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2011年6月
6.1 『ほう、小説家か。辛気臭い仕事だな』 受賞を知らせたときの、父親の第一声。ま、確かに辛気臭い。地味で、暗くて、つまらなくて、面倒で、そんな仕事だと思う。だから、もしなれるのだったら、オレは今でもロックスターの方がいい。 大船観音に、若い頃に父親が制作した作品があったことを思い出して、調べてみたら、今でもあるようだ。原爆記念碑である爆心地の石を乗せたソリと、台座のレリーフ。オレは家にあった石膏の型の方をよく覚えている。 昨日しばらくぶりに電話をした。二年前に脳出血で倒れて以来、頑張ってリハビリしていたというが、ついに創作は諦めたそうだ。まあ、三代目をオレが継いだのだからもういいだろう。 できればもうちょっと本を売って、小さな美術館でも建てたいものだ。祖父の歌集も出版するのも本来オレの仕事なのだろう。 |
6.2 K談社より返信あり。 『この度の人事異動により文芸部を離れることになりました』 書き下ろしの話は白紙かな。しばらく休むのもいいだろう。 国会中継なう。 決断すれば『独裁』といわれ、協調すれば『シーダーシップに欠ける』と叩かれる。 誰がやってもこの国を立て直すのは難しいだろう。 ソーリも大変だ。 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 きっとそうなんだろうね。 それまでは、するべきことをすればいいのだろう。 |
6.3 このつまらないブログにリンクを貼ってくださった方がいる。ありがたき幸せ。世間は早くもオレの存在など忘れかけているようだし、自分のポジションも、なんとなく落ち着くところに落ち着いたようだ。そこで、少しは露出してもいいかな、などと思い始めている。暴言を吐くのもいい加減止めるつもりだし。(ホントかな?) 『てのひら怪談 辛卯 ビーケーワン怪談大賞傑作選』 ポプラ文庫 800字の掌編。拙作も掲載されました。 |
6.4 大前研一氏が読み解く現在の日本の経済状況。いかにオレが終わっているのか、よく分かって興味深い。 |
6.6 『一番身近な自然は自分の肉体なのだ』 『精神はほとんど全て言葉で成り立っている。だから情緒に根差した言葉ばかりに寄りかかっているうちに・・・』 時折ヘンなこともいうし、矛盾もあるけど、やはり丸山健二氏の言葉には、はっとさせられることが多い。 『Aujourd'hui, maman est morte』 カミュ 母の死は文明の死であり、この世の死だという。フランスは現在カミュの時代に戻ったと言われているそうだ。 日本が日本経済の死を自認したとき、いったいどの時代に戻るだろうか。全てを捨て去り、経済発展することだけに注力してきた国には、戻るべき時代すら残されていないような気がする。 |
6.8 先の震災で、それまで使っていた『ふくろう』の貯金箱が落下。いくらふくろうでも、陶器では飛べないようで、残念ながら粉々に砕け散ってしまった。おりしも銀行員が来ていて、借金の借用書にサインしている最中の話。 また貯金箱を用意しなければと探していたら、ちょっと眼つきの悪いゾウさん発見。でも、背中の穴が少し小さいような気がする。生憎500円玉を持っていなかったもので店員に尋ねると、可愛らしいおねえちゃんが、レジを開けてくれた。『あれっ?入りませんね』オレもまさかと思ったがおねえちゃんもまさかと思ったのだろう。さすがインド製。まあ貧乏なオレは500円玉を入れることもないだろうと、連れ帰った次第。 |
6.9 日曜日に発症したぎっくり腰。だいぶ良くなったがまだ痛い。忙しいだけが取り柄だった実業の仕事もあり得ないほど少なくなった。まったく泣きっ面に蜂だな。カエルのツラにションベンと決め込みたいところだが。 |
6.10 丸山健二氏ですらブログを開設し、また呟いている時代です。ビビってばかりいないで、そろそろ積極的に表に出ようかと思っている次第。 |
6.11 震災から三カ月が過ぎた。あの日の夜、私は久し振りに家族と同じ部屋に布団を並べていた。石油ストーブでお湯を沸かしてカップラーメンを食べた。蝋燭の明かりとラジオの声。狭い部屋は息苦しく、何度も抜け出しては庭に出た。半月だっただろうか。北関東の田舎町。停電。月明かりが青白く地面を照らしていた。何万の人が一度に死に、それを迎えるように無数の星が瞬いていた。もし天に神がいるなら、きっとあの夜、私たちの世界に舞い降りたに違いない。 |
6.13 リンクページのかもめさんの紹介文。大島にあった店を『漁師の息子』と書いたら、『漁師のせがれ、でした』とのメールを貰った。 『・・・でした』という言葉がひときわ寂しく胸に染みる。 |
