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2012年4月





4.30
気が付くと今日で四月も終わり。
新作を書くことになった。プロットが通ればの話ではあるが、まあ、そのうちなんとななるだろう。
『書くのは辛いと思います』
あるプロットについて、そういったら『それはやめましょう』ということになった。書きたいというなら、書いてもいいが、書くのが辛いのなら止めた方がいいというのだ。書くのが辛いプロットは、書いても良い作品になる可能性が低いという。オレは必ずしもそうとは思わないが、今まで『辛い』思いをしながら書いた作品がたいして売れなかったのだから、それはそれでひとつの正解なのだろう。
『化身』だって、『ハンザキ』だって書くのは楽しくなかった。ただ、受賞するのと、売れるのとは違うのかもしれない。それに、たぶんラストチャンスだから、オレも楽しんで書くのは無理としても、書きたい作品を書いてみたいという気持ちはある。もちろん、今までだって、全て書きたい作品を書いてきたけどね。



ミシシッピアカミミガメも冬眠から覚めた。
オレもそろそろ、いいんじゃないか?









4.28
フェイスブックのアアウントをペンネームで取得するというドジ。ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、とりあえずやってみて、後のことは後で考えるという、いつもの悪いクセだな。
フェイスブックには『個人ページ』と『facebookページ』の二種類があって、後者はペンネームでの活動ができるようだ。アカウントを持っていない人でも見られるというから、オレの場合こちらを使うのが良いのだろう。ただし、『友達申請?』ができないらしい。別に友達が欲しい訳じゃないけど、双方向性がウリのフェイスブックに行く意味があるのだろうか?
結局は、ここでチマチマ書いているのが一番だったのかもしれない。
オレのドジ。



ツバメのお父さんか、お母さん。
電線でお休み。雨なのに大変だ。


樽酒を飲んだ。
いかにも日本酒! という味。
でも、クセがなく、まろやか。
で、オレはというと、クセがあって、トゲがある。







4.27
モノ作りニッポン?
正直言ってちゃんちゃらおかしい。戦後、この国がいったい何を作ったというのだろうか。クルマ?テレビ?携帯電話?ウォークマン?テレビゲーム?ハハハ、結構なことだ。
所詮、アメリカの下請け工場であることは、中国にその地位を奪われた後の惨状を見るまでもなく明瞭だろう。『加工貿易』オレが小学生の頃、教師は得意気に言っていたものだ。原材料を輸入し、それを製品に加工することで、この国は利益を得ているのだと。
クール・ジャパンなどと言って、政府が先頭に立ち、海外に国産アニメを売り出そうとしていた。馬鹿馬鹿しい限りだ。彫刻を学ぶためにローマに行く者がいる。絵画を学ぶためにパリへに行く者がいる。映画を、音楽を、それぞれ学ぶために、それらの聖地に行く者がいる。それと同じことなのだ。
ムラカミ・ハルキ氏が、海外のナントカ賞を受賞したとか、有力候補だとか、この国の出版界は何をしているのだろう。これでは下請け根性が抜け切らないと言われても仕方がないのではないだろうか。
日本の大手出版社には優秀な人材が集まっているという。収入も一般のサラリーマンに比べてひどく高額だという。だったらなぜ、その人材と資金を使って、海外の有能な作家を発掘しようとしないのか。
特に芥川賞と直木賞に言いたい。候補作の中に、編集者自らの努力で発掘し、翻訳した作家の作品があってしかるべきではないのか。それこそが、この国の文化の担い手たる者の仕事ではないのか。
世界中の作家、あるいは作家志望が、日本を代表するこれらの賞を必死に狙うようになってこそ、初めてこの国はグローバルな国家として自立し、下請け仕事に熱心なエコノミック・アニマルの蔑称を返上できるのだ
少なくとも、オレはそう思う。



樽酒を貰った。ありがとうございます!
で、なんでゾウなのか、意味はありません。







4.27
昨日は編集者と新作の打ち合わせ。
広く一般に訴求できるものを、というのが先方の希望だという。そのことに抵抗がない訳ではないが、オレもまたこの期に及んで『売れなくてもいい』などとは言えないし、言うつもりもない。なにしろ今日にも、受賞後三度目の借金を重ねる予定なのだ。それでも一年暮らせるかどうか。まあ、そんなことは慣れっこだけれども・・・。
二時間話をしたが、結局何の方向性も見いだせないまま帰路についた。壮大なファンタジーでも、微に入り細を穿った作品でもいいそうだ。また作風の軽重も問わないという。
全てがYesのようであり、全てがNoのようでもある。



