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2011年9月


9.30
昨日は付き添いで皇居に行った。帰宅してしばらくすると突然の朗報。ホラ大を受賞したときも人生にこんなことがあるのだと驚いたものだが、今度はあるいはそれを凌ぐ僥倖かもしれない。まあ、世間にあるそれらに比べればひどく慎ましい僥倖ではあるが。
言うまでもないけど、僥倖を得たのはオレじゃなくてオレに付き添われたヤツね。



ゲラが到着。
かつてない量の鉛筆が入っている。
主に史実と事実の部分の誤表記だ。
好き勝手に書ける純文が羨ましい。
あるいは完全なファンタジー。
オレはいつだってないものねだりなのだ。






9.28
『ごはん』に掲載していた作品が落ちて、他の人への感想もだいたい書き終えた。一ヶ月半くらいだったろうか。感想欄の記載数は90を超えたから、つまり45人の方の感想に返信したことになる。感想返し?もそれなりにしたつもりだ。愉しかったが、正直結構大変でもあった。最後に○○ちゃんの返信を読んでひとまず終わりかな。
明日はゲラが届く予定。これまた忙しくなる。



明日は所用で皇居に行かなくてはならない。
時間厳守。服装注意。緊張する。






9.27
先日の日曜日、行った先のショッピングセンターでミニコンサートを観た。JACRENというそうだ。女の子だとばかり思っていたら兄ーちゃんが出てきたので驚いた。普段は水道屋さんだという。震災の影響でとても忙しいのだといっていた。



二年ぶり2枚目のCDだという。つまり営業だね。
音楽界も厳しいのだろう。一生懸命歌っていた。
オレも彼のように一生懸命書いているだろうか。
そんなことを思わずにいられなかった。









9.26
『斬首刀』の発売は1ヶ月遅れて11月26日になった模様。角川書店のHPがそうなっていた。オレもそれがいいと思う。
実業の仕事がピンチ。このままでは冬を越えられないかもしれない。小説が売れるか? 残念ながら難しいだろう。再び崖っぷち。ちくしょう、おもしれえ。



鳥が飛んでいるようにも見えるのだが。






9.23
曖昧なものを曖昧に表現する(抽象に流れる)のを、僕が避けたいと考えるのは、読者に対して不誠実だと思うからです。書き手は読者と駆け引きをするべきではなく、厳然としてそこにあるべきだと考えます。そして、第一の読者とは書き手自身だと思ってます。

自分を誤魔化してはならない。自分なりに十全に書いたとか、抽象でしか表現のしようがないのだとか、これが自分のスタイルだとか、それが事実なら構わないが、本当にそうなのだろうか?
突き詰めて考えるのが面倒で抽象に逃げてないか。自分に言い訳をしてないか。読者に虫の良い期待をしてないか。いつだって疑っている必要がある。
読者と駆け引きをしてはならない、とオレは書いたが、第一の読者とは即ち自分である。書き手が自分と駆け引きをするというのは、つまり鏡の中の自分に向かって『私ってきれいでしょ』『オレは才能あるよね』などと、呟くのと同じなのだ。
鏡の中の自分を他人として扱い、きちんと左右を反転することも忘れず、後頭部にまで思いを馳せ、その薄汚い顔の裏の裏まできちんと見る。それが、自分を含めた読み手に、作品を通して何かを伝える第一歩なのだと思う。
大事なのは伝えること。自分に対して、また読者に対して。伝わらない表現に価値はない。伝わらなければ無いと同じなのだ。
もっとも自慰を見せたいというなら止めはしない。そんなことが好きな読者もいるだろう。

とまあ、そんなことを思ったりする訳だ。オレ様は・・・。



つくばのイーアスから夕方西の空。






9.22
妙に忙しい。もちろん小説以外の仕事や雑用で。それで儲かればいいけど、これが忙しいだけときたもんだ。台風で家の裏に設けた自作のフェンスが全倒壊。もともとボロボロだったけどついにという感じ。撤去するのもめんどくせえ。何をするのもめんどくせえ。ナマケモノは何をやってもダメだという見本だな。