6.14 実業でお客さんの依頼を断ったら怒られてしまった。でもね、他社のブランドマークを一部変える(つまり改ざん)のは絶対にダメだよ。申し訳ないけど、そういうことをするお客さんの仕事はできない。 ネットでも掲示板やブログに歌詞を全文書き込んだり、エッセイや小説の一部を、引用の範囲を超えて掲載したりするひとがいるけど注意が必要だと思う。まあ引用の定義も難しいけどね。オレもひとのことはいえないかもしれない。気をつけよう。 何をやってもうまくいかない。愚痴愚痴愚痴・・・。 ポプラ社の契約書に署名捺印。契約書だの借用書だのを目の前にすると異常に緊張する。イヤだイヤだ。 |
6.15 ツイッターで呟いているんだけど、返信だとか、公式RTだとか、非公式RTだとか、良く分からねえ。オレがヘンなことやっているなと気がついたら、教えて欲しい。『返信』を使うとその相手しか見られないんだな? で、RTを使うと誰でも見られるのか? じゃあ公式、非公式は? 実際に書くときはどこにRTとか付けるんだ? あーーー面倒くせえ。 オレは本来ネジまわしで分解できないものはキライなんだ。 おお! オレの人物相関関係はこのようになっていたのか! 知らなかった・・・というより、ひとりも知らない。誰? この人たち。 |
6.16 脳科学者の茂木健一郎氏にツイッターで喧嘩を売ってしまった。まあ、向こうは気が付きもしないだろうけど。 氏には30万人のフォロワーがいる。被災した人たちも見ているだろう。『国破山河在』とはカタハラ痛い。そんなもので何とかなるなら苦労はない。必要なのは家であり仕事であり金だろう。杜甫だって、『草木深い春』を目にして故郷を思い出し、農作業が本格化する季節が来たと思ったのだ。杜甫のいう『山河』とは、しっかりした生活基盤の存在を意味している。だから『家書万金にあたる』のだ。戦争に負けても我々には耕すべき大地があるという意味だ。 ひるがえって、日本の里山はどうだ。四十年以上前から、そのような機能は失われているではないか。今の里山は我々が帰るべき場所ではない。ただの風景ならテレビでも見ていればいい。悪いがこの国の現状に『国破山河在』はインテリの感傷に過ぎない。 生活保護者が200万人を突破したという、山河があればナントカなるなら、生活保護者もホームレスもいなくなるだろう。もちろんオレだってそうしたい。多くの人にとってこの国は、『帰らんと欲すれども道因るなし』だ。 @kenichiromogi 「国破山河在」。杜甫はそう詠んだ。私たちは失敗したといっても、全てを失ったわけではない。自然と人の営みが調和した里山があり、「みんな違ってみんないい」の多様性があり、魅力的な食の文化がある。私たちにとっての「山河在」。そこに立ち戻って元気を取り戻そう。 @miyanogawa_ken そうでしょうか?山で飯は食えません。河はもっと食えません。里山の農業にも未来はありません。都市で失敗した者が里に帰ってやり直せるほど、現状は甘くありません。金が全てのこの国で、生活できない山河など、在って無きが如しだと思います。 茂木氏はそれぞれの所に帰ってやり直そうといっているのだろう。でもね、田舎町に住む者として、『自然と人の営みが調和した里山』なんてお気楽なことを言われると、どうしてもイラっとくるんだ。 さわちゃんのティールーム:21回 ギャップ・イヤーを広めよう! 「日本の大学の頂点にある東京大学が率先してギャップ・イヤーを学生に義務付けるぐらいしないとダメだ」という発言も飛び出した。 トップ校が変われば、他校も変化するのではないかという発想だ。 頂点の大学ね。トップね。 大層な選民意識で結構毛だらけ。 義務化して『自由人』を育てようなんて、ちゃんちゃらおかしい。 官僚にでもなることを薦める。 |
6.17 長編小説が間もなく終わる。気が付くと一年が過ぎていた。編集がどう評価するか分からないけど、次に予定していた講談社は、担当が部署替えになって以来何の連絡もないから、ひとまず小説の仕事も一段落することになりそうだ。 ちょっと疲れたから、それならそれでいい。そう思って実業の仕事に精を出そうと考えていたら、これが予期せぬ過度の業績不振ときた。株でナントカしようと思えば震災で大暴落だし。 再び崖っぷち。昨日は乱歩賞にでも応募しようかと、やや本気で考えた次第。まあ、そんな作品が書けるのなら、持ち込んだ方が確実だろうけど。 今月号の野生時代に大沢在昌氏の小説講座が載っていて、そこにこう書いてあった。『出版市場は三十年前の三分の一になった』『リーマンショック以来、本の売れ行きはガクンと落ちた』 リーマンショックは2008年9月。化身が発売されたのが2009年10月。なんだかなあ。 オレはもう疲れてしまって・・・・・・ 大沢在昌氏の小説講座。できるだけ偏差値の高い賞でデビューすること。乱歩、ホラ大、清張。年収500万以下が8割。中には200万以下のひとも。 年収200万稼ぐって普通無理だと思う。 初版部数。30年前は最低10万部だったと聞いたことがある。今は4000部 このサイトを誰が見ているのか知らないけど、デビューしたら気を付けた方がいい。 |
