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2012年1月
1.31 今朝も一段と寒かった。庭のメダカ池には氷の塔が出現した。おそらく結氷するときに、圧力で水が吹き上がって、それが逆つららの要領で凍るのだろう。急激に冷え込む夜に起こる現象なのだと思う。 |
1.30 今朝もこのつまらないブログの更新。何やってるんだろうなあと思う。せめて何百というアクセスでもあればともかく・・・。 と、いう訳で、昨日は調べ物があって、土浦にある小さな博物館に行った。ついでだから、帰路、久し振りに霞ヶ浦に寄ったのだが、ありえねえ程の強風と寒さ。車を降りて写真を撮るにも、風に煽られてカメラを構えるにも難儀するし、手はかじかむし・・・。北関東の原風景を見たような気がした。 ところで、海外からのアクセスも数件あるようだ。だからどうしたという訳ではないけれども、何だかうれしい。 |
1.29 庭のメダカ池に氷のドラゴン出現! 角が一本しかないからユニコーンかな? |
1.28 この10年くらい、風邪をひいたことがない。熱を出したこともなければ、喉が痛むこともない。ただ、とても疲れている。いつもいつも疲れている。 もともと体力がある方ではない。それどころか、ちょっと身体を動かすと、たちまち身体が悲鳴を上げる。 時折、些細なことで、自分でも制御できないほどの、苛立ちと怒りに襲われることがある。それが、疲労のためだと気付いたのは最近のことだ。疲労が、ある一定の量を超えると、気持ちを抑えることができなくなるのである。特に上半身が駄目だ。たった数分でも、慣れない筋肉を使うと、たちまち肩がこってイライラし始めるのである。 思えば十代の頃から家族に激しく当たり散らすことがあったが、今思えば、反抗期ということばかりではなかったのかもしれない。 付き合っていた彼女に、似たようなことをした記憶がある。当時、既にオレは北関東の田舎町に住んでいた。で、彼女は藤沢にいたものだから、週末の夜、仕事を終えると、ポンコツのバイクに跨がって、高速道路を飛ばすのだった。 彼女に会うのはうれしいのだけれども、なぜか、ちょっとした動作に苛立ちを覚えることがあった。何のことはない、疲れていたのだ。でも、彼女の前ではにこやかにしていたい。その無理がイライラに変わるのである。 あるとき、たいした理由もなく彼女を怒ったことがある。ひどいことをしたものだ。思い出すたびに、今でも彼女のことが気の毒になる。当時はなぜそんなにイライラするのか分からなかった。随分迷惑で横暴で間抜けな話しである。言い訳の余地もない。それが理由の全てではないかもしれない。ただ、あのときオレは、確かにいっぱいいっぱいだった。 数日前、似たようなイライラに襲われた。冷静になって考えると思い当たるフシがある。竹刀の素振りを2日ほど休んで、再開した日の午後だったのである。たったそれだけのことだった。その証拠に、翌日には、何に対して怒っていたのかさえ思い出せなかったのだから。 何をするのも体力が基本だと思う。肉体と精神は密接に連動している。こんなことでは、まともな人付合いなど、出来るはずがない。オレはネット依存の引きこもりで正解だったと思う。 |
1.27 胸の内にある、哀しみや虚しさを小説にしたいのであれば、それをもやもやしたままに、感性の瓶のようなものに閉じ込めてはならない。得体の知れないものを、ガラス越しに見せても仕方がないからだ。 まともな作品にしようとするなら、それらに詳細な形を与え、心の奥底から取り出し、標本箱の中央に鋭利な虫ピンで固定するべきだろう。 |
1.26 スーツの衿にチャラチャラ付けていた飾り。ポロシャツのポケットに入れたのを忘れて、うっかり洗濯したら壊れちまった。何やってんだか・・・。 |
