふるさと怪談』がつくばで開催されるだろう。
壇上に登るかどうかは分からないが、
会場にはいくつもりでいる。






12.24
実業の仕事が無い。困った。で、今日は小説でも書こうと思っている。
新作に取り掛かりたい気持ちはある。でも、まだ筆を執るには熟成が足りないような気がするし、第一プロットにOKが出ていない。そこで、八割ほど書いて放ってある短編『オロチザクラ』を仕上げようと考えたのだが、新作の前に違う作品を書けば、気持ちがそちらに流れるだろう。さて、どうしたものか。いっそのこと遊びにでも行くか?



隣市にある酒蔵の煉瓦塀。
塀の内側に立ち並ぶ酒蔵も震災で大きな被害を受けている。
もともと、厳しい経営状況なのだろう。
修繕する様子もなく、それどころか敷地の一部を更地にして、
コンビニエンスストアの建設が始まった。
こうしてまたひとつ、この街は色を失い、
経済的貧困から文化的貧困へと傾斜を強めるのだ。









12.23
遥か南の島からコンゴウインコがクリスマスリースを運んできた。さっそくデスクの前に飾ってみる。おお! いいじゃないか。風水でも鳥は吉運を運んでくるという。ホラ大の正賞の時計と三冊の著書の上。きっと更なる運を運んできてくれるに違いない。うん!



コンゴウインコはいかにもオウムに見えるけれども、
分類上はインコ科に属する。
で、オカメインコは世界最小のオウムである。
ややこしい。






12.22
半年は長かったのか短かったのか。♪半年前だとちと分からねえな♪
記憶というのは曖昧なもので、久し振りに聴いてみたら半年前は『辞めたはず』だった。で、オレの半年前はどうだったかというと、『斬首刀』の推敲をしていたらしい。よく覚えていない。
記憶力が減衰している。町内の集まりの日時を毎回忘れて、気が付くと終わっていることが何度も続いている。痴呆にはまだ早く、アルツハイマーかもしれないと思いつつ、あるいは脳のどこかに腫瘍でもあるのかもしれない。いや、半年先もオレは生き延びているだろうかと、その心配ばかりで、過去のことを考えるゆとりがないのだ。
で、半年は長かったか短かったかというと、記憶がないから長いようでもあり短いようでもある。ただ、振り返るまでもなく、貴重な時間が否応なく流れ去ったのだと思い知らされるのみである。



♪ちょっと前なら覚えちゃいるが

この歌詞を書いたのは阿木燿子。
今は夫で当時付き合っていた?宇崎竜童は、
阿木からこの歌詞を貰ったとき
あまりの常識のなさに呆然としたそうだ。
『ロックの歌詞なのに、最初から言葉がハネている』
つまり『ちょっと』という音には、茶碗を箸で叩きながら歌う、
音頭のような曲しか付けられないというのである。
聞いたときにはナルホドと思ったものだった。
でも、せっかくの歌詞を無駄にする訳にもいかず、
スタジオでギターを弾きながら歌詞を声に出して繰り返し読んでいたところ、
『このままでいいじゃん』となって、この名曲だ生まれたそうだ。
もうダメだと思ってからが勝負なのだと改めて思う次第。







12.21
プロットの締め切りが近付いている。なのに全然やる気が起きない。頼むぜオレ。



うんざりする。
生きてるのが不思議なくらいだ。

近頃は血圧も計ってないけど、
きっと上がってるんだろうなあ。
ヒデキもノーコーソクだというし、オレも・・・






12.20
怪談専門誌『幽』を購入した。東雅夫編集長には、別の雑誌だけれども以前書評を頂いたこともあるし、一応ホラー小説家だし、BK-1怪談大賞も発表されたし、何よりネットの知り合いである丸山政也氏が『もうひとりのダイアナ』にて、同誌主催の『怪談実話コンテスト大賞』を受賞したからである。全文掲載されている受賞作はまだ読んでいないが、素晴らしい出来であるに違いない。
文体や考え方がオレに似ているような気がして、氏には以前から注目していた。いわゆる書ける人だとも思っていた。しかし、これほど早く結果を出すとは思わなかった。やはり賞は獲るべきときに獲っておくものだと改めて思う。氏はまだ先に行くだろう。これで終わりだとはとても思えない。