6.18 ネットに何人かの知り合いができたのは、僅かこの2、3年のことだ。にもかかわらず、彼らに次々と不幸が降りかかるのはどうした訳だろう。彼らと違って、金の心配しかないオレはまったく平和ヤツだ。 |
6.20 長編小説の最終7稿の推敲中。9:00から始めて17:00現在、通読及び朱入れが終了し、これからパソコンに向かって修正作業をする予定。今日中には終わるだろう。 原稿直してたら気持ち悪くなってきた。なう。 18:15 21:00 今終わった。 |
6.21 終わったはずの長編小説の最後の一文。ああでもない、こうでもないとひねくりまわしている。 これが終わったら次の予定はなし。ビーケーワンを書こうかと思いつつ、でもちょっと休んで短編を書くべきだろうね。文芸誌からいつ依頼が来てもいいように。 仕事が無ければ無いで大騒ぎ。来たら来たでやりたくねえ。オレってヤツはどうしようもねえ怠け者のアホだな。 |
6.22 角川書店に原稿の送付完了。今日は夏至。落ち目の始まりなんてことは考えずに、次のステップに入る分水嶺だと捉えることにしよう。 協力してくれたあなたに、心より御礼申し上げます。 ウサギさんが月に帰ってしまってから、どうもツキに見放されてしまったような気がする。日曜日にペットショップでヒマワリのタネを買いながら、もう一度ウサギさん飼ってみようかと思ったけど、オカメインコが5羽も居て、玄関が開く音を聞いただけで一斉にピイピイ鳴くようでは、到底無理だ。今朝はうっかりケージに毛布を掛け忘れたもので、日が昇るのと同時に大騒ぎ。近所迷惑も甚だしい。 |
6.23 角川書店よりメールあり。どうやらまだ首の皮一枚で繋がっているらしい。首の皮に血管や神経が通っているかどうかは別問題だが。 |
6.24 オレは気が小さくてクヨクヨするタイプだから、何か失敗したときは、よくこの歌を聞いたものだ。 |
6.25 昨夜22:00頃、仕事場の外壁に何か激しくぶつかる音がした。たぶんカブトムシだろう。窓明かり目掛けて飛んでくることがたまにあるから。どれどれと思って外に出る。センサーライトが自動点灯して、庭が明るくなった。屋根の周囲を取り囲む破風に妙にでかいS字フックがぶら下がっている。こんな所に誰が掛けたのだろう。そう思って近づいて見上げてみたら青大将だった。破風の内側が雀のお宿になっていて夜這いに来たのだ。家に帰ると壁にでっかいゴキブリ。数日前には玄関先に10cmほどのムカデがいたっけ。 蛇を多く見かける年は儲かるような気がする。でも夜に出るのはどうかなあ。この家を買った年の夏。縁の下に蛇がもぐり込んだことがある。気味が悪くて、こんな家に住めるか! アホ! って、すぐさま叩き売ってやろうと思ったものだった。ここ数年の間に少し免疫ができたような気がする。オレが彼岸に一歩近づいたために違いない。 |
6.26 庭の水連鉢にホテイ草の花が咲いた。花が特別な存在だと気付いたのは最近のことだ。そして若い女の子も。 |
6.27 ある経験が、小説となってあふれ出てくるためには、かなりの時間を要するのが一般的だ。期間の目安は、第一に当事者でなくなっていること、第二に一度は記憶から消えていること。 だから死を扱うためには、一度はそれに類似した経験が必要なのかもしれない。肉体的でも、精神的でも、あるいは社会的でも。 |
6.28 お別れは突然やってきて、すぐに済んでしまうものだね。彼女はヒッピーではなかったと思うけど、きっとぼくらを救ってくれるだろう。 |
6.30 もう六月も終わりか。どこかの掲示板でゴロまいていたから、すっかりお留守になっちまった。 執筆用のパソコンの調子が悪い。国産メーカーのヤツはカッコばかり付けいているし、要らないソフトがたくさん入っていて、どうもイマイチだな。このパソコンのキーボードも反応が悪いと思って、今電池を替えたらずいぶん良くなった。 そういえば、漢字変換を題材にとった怪談を読んだ。面白かった。ただ、惜しむらくは会話にシャープさが足りず、説明になっている。『 』内で語るだけでなく、地の文で語ることも覚えればもっと良くなるだろう。 |