近頃妙に凶暴なオカメインコのハッピー。
春だからオスの本能がうずくのだろう。まるでオレみたいだ。






4.26
ホラ大の先輩である、恒川光太郎氏の著作『金色の獣、彼方に向かう』が、山本周五郎賞にノミネートされたという。正直羨ましくて仕方がない。こんなことを書くのはみっともないという気持ちはある。しかし、本音を書く勇気がないなら、書き手である必要がない。

小説家でありたいなら、常に少数派に属するべきだと思っている。大雑把にいうと、多数が体制の近くにあるのに対して、少数はより個の側にいるからだ。そして、読書というのは極めて個人的な体験だからだ。しかし少数派に属しながら多数派に支持されなければ、本は売れないし、賞の候補に上がることもないだろう。多数派の中にある、少数派の部分に働きかけるのが肝要なのかもしれない。

残念ながらオレの本は売れているとは言い難い。業界での評価も高くない。
『なぜ分からないのだ』
オレは近著『斬首刀』で、主要な登場人物である田中愿蔵にそういわせた。
彼はともかく、オレが『分かってもらえない』理由はどこにあるのだろうか。作風だろうか、テーマだろうか、あるいはオレ個人の価値観に由来するものなのだろうか。うぬぼれかもしれないが、多数に合わせる技量がないとは思いたくない。

このまま埋もれたくはない。しかし、オレが求められない書き手なら、いつでも退場する覚悟はできている。



特に鳥が好きな訳ではないが、被写体として、とても面白い存在だと思う。
人間の女の子には適わないが。






4.25
家の前でキジを撮影。遠かったし、曇天だったから、残念ならがシャープとはいえない写真になってしまった。








4.24
?2012年4月23日 facebookを始める。何が楽しいのか分からないし、どっかの誰かが作ったシステムに乗るのも癪に障るが、変化を求めるのも大事なことだろう。不易流行といえば大袈裟に過ぎるが。







4.24
フェイスブックに移行しようと突然思い、急遽アカウントを取得した。しかし、操作方法がまったく理解できず、何が楽しいのかすら分からない。それでも、そろそろ古い池を出て、新しい場所に行く時がきたような気がするのだ。春の作物は八重桜が咲く頃に植え付けるのだと聞いたことがある。強いて言えばそんなことかもしれない。



オレは嘘が嫌いだ。
『いい人』とか、『お洒落な店』とか、『素敵な感性』とか、
そんなものは大抵嘘だ。







4.23
ホームページビルダーを立ち上げて3分。4.23と日付を入れたきり何も書くことが浮かばない。小説家には向いていないのかもしれない。あるいは、どうでもいい日記を書くほど落ちぶれていないことの証左かもしれない。



家の前の空き地でキジを撮影。
遠い上に、曇っていたからシャッター速度が上がらず、
ボケボケになってしまった。







4.22
理解してくれる相手は多い方がいい。しかし、割合を基準にするのは危険なことだ。10人の人間がいて、10人に好かれようとするのは政治家のすることであり、小説家のすることではない。



ホオジロ。
背伸びして周囲を警戒ているのだろう。








4.21
先日、家庭訪問があった。若い女性の教師で、かなりの美人!
しかも専門は国語だという。
『別のことろでお茶でも飲みながら文学の話をしませんか?』
口に出掛った言葉をようやく飲み込んだ。
やっぱ、ダメだよなあ・・・。残念。



ヒヨドリ。
ナンテンの実を食べに来たのだと思ったら、
蜘蛛を咥えて飛んで行った。
くちばしの周囲が黄色いのは、
椿の花の蜜を吸っていたからだろう。








4.20
ぎっくり腰を発症。思ったより軽くて助かった。でも、イタイ・・・。(>_<)



アオサギ







4.19
横浜の実家を出たのが19歳のときだった。世田谷に3年住んで、この北関東の田舎町に引っ越してきたのが22歳の春だった。そして、27宅地購入、28家を建てる、29独立開業、30結婚、別宅購入、31長男誕生、33次男誕生、34オリジナルブランド発売開始、35長女誕生、37同居の義母他界、41ネットショップ開店、43やまなし文学賞佳作受賞、46日本ホラー小説大賞受賞『化身』を上梓、47『おとうとの木』を上梓、49『斬首刀』を上梓・・・。忙しかった。


オレが引っ越して来た頃は、この季節になると、
あちこちで、ばかでかい鯉のぼりが見られたものだが、
近頃ではすっかり少なくなってしまった。
それでも、鯉も犬もヤギもどっこい生きてる。