ムカゴ飯にした。美味かった。






9.20
『斬首刀』の出版がいきなり決まった。問題はゲラがいつ来るかということ。10月26日発売はかなり厳しいというのがオレの感想。だからそれまでに手持ちの原稿で一度通し読みをしておこうと思っている。
『斬首刀』を脱稿したのが6月末、それからちょっと休もうかと思っていたら文庫版『化身』のゲラが来て、それも何とか終わったから、またまた少し休もうと思っていたら『斬首刀』。オレは休むこととビール風味のアルコール飲料を飲むことだけに熱心なのだ。



坂東太郎(利根川)





9.19
昨日は訳あって女子大生とお話する機会があった。教育学部の3年生。はきはきとした受け答えもさわやかな美人さんだった。理科の先生を目指しているという。是非夢を叶えて貰いたいものだ。それにしても、黒のタイトスカートに白いブラウスは眩し過ぎ。



つくばのiiasから富士山が見えた。
この時期にしては珍しい。





9.15
草葉の陰に巨大キュウリ発見。気が付かないものだね。もやは妖怪だな。



『化身』を読んだ口の悪い友人がいった。
『何だよこれ、文学じゃん。文学なんて面白くねえよ』
でも彼はこうもいった。
『おとうとの木はいいね。あれは面白いよ』






9.15
印税の通知が届いた。少ないのは承知の上で、むしろ思ったよりは多かったという印象がある。ただ、これではうまくいっても年内暮すのがやっとだろう。オレが専業主婦だったらどんなにいいだろうと思わずにはいられない。こんな仕事で家族を養うのなんて普通じゃない。








9.14
かもめさんのブログで、広大な砂浜が地震によって消失したと知った。
そして、今日、被災者の家族が綴っているブログで、『なにもなくなった町』で悪が横行しているとあった。
『浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ』
さすがは大泥棒石川五右衛門である。まさにその通り。完全無欠の真実。悪の真髄を見極めていらっしゃる。
それに比べるとお釈迦さまの仰ることは実に頼りなく思えてくる。
『良いことをし、悪いことはしないようにしなさい』
でもしかし、善の真髄は見えないところで脈々と受け継がれており、浜の真砂もやがて再びその姿を現すのだとオレは信じている。








9.13
庭の片隅ででっかいミョウガを発見。納豆にするつもりの昼食を急遽素麺に変更。美味いなあ。



今日はもう13日か。
早すぎる、シャレにならねえ。







9.12
執筆棟にはまだ地デジのアンテナを入れていない。母屋にいる時間はとても少ないので、以来ほとんどテレビを見ていない。そのためだろうか。自分がどこにいて何をしているのかよく分からなくなってきた。普段だれかと喋ることもないし、ネットでこうしてひとり呟くくらいだから相対的に自分を把握できなくなっているのかもしれない。というか、現実世界から忘れられた存在とでもいうのだろうか。



トリは少しでも高い所が好きらしい。







9.11
東日本大震災より半年が経ちました。被災された皆さまには改めてお見舞い申し上げます。一日も早く復旧復興がなされることを願っています。
そして、米同時多発テロから10年か。



オレの住む執筆棟の外壁にヤモリ発見。
どうやら住んでいるようだ。
家を守るからヤモリ。井戸を守るからイモリ。
右手がないように見えるのは写り加減の問題。
海外でアパートを借りる時には、ヤモリが住む家を探せというそうだ。
マラリア蚊を喰ってくれるからだと聞いた事がある。
とにかくホラー小説家の家らしくてなかなかよろしい。







9.9
大きな葉の陰で葛の花が咲いていた。それを激写して今朝も懲りずに不人気ブログの更新でもしよう。



『何かが足りない』
オレの小説に対してそいう評価を受けることがある。
読み手が望むモノがそこにないのか、
あるいは書かれているべき何かが書かれていないのか。
後者ならひどく問題だ。
オレにそれが見えていないのだろうか。
あるいは、書く技量がないのだろうか。
はたまた、逃げているのだろうか。
もしかして、オレという書き手にその何かがないのかもしれないと思う。
つまり書くべき人間ではないということ。
いや、ありえねえ。