ランちゃん。
ハッピーパパがいい加減なので、ひとりで三羽の子を育てました。
タレ目と、冠羽の後にある寝癖のような羽がチャームポイント。







12.19
幕張メッセで催された『ジャンプ・フェスタ』に行った。



近頃はマンガもサッパリだし
人混みの嫌いなオレはさっさと会場を抜けて海へ行く。



5.000円で買った愛車。



正真正銘『ウミネコ』



富士山が見えると得した気分になる。



浜では高校球児がトレーニングをしていた。
釣り人は少ない。



まだ、震災のキズがあちこちに見られた。
とてつもなく巨大な地震だったのだと改めて思う。



入場無料なので再び会場へ。
ナルトの影分身が一番面白かったような気がする。







12.17
色々なひとのブログを楽しみに読ませて貰っている。
驚くのはその文章の質と量である。たとえば東北の官能作家や、電子書籍作家のそれは、そりゃプロだから当然かもしれないが、見事な筆至で、時に軽く時に重く綴られる生活の一端は興味深く、幅と奥行きがあって素晴らしい。きっとエッセイの仕事がきても困ることはないだろう。他にも幾つか訪れるブログがあるが、そのどれも見事な文章が並んでいて、いつも楽しませて貰っている。たとえば、大きな山の麓に住む彼女や、南の島のあの人や、北の都のあの人。ホッカイドーのねえちゃんはちと系統が違うか・・・。それに大阪の心の恋人のブログ(まだお休みのようだけど)などなど。
また同じ郷里を持つ美人さんのメールや、ツイッターで知り合ったひとたちのDMも同じで、いつも感心することしきりである。どうして、皆ああも破綻のない、軽妙かつ的確な文章が素早く書けるのだろう。
ちなみに、オレはこの文章を書くのに朝から小一時間、あーでもないこーでもないと格闘している。ちょっと気を抜くと文章が乱れるし、アップしてからも誤字脱字の修正を何度することか・・・。
オレには文才がないのだと、努力のひとなのだと改めて思った次第。自分で言うのもナンだけど。



『冬知らず』が、霜に覆われながら、
それでも花を咲かせようとしている。
月並みだけど、オレもちっとは頑張るか。






12.16
オレの住む北関東の田舎町は、毎年皇室に柿を献上している。町の名に柿が付くくらいだから古くからの産地なのだろう。献上するのは富有柿という品種である。先日、宮内庁と東宮御所に担当者が納めたそうだ。
近所に来春から陛下の侍従となる青年がいる。ひとり赤坂の寮に入り宮内庁へ通うというが、毎年この季節に届けられる献上柿に、いつか故郷を思う日がくることだろう。望郷というには贅沢な気がするが。



ハルさん。弟さんの結婚式、無事に終わったようですね。
おめでとうございます!






12.15
昨夜はインコと一緒に寝た。電気を消すと、ベッドの手すりの端に行ったから、その下にティッシュを置いたのに、昨夜は違う所で寝たようだ。迷惑この上ない。その上、外が明るくなると同時に人の頭に乗ってきた。オレはまだ眠いんだよ。知らん顔していたら寝坊してしまった。



末っ子のリン。
カメラが怖くて冠羽が立ちっ放し。
いい加減慣れろよ。





12.14
今朝も寒かった。オレの住む執筆棟のリビングの寒暖計も近いうちに0度を示すだろう。オレは隣の部屋で寝ているのだけれども、気温が下がって気になるのはリビングで暮らすトリ達のことだ。もうどれも成鳥だから大丈夫だとは思うがやはり心配なのである。目が覚めるとベッドに中から『リン!』と呼びかける。返事がない。まだ眠っているのだ。次に『ハッピー!』と呼ぶ。『ピイ』と眠そうな返事。やれやれ一安心だ。