4.18
そこが自国の領土だと声高に叫ぶことが国益に繋がるとは限らない。
誰か忘れたけど政治家が言っていた。自国の主張を強く述べれば、相手国もまた同じ主張を声高に叫ばなければならなず、かえって問題がこじれるのだという。
外交には時間も必要なのだと、政治家はいった。お互いに譲れないことがあったら、それには触れずにいるのもひとつの策なのだと。忘れた振りをしているうちに、やがて国際情勢が変化し、よって解決することがあるのだと。
実例を知らないから実効性については何ともいえない。ただの言い逃れかもしれない。しかし、なるほどそんなこともあるのかもしれないという気もする。政治家の名前を失念したのが悔やまれる。



シイタケではありません。
カモです。
残念ながらネギは背負ってません。









4.17
新潟に行ったのは二年前のことだ。週一回、半年のエッセイの執筆を依頼されて、担当者に会いにいったのだ。始めてのことだし、当時高速道路がどこまで行っても千円だったから、半分は旅行気分で訪れてみたのだ。
聞くところによると、そんなことをする書き手はいないらしい。原稿料と旅費のバランスによるのもなのか、相手に迷惑だからかは分からないが、言われてみれば、そうかもしれない。きっとオレはおかしなヤツだと思われただろう。恥はかきたくないものだ。
それでもオレは、仕事をするなら現地に行き、担当者に会うのが基本だと、今でも思っている。
まあ、東京の担当には会ったのだから、ギョーカイとしてはそれでいいのだろうけど。



右に遠く佐渡を望む。



『あみん』みたいで、ビジュアルはイマイチだけど、
こういう歌は楽譜に正直な方が好きだ。
ヘンに情感たっぷりに歌われると、シラけちまう。









4.16
理解されない辛さは、人生における苦痛の中でも、最も大きなもののひとつである。逆に言えば、『理解者』がいれば余程の困難も乗り越えることができるということだ。
オレはここでこんな駄文を綴っている。つまり『理解者を得ようとしている』のだ。ネット上に溢れる多くのブログや、ツイッターなども同じことである。
だが、自ら理解者を求めれば、それは自ずと去るだろう。求めて得られるのは、仲間であって、理解者ではない。仲間は彼を助けるかもしれない。しかし、彼が自ら救われるためには、理解者が必要なのだ。
理解者を得るのは難しい。理解されること自体、難しい上に、理解されるだけの何かを持っている必要があるからだ。
生きるのは、それだけ厳しいということだ。

  

ムスカリという植物らしい。







4.14
大阪の彼女が結婚式を挙げたという。お祝いの花束を贈りたいけど、オレは彼女の住所も電話番号も知らない。で、せめて薔薇の花の写真を掲載しようと探すも、残念ながらそれも見つからない。仕方がねえ。チューリップでカンベンしてもらおう。まるで幼稚園だけどね。



何はともあれ、おめでとう! 良かったね。








4.13
『世界で一つだけの花』槇原敬之
SMAPが歌って大ヒットしたこの歌がラジオから流れていた。
バケツの中、誰が一番きれいだなんて争うこともなく咲いている。
『花は競ったりしない』
ホントかよ。イメージでモノを語ってるんじゃねえのか? それぞれの花は、虫を呼ぶために競ってるんじゃないのか? 厳しい生存競争を勝ち抜くために、ある花はナンバーワンを目指し、ある花は生きるには厳しくても競争相手の少ない場所を探し、ある花は虫に頼らない方法を選び、またそれぞれの場にあって、少しでも優位に立とうと、逞しく生きているんじゃないのか?
『みんな違ってみんないい』
それは事実だ。だが、あくまで結果としてだ。居場所を見つける過程で払われた膨大な努力がある。競争に敗れ、失意のうちに朽ち果てた多くの花がある。だから、オレは安っぽく『みんないい』などと言いたくない。
たとえば、現場を見ない政治家とか、生徒と向き合っている先生とか、それは単なるイメージだ。イメージは言葉にしやすい。そしてイメージには多くの嘘が含まれる。だから簡単に言える事柄には注意した方がいい。
現場を見ることによって間違った判断をすることはあるし、生徒を注視することで視野が狭くなることもある。だいたい、『良い先生』とか『悪い政治家』といった、大雑把なモノの言い方をすること自体、頭の悪い証拠なのだ。少なくとも小説を書くなら気を付けることだ。あらゆるものは皆違う。そして同時に様々な側面を持っている。いいとか悪いとかではない。そのひとつひとつの個を拾い上げる作業が小説を書くということだ。
高いところから、大きなくくりでモノを言う癖がつけば、個は視界から消える。そして、跡にはたくさんの嘘を含むイメージが残される。