1.25 昨夜は久し振りに夕食を作った。『鶏肉の生姜焼き』 作りながら何かおかしいとは思っていたのだ。だから炒めている最中も冷蔵庫を開けたりしたのだ。何か足りない。しかし、それが生姜だと気付いたのは、皿に盛り付けた後のことだった。 仕方がねえ。『鶏肉の生姜焼き風生姜なし炒め』とでもしよう。どうせオレはしょうがねえヤツなのだ。 |
1.24 妙に忙しかった。ブログの更新も久し振りだ。まあ、読者も殆どいないのだから、テキトーにプラプラやればいいのだけどね。 |
1.21 上野にゴヤを見に行った。それから取引先の新年会。オレはヨコハマ育ちだけど、都会が嫌いな根っからの田舎者だから、東京へ行くと疲れて仕方がない。 本格的なゴヤ展は40年ぶりだという。着衣のマハがメインだというが、当然裸のマハもあるものだとばかり思っていた。なのに、今回は着衣のみだという。40年前は両方あったような気がしたから、少し残念。 エッチングとか、木炭画とか、小さな作品が展示の大半を占めており、油彩画は数えるほどしかなかった。ただでさえいい加減なオレは、それらの小さな絵は完全に素通りして、油彩画ばかり見ていた。名画という思い込みがあるためか、やはりマハは素晴らしかった。それと印象に残ったのはゴヤの自画像。ぼさぼさの髪は画家の精神を表すという。自分の姿形を気にするオレはちょっとうれしかった。やはり肉体と風貌には書き手の本質が滲むと思うからだ。 |
1.20 一度きりの人生だから、より良い人生にしたいと思っている。 問題はより良い人生が何なのかよく分からないことだ。 |
1.19 門が開く日を、いつだって待ち望んでいる。たぶん、今、このブログを読んでいる貴方もそのうちのひとりだろう。先日A賞を受賞した若者がいる。彼の門は開かれたのだろうか。オレには正直よく分からない。オレを閉じ込めていた門は、何度か開いたような気がする。しかし、その先にあるのは、いつだって新しい門だった。本が売れればその向こう側にいけるのかもしれない。新たな賞を貰えばそれで満足するのかもしれない。しかし、人は必ず死ぬという前提がある限り、そして生に執着する限り、新たな門はまた出現する。やっかいなことだ。 |
1.18 リチャード・バック著:五木寛之訳『かもめのジョナサン』を読む。 この作品を始めて読んだのは、もう四半世紀も前のことになる。面白かったとか、感動したとか、感銘を受けたとか、そういったタイプとはちょっと違う形でオレの心に刻まれたものだった。 オレは気に入った作品を繰り返し読むということがなく、この作品も長い間存在を忘れていた。不意に思い出したのは、おそらく進むべき道に迷いが生じたからだろう。 思えばオレは、この作品に強く影響を受けている。文体やら、描写の手法やら、精神性などである。誰の逸話だったか思い出せないが、著名な西洋画家の作品を見た絵描きが、これでいいいのか、こんな技法があるのかと思ったことに端を発して、やがて画家として成功を納めたというが、それに近い感覚である。もっともオレの場合成功したとは、到底いえないが。 ネットの感想を幾つか読んだ。なるほどと、感心するものも散見された。しかし、不思議なことに深く読み込めば読み込むほど、そして考えれば考えるほど、真実から遠ざかる印象がある。それどころか、これこそ著者の意図だろうという所に来てみると、まったくそれが的外れに思えるのだ。 五木寛之氏は巻末の解説で『不可解』という言葉を使っているが、まったくその通りだと思う。氏は『食べること』を軽蔑するジョナサンに違和感を抱きつつ、しかし否定しきれないでいる。小説を書くという行為、あるいは絵を描くといった行為は、そのことを問い続けることでもあるのだろう。そして『そのこと』つまり、『食べること』『書くこと』そして『それを考えること』に果たして意味があるのかと考えたとき、オレの筆は止まり、またこの物語を思い出しては、のろのろと動き始めるのである。 |