これがハッピー。まだ眠い。




12.13
オレの生まれ故郷にあるこの釣り掘りに行ったのは去年の夏のことだった。別にそこを目指して行った訳ではなく、通り道にあったもので、たまたま立ち寄ったのである。でも、着いてみると池の様子に見覚えがある。まだ小さかった頃、叔父に連れられて一度だけ訪れたことがあったのだ。澄んだ水面を通してたくさんのニジマスが泳いでいるのを見ながら、当時のことを懐かしく思い出したものだった。
その釣り掘りでアルバイトをしていたという方と、先日ネットで知り合いになった。聞けば近所に住んでいたのだという。縁というのは不思議なものだ。



ニジマスの他にチョウザメも飼育していたけど、
やがて福島県産のキャビアを食べられる日が来るのだろうか。



ビールとニジマスの塩焼きは最高。
でも、もし食えるのなら、シャンパンとキャビアの方がいい。






12.12
朝、家を出て一軒隣りにある母屋までとぼとぼ歩く。あたりは霜で一面真っ白。寒くてイヤになる。気温だけじゃなくて、実業の仕事も、小説の仕事もまるで氷点下だ。



もっともっと働けないものだろうか。
二十四時間戦えますか? というCMがあったけど、
厳しい状況のときこそ頑張らなくてはならないというのに、
なぜだかまるで気力が湧かない。
このままでは不戦敗だな。






12.11
プロット進行中。メインアイデアは一応これでいいだろう。あとはそのヤマに向かってどのように道筋を立てるかということ。登場人物、エピソード、場所、時間軸、小物など。枝道、曲がり道を用意し、でも最終的にはきちんと目的地に誘導する。
難しいのは因果関係。必然が過ぎれば遊び心に欠け、偶然が過ぎればご都合主義に陥る。過去の作品との類似もできるだけ避けたい。
はっきりいって絶望的に難しい。



迷いに迷って掲示板を設置した。
だってオレはロクデナシだからね。
おかしなことを口走らないように
だから期間はより短く。








12.10
北関東の田舎町。今朝は初氷が張った。



今夜は皆既月食だという。
飲まずに見たいものだ。





12.9
また小説を書くことになった。それで、半分ほど出来ているプロットをいつも考えているのだが、ちっともアイデアが出ない。いや出ないというより、まだそのことが脳味噌を埋め尽くすに至らないという状況だ。『斬首刀』の残像もあるし、しばらく小説はお休みしようと思っていたことにも原因がある。それでも、実際にプロットを書き始めれば、いつものように身体の隅々まで小説世界に満たされることになるだろう。ただ、今はまだそういう状況になるのを怠惰な意識が邪魔しているのである。
4作目を書くということは、プロとして合格点を貰ったということなのかもしれない。もちろん次の作品の出来が悪ければそれで終わり、という崖っぷちであることには違いない。一年契約のプロ野球選手みたいなもんだ。正直そうまでして書く必要があるのかと思わないでもない。でも、オレはやはり今回も書くだろう。



今日は雪混じりの雨。







12.8
素振りを始めてひと月半くらいになるだろうか。回数を20本増やして120本にした。毎朝ぎっくり腰を発症しそうになるから、きっと疲労が溜まっているのだろう。『剣道の怪我は剣道で治す』知り合いの剣道人がいっていた。でも、そういう精神主義は身体を壊す元凶になりかねないから気を付けた方がいい。剣道をしたことのないオレがいうのもナンだけど。



庭は冬枯れ。
株も売り枯れになって高騰しないかな。





12.7
酒ばかり飲んでいる。とはいえ強くないから量は飲めない。ただ、いつだって飲んでいたいクチで、夕方になると我慢できずに近所の農協の直売所に行ってビールを買ってしまう。最近は飲んでいるうちに腹いっぱいになって、米を喰わずに寝てしまう。そのため朝から腹が減って仕方がない。普段は朝飯を喰わないけど、今朝は我慢できずに一杯だけ喰った。今年の米は妙に美味い。知り合いの農家から一年分を直接買っていおり、更に去年の夏ころから週一ペースで自家精米しているのが良いのかもしれない。