『斬首刀』にも書いた『風返し峠』から西を見る。


マンガ的な作品や、一面的な登場人物が好まれるようだ。
価値観を単純化したいのだろう。
それだけ、現実が複雑になっているのだ。
マンガ的正義と安っぽい仲間は
溺れる者の藁なのかもしれない。








4.12
桜の写真は難しい。目で見てこれほど絵になるのに、写真に撮るとたちまち陳腐になってしまうのだ。色はぼんやりとしてシャープさに欠けるし、構図は平面的で様にならない。
小説でも似たようなことがある。イメージは鮮明なのに、書いてみると、なぜかひどい出来なにる。たぶん、対比の問題だろう。恋愛小説を書くのに、恋愛の甘い部分ばかり書いても、だからどうしたという作品になる。それと同じなのだ。
また、桜には絶対的な核がない。ひとつひとつの花は薔薇のそれに比べれば貧相だし。密集度も、近づいて見ればそれほどでもない。だからといって、木全体や、群落をひとつに捉えようとしても、薄いピンクがぼんやりと広がるばかりで面白みに欠ける。また、ご丁寧に春の空は白く霞んでいて、桜の薄いピンクと甚だ相性が悪いのだ。
対照的に、菜の花は、どう撮影してもそれなりに見える。グリーンとイエローのコントラストが効いているからだ。
対比と核。小説とやはり似ている。



目で見て楽しむには、桜並木がいいけど、写真ならば山中の桜がいい。
それもできれば針葉樹に囲まれていることが望ましいと思う。









4.11
つくばの大型ショッピングモールに隣接する土地。昨年までは北関東によく見られる雑木林が広がっていたのに、あっという間に切り倒され、今ではこの有り様だ。何を作るのか知らないが、こんな暴挙が許されていいのだろうか。『おとうとの木』で描いた横浜の土地開発を、規模は遥かに小さいとはいえ、今、再び見るとは思わなかった。



持ち株大暴落。
どうにもならねえ。







4.10
四月も気が付けば十日。ありえねえ。
妙に忙しい。別に何がって訳じゃないのに精神的にバタバタしている感じだ。これじゃあ、良い仕事なんてできるはずがねえ。
執筆でも、いかに気持ちを落ち着かせるかはとても大事だ。書いている時はできるだけ感情の起伏を抑制した方がいい。『ハンザキ』を書いていた三ヶ月間、オレは家で一度も笑わなかった。おかげで離婚の危機を迎えたほどだ。
登場人物が泣いたり笑ったりするからといって、書き手まで一緒になって泣き笑いしていてはロクな作品にならない。そうしているうちに、登場人物の裏にある感情が見えなくなるのだ。つまり泣いているための理由が浮ついたものになるということだ。作品に近付き過ぎてはならない。つまりそういうことだ。作品世界に入り込むのと、近付き過ぎるのでは、意味が違うのである。
そうして書いたオレの作品は、業界において一定の評価を受けた。しかし、残念ながら売れているとは言い難い。だから、『売れる作品』を書きたいなら、登場人物と一緒になって泣き笑いした方がいいのかもしれない。そのために薄っぺらな作品になっても、読み手がそれを望むのであれば、それはそれでひとつの正解なのだ。気に入らないことではあるが。



セキレイ

純米大吟醸千歳鶴を飲む。
リンゴを思わせるフルーティな香り。
きりりと引きしまった味。
日本酒独特の臭みはまったくない。
純米大吟醸。こういう酒がいつからあるのかオレは知らないが、
一般的な日本酒とはまったく別のモノだな。







4.9
北関東ではヤマザクラが咲き始めた。ソメイヨシノはまだ一部咲き程度だ。



『ご苦労さまです』
知り合いが、天皇陛下にお言葉を貰ったという。
うらやましい。







4.7
ヘヘヘ、貰った。純米大吟醸。いつ飲むか思案中。桐箱入りなんて初めてだぜ。



イヤなことがある。うれしいことがある。
で、イヤなことは長く心に留まり、
うれしいことは短い時間に色を失うのはなぜだろう。
負の感情が強く感じるのは、
オレの中に負の部分が多いからかもしれない。
悪循環とは良く言ったものだ。