1.17 深夜ぐっすり眠っていたのに、隣の部屋でインコが大騒ぎ。すぐ収まるだろうと思っていたが、バタバタといつまでも暴れている。夏の夜ならケージに入り込んだ虫に驚いたりすることもあるけど、今はブリゴキさえ凍る真冬の北関東。 それでも、いつになく長く暴れるので、仕方なく起きて声をかける。案の定ケージの中には何もいない。落ち着いたところを見計らって外に出してやると、ブルブルと震えている。どうやら悪い夢を見たようだ。仕方ねえな。部屋に連れ帰って一緒に寝ることにした。 余程怖かったのか、しばらく震えは収まらなかった。いつもは触ろうとするとキャーキャー言って逃げ回るクセに、背中を撫でてもおとなしくしている。気の毒に思ってしばらく明かりを付けたままにしておいた。おかげで今朝は寝坊しちまったじゃねえか。まったくもう。 |
1.16 一月も半ばを過ぎた。どうもうまくいかねえ。少し苛立っている。 |
1.15 メールを書いて送信した。荒れる心、苛立つ気持ちが落ち着いた。 |
1.14 ヒゲが伸びてきた。汚いのは承知しつつ、もしかして似合うかもしれない、というアホな妄想を捨てきれずにいる。変身願望のひとつだな。オレというヤツは、仮面ライダーに夢中になっていた頃と、基本的に変わらないらしい。 |
1.13 昨日、某所から講演の依頼が舞い込んだ。何でも開館記念だという。メールを見た時には、ギョっとして、ゲッとなったが、先様が仰るには、開館記念というより、開館を記念して何人かの方に・・・ということらしい。ほっと胸を撫で下ろしつつ、でもオレは、講演なんて当然したことがないし、だいたいトークが苦手だから、文章で想いを伝える道を選んだ訳で、やはり緊張することに変わりはない。 物事を大袈裟に捉えるのはオレの悪いクセかもしれない。でも、だからといって、気楽に構えていて、足元をすくわれたことが何度かある。『まあ、軽くやればいいのだ』と、チャラチャラ行ったときに限って、相当にかしこまった場だったりして、恥と大汗をかくのだ。そのあたりのさじ加減を上手にできる人が、いわゆる大人なのだろう。 昨日はまた実業の取引先からも連絡があり、新年会の中締めの音頭を頼むという。夏の懇親会も含めて毎回のこととはいえ、いや、毎回のことだから結構辛かったりする。中締めの音頭とはいっても、一応ちょっとしたスピーチもある。人前で喋ることが苦手な上に、話しのネタが尽きかけているのだ。 それにしても、こんなオレにお声を掛けて頂けるのは、ありがたくも幸せなことなのだと思う。流暢に喋ることなどできないし、ためになることも言えないけれども、肩の力を抜いて、楽しい話しをしたいものである。 |
1.12 三十代既婚男性、二十代後半独身男性、小学六年男児、二十代前半独身男女、三十代独身男性。 デビューしてから、長編短編合わせて6作発表したうちの、主人公、及び主人公格の年格好である。それなりに幅があって、オレとしては満足している。一番書きやすいのは三十代既婚男性。今のオレに近い立場で、なおかつ年下だから、入り込むことも俯瞰することも、容易にできるのだ。 丸山健二氏のエッセイにあったのだと思うが、『書くつもりになれば書ける』という状況には注意が必要だという。分かるような気がする。得意分野であれば、たいていの題材はそれなりに料理できる自信がある。しかし、『書ける』のは前進であるとともに、後退の危険をもはらんでいるようだ。 今だからこそ自分に言ってみよう。『書くだけが執筆ではない』 急がず怠けずだな。 |
1.11 荒れる新成人とかいうヤツがいるけど、さしずめオレは荒れる旧中年だな。ゴーヤでも食うか。 |