9.8
今朝はもう『うろこ雲』が広がっていた。北関東の田舎町。今年は秋が早い。小説書いてないなあ。困ったものだ。まあいいや、ごはんに載せた作品が落ちるまで休もう。



先日持ち株が高騰。
チャートを横目にデザインの仕事をしている時だった。
珍しく集中していたらしく、気が付いたら暴落して元に戻っていた。
ありえねえ。







9.7
今日もこうしてつまらないブログを更新する。オレはここにいる、と数
少ない訪問者に手を振るみたいに。かなりイマイチなヤツだと思う。



ゲーセンで金の延べ棒とブルーダイヤをGET!
へへ、大金持ちだぜ。






9.6
Twitteで『化身』を褒めてくれる人がいると、のこのこお礼を言いにいったりするオレって、まるでバカじゃねえかと思う。



『ねえ、○○ちゃん、今日も電車やろうね』
『うん、いいよ』
兄妹でそんな会話をしていたのも今は昔。






9.5
つくばのイーアスに行く。書店を覗くと先週5冊だった『化身』が9冊に増えている。さては返品されたな。
気の毒に。
と、いうのはジョーダンで、もちろん初回入荷の10冊が売れて、再入荷があったのだろう。ガンバレ『化身』



近所の中学校の新築工事が始まった。
旧校舎は完工後に解体される。
良くも悪くもこうして昭和が終わっていくのだろう。









9.3
たくさん書けるひと。楽しんで書けるひとが羨ましくて仕方がない。オレはダメだ。書いていて楽しいと思ったことがない。いつだって書きたくないから年に長編一作書ければ多いくらいだ。
向いていないのだろう。とはいえ、実業の仕事だってまた、いつもいつもやりたくないのだから、つまりただの怠け者なのだ。せめて、ひとつの仕事に集中したい。集中すればオレはできる。それなりの結果だって残してきたじゃないか。









9.2
先ず、とても文章が丹念で緻密。純文学の見本のようだと思いました。 ***(中略)*** ただ、読者は限られるだろうとの確信はあります。大変申し訳ないのですが、エンタメやラノベに精通した読者からは見向きもされないと思います。かなり読みにくいでしょうね。彼ら、彼女たちにとっては。

とある場所で頂いたオレの作品に対する感想。かなり古い作品なので今ほど文体はシャープでなく、万人向けだと思っていた。しかし、予想に反してこの感想。デビューして間もなく二年になる。別に一般受けしたいとは思わないが、業界受けしている様子もない。どういうことだろうと実は首を傾げていたのだが、この感想が状況を端的に表しているようだ。つまり業界人はオレの作風がどうとかいうより、一般のエンタメ読者の好みをより正確に把握していて、よってオレを評価しないのではないだろうか。そりゃそうだ。たとえ自分が良いと思っても、読者受けしないと思えば、手を出さないに違いない。僻みかもしれないが、出版不況の只中にあって、まずは売ること売れることが最優先なのだ。

件の読み手は
『数を求めず、少数精鋭の純文学の世界が、氏の作風には合うように感じられました。』という。その通りなのだろうと思いつつ、でも今の純文学(文芸5誌にあるような作品)とも違うという意識もあって、結局純文にもエンタメにもオレの居場所はないという、つまり孤独。









9.1
さて、ロクデナシぶりを
いかんなく発揮してオレの8月は終わった。数少ないこのブログの訪問者もさぞ呆れていることだろう。まあ仕方がねえ。大人気(オトナゲ)なんてカンケーない。安っぽい慣れ合いにも興味はない。

大人気(ダイニンキ)もきっとカンケーないんだろう。>オレ。



別冊文芸春秋にて新人発掘プロジェクト始動。
野生時代の創作講座に続いての試みだけど、
つまり、書き手が読み手という時代におけるひとつの方向なのだろう。
でも、何でその前にオレ様にオファーを出さないかなあ。
不思議だ。








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