確か昨日のツイッターにこんなことが書かれていた。
『ジャンケンをするとき、彼はいつも負けるような気がするという。
そして、実際にやって負けると、ほらやっぱり負けたと思い、
仮に勝ったとしても、一度勝ったのだから今度は必ず負けるだろう、と考えるそうだ』

ここでいう彼とは、子供のことを指すらしい。
子供がそんな風に考えるのは、
大人の社会にそういう空気に満ちているからだと、結ばれていた。








4.6
知り合いに『怒声がなにより嫌い』という美女がいる。その気持ち、よく分かるなあって、お前が言うなってか・・・。
叱るはいいけど、怒るはダメだとか、そんな言葉遊びがオレは好きになれない。どっちも突き詰めれば、強い言葉を使って相手の精神に影響を及ぼす行為に変わりない。つまり、恐怖する心を利用しているのである。ついでに、相手のことを思って言っているという類の、教師然とした僭越がとても嫌いだ。
オレも時に激しい言葉を使う。言葉や態度で相手を威嚇したり、威圧することもある。良くないことだ。暴力に訴えなければいい、というものではない。
上に書いた美女は、きっと『甘い』とか『世間知らず』という批判を受けることも多いだろう。だが、『怒声』を使って相手を威圧し抑圧する社会とは、支配する側に有利な社会であり、彼女を甘いという者は、それを肯定する人間でもあるのだ。



ノイズが目立つなあ。
連写モードで撮影したからだろうか。







4.5
144-98 今朝の血圧。もっと高いかと思ったけど、まあまあだな。
もちろん高いことに変わりはない。特に下。
右の奥歯がイタイ。上なのか下なのか良く分からないからほったらかしてある。たぶん肩こりが原因だろう。しばらく前は左の奥歯が痛かった。口腔外科で抜いてくるように言われたけど、血圧が高くて抜けないという。これもほったらかしにしておいたら、痛みは感じなくなった。
ハゲで、デブで、コーケツアツ。もうボロボロだな。




♪さよなら、東海、たてがみ、テーブルの上に置いたよ。

東海地方に住む男が引っ越しする際、
テーブルの上にライオンのたてがみを置いた・・・。
という歌だとずっと思っていた。
むかしむかしのこと。










4.4
日本のフォークソングが嫌いだ。特に四畳半ナントカという類のヤツだ。
1970年代、オレは多感な年齢だった。しかも、こう見えて、かなり素直な性格なのだ。兄貴のような連中の歌をすっかり信用してしまった。
アレは嘘ばかりだ。特に女性について歌われた部分は、イメージが先行していて、まるで実体とかけ離れている。たとえば『妹』というキーフレーズ。男兄弟しかいなかったこともあって、オレは真に受けてしまったが、妹を持つ友人は皆、鼻で笑っていたものだ。
オレは嘘が嫌いだ。イメージでモノを語るヤツが嫌いだ。マスコミの情報を鵜呑みにしているとも気付かずに、まるで自分は分かっているとばかりに政治を語るヤツが嫌いだ。そういうヤツが、政治家の手先となり、官僚の罠にはまり、資本家を太らせるのだ。また、そういうヤツに限って、自分は真実を見抜いていると勘違いしているから始末が悪い。
♪就職が決まって、髪を切って来た時・・・。
アホか、会社訪問には髪を切ってから行くんだよ。メロディーに合わせたという言い訳は聞きたくない。それとも親の会社にでも入ったのか。ボンボンめ!
とにかく、その後イマワノ・キヨシローを聴かなかったら、と思うと背筋が寒くなるぜ。



関東の名峰、筑波山。


『悪口は書かないようにしている』
このブログについて、ある人にそういった。
読んだ人を不愉快にするからだ、と。
オレはその人に対して嘘をついたことになる。
所詮オレはロクデナシなのだ。








4.3
今日は春の嵐になるという。
『花に嵐のたとえもあるぞ。サヨナラだけが人生だ』
仲間も友達もいらない。それでも、人生半分を過ぎ、いつか訪れるサヨナラに思いを馳せるとき、会える人がいるなら会っておこうと考えることがある。オレも随分気弱になったもんだ。ただし、昔話に興味はない。立ち止まって後を振り返るほど、オレはモーロクしちゃいねえ。



西日が好きだ。
寂滅の匂いがするところがいい。







4.2
編集に作品をボロクソに言われる夢を見た。ひどいザマだったぜ。



近所の公園。
西向きの土手にはつくしが生えていた。

北の国から、オレにプレゼントが届くという。
ありがたき幸せだぜ!
ヘヘ・・・






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