1.10 鹿島神宮へ行った。晴れ着姿女性がたくさにいる。成人式なのだという。 オレが二十歳のとき、そんな所には行かなかった。行きたいとも思わなかった。行くヤツの気も知れなかった。国だの地方自治体なんぞに、成人の御祝いをして貰うなんてまっぴらだった。首輪だかネクタイだか知らないけど、そんなもの付けて誰かの説教を聞くなんて、考えただけでもうんざりで、葉書を見た瞬間に、ひどく腹立たしい気分になって、すぐさまごみ箱に投げ入れたものだった。だいたい成人なんていうこと自体興味がなかった。二十歳で大人の仲間入りなんて馬鹿じゃねえかと思った。頼んでもいないのに、おめえらなんぞの仲間になんかなってたまるか。そんなことは、どっかの誰かが決めたことでオレには何のカンケーもねえと思っていた。その前に、この葉書を出したお前らは大人なのか? とも思っていた。 聞けば式典には興味がなくても、友達に会えるから行くという者もいるそうだ。オレは当時東京に住んでいて、実家のある横浜から通知が届いたと記憶している。しかし、そんなことにもオレは興味がなかった。それどころか、ダサイとさえ思ったものだった。かつて親友だった人はいる。しかしそれは過去のことだった。オレは過去に興味がない。古い友人だからといって、それだけで会いたいとは思わない。彼が常に新しく生きていなければ、つまり新しい困難に立ち向かい、新しい人生を模索していなければ、会う意味を感じないのだ。 式典では市長やらなんやらが祝辞を述べるという。オレが選挙で一票入れた訳でもないのに、そんなヤツの話を聞かされる意味が分からなかった。それは今でも変わらない。だいたいあの式典の光景。あれを見て軍隊の入隊式を連想するのはオレだけだろうか。 別に大人が嫌いだった訳ではない。大人は分かってくれない、などと思ったこともなかった。自分が子供でいるのは、何よりうんざりしていたし、一刻も早く大人になりかった。子供の力では何もできないし、大した人物は、やはり大人の中にしかいなかったからだ。ただ、オレの周りにいる大人に、何の期待もしていなかっただけだ。オレはオレだった。世の中には、オレと、オレ以外のヤツがいるだけで、そしてオレ以外のヤツの中に、色々な種類の人間がいる。ただそれだけだった。 国や地方自治体に限らず、体制は当時から好きになれなかった。最も近くにある体制。それが学校であり教師だった。でもオレは連中を恨んだりもしなかった。教師に反抗もしなかった。嫌いというより、価値観が違い過ぎて相容れなかったのだ。連中が教える勉強は、オレにはさっぱり理解できなかった。そしてオレの生き方を連中は理解できなかった。だからオレは学校に見切りを付けた。それがいつだったかよく覚えていないが、たぶん小学校高学年か、中学に入って間もなくのことだった。勉強ができないのだから仕方がないし、部活動も息苦しくて耐えられなかった。だからオレはこう決めた。連中が何と言おうと、オレはオレのやりたいこと、やるべきことをするだけだと。 有益なことを教えてくれた教師はほとんどいない。でもそれは仕方ないことなのだ。会社を興したことのないヤツに社会でのし上がる方法を聞いても意味がない。オレは馬鹿だったから勉強していい大学に入り、大企業に就職することなどできなかった。だから他の道を模索した。たとえば小説家になろうと考えた。国語の教師に作家になる方法を尋ねたことがある。高校を卒業するときのことだった。自宅に電話したのは相手が若い女性だったからだ。オレの女好きは今もあの頃も変わらない。 彼女はこういった。『たくさん本を読み、色々な経験をすることだ』と。浅はかな答えだった。いかにもガッコのセンセが言いそうなことだ。そんなことで小説家になれるのなら苦労はない。小説家になりたければ小説を書くしかない。他に方法はない。レーサーになりたかったらレーシングカーに乗る。野球選手になりたかったら野球をする。金持ちになりたかったら金儲けをすればいい。そのための方法論など意味がない。目的こそが手段なのだ。 大学の卒業式にも行かなかった。本当は行こうと思っていたのだが、目が覚めた時には終わっていた。オレは大学の事務局の窓口で卒業証書を貰い、学生生活を終えた。悪くない時間だった。しかし、親の脛をかじり、今に至っても下ろすことのできない恩義を背負ってまでして、行くべきところだったのだろうか。オレは今も馬鹿だが、当時はもっと馬鹿だった。今のオレが当時のオレに会ったらこう言うだろう。中学を出たら働け、と。オレにはそういう人生がお似合いなのだ、と。 |