来年は酒を止めたい。
飲んでいては小説が書けそうもないから。

しかし、どうでもいいブログだな。






12.6
近所に住む知り合いの長男は高校三年生。宮内庁に侍従職として採用が決まったという。皇居で陛下にお仕えするそうだ。来年の春から赤坂の独身寮で一人暮らしを始めるらしい。世の中には珍しい仕事があるものだ。その上、皇居だの赤坂だの羨ましいと僻みつつ、是非頑張って貰いたいと思っている。



向かって左奥、雲に隠れているのが筑波山で、
手前右にある低い山が富士山と書いて『ふじやま』
オレの住む北関東の田舎町のほぼ中央にある小さな山。
名前を変えて何度か小説で使わせて貰った。
作品内ではもう少し神秘的な印象だが。





12.5
日曜日の午後はだいたいつくばのiiasにいる。電機屋でマッサージチェアに乗り、ゲーセンで散財し、ペットショップでヨウムに話かけ、すれ違う女の子を眺めるのだ。もっとも昨日は『斬首刀』を買うために本屋にも立ち寄った。献本するのに見本だけでは足りなくなったのである。店頭に平積みになっているのを期待していたのに、奥の棚に三冊差してあるだけだった。なるほど売れない作家の扱いとはこういうことか。これでは表紙で買って貰うことも期待できないと、いささかがっかりして屋上へ。風の強い日で南西には富士山、北西には日光連山の男体山、そして北にはもちろん筑波山が見える。カメラがブレるほどの風に、ふと子供のころに吹いていたカラッ風を思い出した。空き地で遊んでいたのはつい昨日のことのようだが、いつの間にか今は昔となってしまった。













12.3
へへへ、プレゼント貰った。それも可愛い女の子から。オレも隅に置けねえぜ。



『李白一斗詩百篇』
杜甫はいう。
李白は酒を一斗飲む度に百編の詩を作ると。
オレはこの酒をくれた酒豪の美女にパクリの詩を贈る。
一斗は飲み過ぎだし百編は書き過ぎだから・・・

○○ちゃんワイン一本詩十編
銀座のバーに眠る
編集が迎えに来ても車に乗らず
自ら称すバッカスの娘と






12.2
『北日本文学賞』の一次選考が発表になった。文学賞関係者に批評を貰ったのはこの賞が初めてだった。最終選考には残れなかったが、当時は自分の書いているものが小説といえるかどうかもわからなかったから、それなりに認められたという事実は大いに自信になったものだった。
今年も知った名前がいくつも見られる。1415編の応募の中から残ったのは472編。1/3といえば通りやすそうに思えるけれども、これが結構難しい。しかも今年からはひとり一作の応募に限るという。オレは毎回一作づつ、4〜5回応募したが、選考をクリアしたのは上記の一作だけで、残りは全て一次落選だった。
一度それなりの結果を出したから気が抜けたのだろう。オレはムラっ気があり、出来不出来がはっきりするタイプなのだ。もっともプロとなった今ではそんなことはなく、依頼された仕事はいつだってそれ以上のクオリティでやり遂げているつもりだ。頼まれると我然やる気が出るタイプでもあるのだ。
北日本文学賞に限らず、どの賞でも毎回それなりの結果を出す人がいる。一か八かの博打人生を送っているオレには羨ましい限りだ。でも『それなりに書けている』という評価は実際厳しいものだろう。文学にとって最も大事な個性が足りないということにも繋がるのだから。
プロになるために必要なのは、80点の出来の小説を十作並べることではない。たった一作突き抜けた作品をモノできるかどうか。それに尽きるのだ。もちろん、プロになってからは更にその作品の上を行く努力が求められる。しかし、その突き抜けた一作が歴史に残るような一作であれば、それきり筆を折ってもいいのかもしれない。
生まれてきた意味を知るような一作。それがデビュー作であろうと、絶筆であろうと、そんな作品を目指さなければ、書いている意味はないのだとオレは思っている。



北関東の田舎町。
今朝の山は雪でほんのり白い。
『青山に雪降り積もれば冬暖かし』という。
本当だろうか?






12.1
『斬首刀』が発売になった。



色々思う所はあるけれども、
この混迷の時代に、
田中愿蔵という男を世に送り出せたことを、
オレは誇りに思っている。





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