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2011年7月



7.1
棚卸なう
。しかしどうしてこんなに疲れるのだろう。正直何もやりたくない。

低く雷鳴が鳴っている。夕立がくるのだろうか。オレの小説には雨が多い。ワンパターンだと言われそうだけど、晴れの場面も風の場面も一応あるのだから、それはそれ、見逃して欲しい。雪はまだ書いていない・・・、いや、ハンザキには雪のシーンがあったっけ。回想だけど。










7.2
 拙作『運河』より、抜粋

 父はぼくが中学生のときに死んだ。ベッドの上、何本もの管に繋がれて、痩せた飼い犬のようになりながら、それでもぼくの行く末を見届けるのだといって、延命治療ともとれる手術を受け入れ、大量の薬を服用し、でもそれが結局家族の負担になっているのだと自分を責めるようになり、やがて憔悴しきって肉体も精神もぼろぼろになって、最期はぼくのことさえわからなくなった挙句に亡くなった。母はそれ以来、おそらくそのことが原因で体調を崩し、またぼくのことを必要以上に気に掛けるようになった。両親はきっと弟を殺したのがぼくだと知っていたはずだ。でもぼく自身はそれに気が付いていないものだから、それで葛藤の末に父はあんな死に方をしたのかもしれない。だとすると、ぼくが殺したのは弟だけではなかったことになる。そんなことがふと頭をよぎる。
 嘘は相手を選ばない。



2008年頃の作品。『運河』でデビューしないで良かった。当時のオレはそう思っていた。でも、今は必ずしもそうとは限らないと考えている。


23:00 ゲラチェックを中止。
自作が駄作に見える原因はふたつ。
事実駄作である。
疲労や焦燥によって読解力が鈍っている。
小説を書く上でもっとも気を付けるべきこと。
よく休むこと。焦らないこと。
ただし、締め切りは7月5日。
無理は禁物だけど、ゆっくりしているヒマもない。
明日の午前中がひとつの勝負だな。










7.4
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この暗い時期にも
いとしい友よ、私のことばを容れよ、
人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
私は決して人生をののしるまい
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≪An die Freunde in schwerer Zeit≫ Hermann Hesse

『魂の言葉はないかもしれない』
オレにこの詩を紹介してくれた友人は、
病床にあって、それでもこの世界を見届けるつもりだという。
『いとしい友』が友人その人なら、
『私』とはオレがなるべきオレのことかもしれない。
魂にとって苦悩であった世界が、
明日恵みとなる可能性があるという。
だとしたら、オレは曲りくねった小道を
無様な姿で進まなければならないだろう。










7.6
睡蓮が咲いた。












7.7
ゲラ送付完了。












7.8
二日目の睡蓮。ピンクが濃くなって、女子大生がOLさんになったような印象。明日は人妻かな。












7.9
良い具合に熟れました。食べ頃です。












7.12
何だかこう、真空地帯に落ち込んだみたいに、ぼんやりしている。受賞以来、常にあった締め切りから解放されたためだろう。本当なら講談社の書き下ろしに入っているはずだったのに、担当編集が部署替えになったために消滅したのだ。残念な気持ちはあるけれども、今は実業の仕事をしながら少し休みたいと思っている。


庭で育てているキュウリの花










7.13
Jet-man。
しかし、世の中には呆れた野郎がいるもんだ。
こういうヤツが何人いるか。その国の文化の高さを量るひとつのモノサシなんだろう。











7.15
地元の人と話をするときは敬語を使わないことにしている。標準語で、しかもそれなりに丁寧に喋っていると、へりくだり過ぎて聞こえるらしく馬鹿にされるのだ。『ぼく』と言ったら、あからさまに失笑されたことが度々あった。そっちがそのつもならオレ様にだって考えがある。なめるんじゃねえ。もともと、言葉は荒い方なのだ。遠慮してるのが分からねえとは恐れ入った。と、いうことで、以来十歳上だろうが、二十歳上だろうが、構わねえから、いつものべらんめえ調で喋っていたら、いつの間にかすっかり態度のデカイヤツになってしまった。方言が使えないのはホント不便だ。


今年ふたつめのつぼみができた。
明日は咲くかな?