1.9 実業の仕事がない。プロットもイマイチだ。仕方がない、腹を括るか。 |
1.8 ベストセラーを記録したという小説を読んだ。正直にいって、名作のそれ以外に、いわゆる売れた本を読むのは初めてのことである。感想は特にない。いや、ないことはないのだけれども、小説というのは色々あって当たり前なのだから、この作品には、この作品の良さがあるのだろうと思うばかりである。 エンタメの題材とストーリーを、純文の手法を用いて書く。 これがオレの小説である。改めてそのことを思いだせてくれたという意味も含めて、上記の作品を送ってくれた友人には感謝している。氏は実にイイヤツなのだ。 人はそんな簡単に人を殺したりはしない。しかし、あっけなく殺すこともある。それは何を意味しているのか。小説の中で人を殺すときは、このことに思いを馳せるべきだと考えている。動機とか性格とか社会状況のレベルだけで語るのは、不十分だということだ。 たとえ作内でそこまで踏み込まなくても、生命とは何か、生きるとはどういうことなのかに思いを馳せなければ、人が人を殺すことの意味を表現できるとは思えない。つまり生命の持つ根源的な強さと哀しさということだ。もっとも、多くの読者はそんなことに興味はないのかもしれない。だとすればオレの本が売れないのも納得がいく。 |
1.7 『今年はビッグヒットを狙いましょう』 『抑制を解放してぶっ飛んだ物語を』 『新しい挑戦と飛躍を期待します』 今年になって、年賀状で、電話で、メールで、この業界において、それぞれ異なった立場にある三人に言われた。 つまり今までとは違った作品を望まれていると考えていいだろう。だからといって今までの作品がダメだということではない。少なくともオレはそう信じている。三作それぞれに良さがあり、代表作足り得るとオレは思っている。 しかし、四作目を書くにあたって、異口同音にを求められたのは、これまでと違った物語である。一般受けする作品といってもいいかもしれない。それは必要なことなのだろう。そして、オレならそれができると思われているらしい。ありがたいことである。心の底からそう思う。 茹で卵にたとえると、殻は破った。しかし薄皮が取り残されている状態なのかもしれない。薄皮を取り除いた先に新しい境地があり、そこに至ることができれば、新たな読者を獲得することができ、更にそれまでの作品もまたそこに引き上げられることだろう。違う作品といっても、その境界にある膜はとても薄い。ただ薄いからといってそこに至る距離が短い訳ではないし、剥き方を間違えれば出血する可能性も高いからやっかいだ。 何も起こらないのが上等の小説だという意識がある。つまりストーリーに寄りかからない作品という意味である。オレは、市井にある人間(個人)を通して全体(普遍)との繋がりを模索するという手法を良しとしている。大雑把にいうと、『かつての純文学的手法』といっていいだろう。その方向が間違っているとは思わないし、その手法によって紡がれた今までの物語のクオリティを疑ったこともない。ただ、デビュー作の『化身』を含む三作品と、多数派の読者を繋ぐ、パイプ役となるべき作品がなければ、このまま埋没する可能性が高いのだ。 プロになってから短編を四作(鯨塚を含む)、長編を二作発表した。書き手としての幅は示したつもりだし、中心となる作風も確立したと思っている。しかし、上に挙げた三人は、オレはまだ変われるという。変わるべきだという。あるいはオレの本体は別のところにあると思われているのかもしれない。どう変わるのか、どう変わるべきなのかは誰にも分からない。作品を書くことでしか結果は出ないだろう。 胸の内で叫んでみる。 『でも、オレはもう限界なのだ』と。 しばらくして、こだまが返ってくる。 『しかし・・・』 |