何かに似ていると思っていたけど、
緑色のザトウクジラみたいだ。
金魚サイズだけど。









7.15
本当に不発よりいいのか? オレ。




『第9回ビーケーワン怪談大賞』まとめブログ
締め切りまであと5日。
あっという間だね。









7.16
庭のミニトマトが赤くなった。以前はミニトマトとバジルのパスタを昼飯によく作ったけれども、近頃では朝飯の残りを立ったまま食うだけだ。











7.17
去年は一輪しか咲かなかった睡蓮。今年はふたつめの花を咲かせてくれた。オレはそろそろみっつめの花が欲しい。



気仙沼も、神奈川も、大阪も、愛知も、あそこも、あの国も、暑いのだろうか。
ここ、北関東の田舎町はトンボが妙に多い。









7.18
訳あって高校野球を見に行った。かつて炎天下の球場で白球を追う球児を、誰もが戦死した若者に重ねたという。戦後65年を経て、そんな事実も遠ざかろうとしていた今年、再びそれに似た感情が蘇ることだろう。真夏のグラウンドには喪失の記憶が埋まっているのかもしれない。



黒いチンピラ小説家。爽やかさのカケラもなし。











7.19
キュウリとヤマイモ。キュウリは実が生り、ヤマイモは花が咲いてシナモンに似たいい匂いを放っている。花も実もないのはオレだけだ。











7.21
長編小説を書き上げた。途中でエッセイの連載があったり、『鯨塚』を書いたこともあって、一年掛った。初稿に半年、推敲に3カ月くらい費やしただろうか。原稿は出版社に送ってあるけど、何の連絡もない。出版の予定も聞いていない。別にたいして気にもならない。
いつもの通り、7稿で完成稿となった。3稿からは全てプリントアウトして、それを読みながら、あるいは通読してから修正したり、朱と入れたりするので、結果たっぷりと紙を消費することになり、環境に悪いこと甚だしい。
その数はとても少ないけれども、オレの小説を身銭を切って買ってくれるひとがいる。その人のためにもオレは全力を尽くしたい。内容の善し悪しや好き嫌いはいかんともしがたいが、力を尽くすことだけはいつだってできるからだ。そして、そことがギリギリのところでオレが詐欺師にならずに済んでいる理由だと思っている。



明日は両国で取引先のパーティーがある。
午後2:00に家を出る予定。帰宅は深夜になるだろう。











7.22



我が家のオカメインコも小さい時は、こんな↑甘えた声ですり寄ってきたのに、近頃ではすっかり生意気になって、こんな↓顔でオレを見下ろしている。今度ヤキトリにしてやる。










7.23
今日明日は地元の祭礼。でも、オレは今日も仕事。さっき子供神輿の出発を見送ってきた。明日は本神輿だけど、たぶん行かない。











7.24
今日も訳あって高校野球。残念ながら応援していた高校は敗退。試合前の整列と、試合が終わって球場の外。泣いている選手もいたけど、彼が三年生であれば、この先野球を続ける可能性は低いだろう。小学三年生から続けてきたとして約9年。胸中が分かるような気がした。













7.25
野球が終わってから祭礼に参加。オレの住む地区では、去年から本神輿を担ぐようになった。この細い道を通って公民館まで渡御するのは初めてのこと。数百年を経て新しい地区に神様がお出ましになった訳だ。オレはちょっと担いだだけで、後はブラブラ歩き。












7.26
この祭礼のことをエッセイに書いてからやがて一年が経つ。あれからエッセイのオファーはない。ヘタクソだったのだろうか。内心すごく気にしている。


深夜、御仮殿から神社へ帰る神様。



御神輿から降りた神様が、再び社殿の奥に帰ってお祭りはおしまい。










7.27
オレの寝起きしている家のテレビはアナログのままだ。番組のデータも24日正午までしかなく、その通り放送も終了した。まさか本当に終わるとは思わなかった。しばらくは撮り溜めた録画番組を見るつもり。その後は本でも読もう。テレビのない生活を一年間送ったことがあるけど、あれはなかなかいいものだった。












7.29
オレもそろそろ三つ目の花が欲しいと睡蓮に向かって呟いたら、隣のホテイソウが今年三つ目の花を咲かせてくれた。来月から新作に着手したいと考えている。在庫分だけどね。












7.30
ポットを買った。AEONで980円。マグカップ3杯分の容量がある。数時間迷った揚句に買ったのだけど、これはいい。紅茶やコーヒー、麦茶などを入れて、母屋と、工場と、執筆棟兼寝屋の間を、行ったり来たりしている。遠足みたいで楽しい。



ネットで暴言吐きまくり。
オールの編集長がフォローしているのを知っていて、
同社の賞をチマチマしているとか普通いうかね。
呆れてモノもいえない。
でもね、相手は天下の文春だ。
もっともっとでっかくなって貰いたいのさ。
文学村でいい訳ないよね。
しかし、疲れているようだな。オレ。










7.31
もう7月も終わりか・・・。シャレにならねえな。
高校野球を見に行く時は帽子を忘れずに。一回目はひどい目にあった。



映画『釣りキチ三平』のDVDを見る。
『おくりびと』の滝田洋二監督。
原作とは比べるまでもないけど
化身に収録されている拙作『雷魚』にすら及ばない。
予告編を見た時は、それだけで泣きそうだったんだけどなあ。









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