1.6 直木賞の候補が発表された。オレにはカンケーねえ、と思っていても、やはりそれなりに落胆している。 オレの作品は、読み手より、書き手に評価される傾向にあるようだ。高橋克彦先生をはじめ、何人かの書き手に同意を得ているから、それなりに当たっているのだろう。オレは最近まで、読み手の多くは、オレの修辞技法が分からないために――というより、書き手がそれに感心してくれるために、そのような現象が起こるのだと考えていた。しかし、実はそうではないのかもしれない。オレの作品の多くは喪失を回復する物語である。失われたものを取り戻す。あるいは、そこにあったはずのものを探し求める物語という側面を持っている。書き手に評価されるのは、このことに起因しているのではないかと思うのである。 僭越を承知で言うのだけれども、多くの書き手は、自らの失われたものを探して、物語を紡いでいるのではないだろうか。それは先天的なものであり、後天的なものでもある。あるいは、もとより存在するはずのないものかもしれない。しかしその何かを失ったために、心にぽっかりと大きな穴が空いていて、それを埋めようとしているのではないだろか。 オレも何か大きなものを失ったようだ。それを金や名声で埋めようとしている面はある。しかし、それは表面的なものに過ぎないだろう。事実オレはとりあえず暮せる以上の金が欲しいと思ったことはないし、直木賞に代表される名声の先にあるものが何かも知っているつもりだ。 仮に直木賞を受賞して名声と金が入ったとしても、その後に待ち構えているのは更なる喪失感に違いない。オレは今まで様々なものを手に入れてきた。どれも世間的に見れば大したものではないけれども、金で買えるものも、買えないものも、どちらも欲しいと思ったものは、全てといっていいほど手中に納めてきた。しかし、何かを欲し、努力し、結果それを手に入れたとしても、得られるのは常にかりそめの満足感に過ぎなかった。おそらく最も肝心な何かを喪失したことによる穴は、その最も肝心な何かでしか埋められないのだろう。 世の中に、満足して生きている人間が殆どいないことは知っている。彼らはそれなりに満足して生きているのだとか、胸に空いた穴が小さいのだ、などというつもりはない。それは正しくないし、傲慢以外の何ものでもない。しかし、その穴を埋めるために何かを追い求めるひとは、決して多くない。理由はよく分からない。ただ、おそらく彼らの多くは、今のオレの小説を必要としないだろう。そしてそれは、このブログを読んでいるとても少ない人の殆どが、読み手ではないことと、どこかでリンクしているような気がする。 書き手に代表される、満たされないために何かを求める者の心に空いた穴は、決して埋められないタイプの穴なのかもしれない。だから書き手は、もしかして小説という手段なら、それを埋められるかもしれないとペンを執るのではないだろうか。 借金やら家族やら文学賞やら、背負ったものの重みで、オレは背中を丸め前かがみで歩いている。だから目の前にはいつも地面がある。オレはそこに失われた何かが落ちているのではないかと、いつも探している。しかし、ときにそれらしきものがあったとしても、オレの両手は今までに手に入れた多くの荷物を持つことで精いっぱいで、拾うこともままならない。見上げる空がどこまでも青く、どこまでも高く感じるのはそんなときだ。オレはその空を見上げながら、オレの人生がたまらなく愛おしく思えると同時に、その人生を存分に愛することができない自分に焦り苛立つのだ。 |
1.5 『津波の被害を受けた土地には、今後家を建てるべきではない』 そういったオレに反論したヤツがいる。 『かの地はリアス式海岸であり背後には急峻な山が迫っている。他に家を建てる土地はないのだ』 本当にそうだろうか。いや間違えてはいないのだろう。しかし、今後また津波は必ず襲い来る。『これより下に住むべからず』石碑の言い伝えを守って無事だった集落もあると聞く。本当に他に住む土地がないのだろうか。オレはあると思う。ただ、そこに住むのが困難なだけである。オレに反論したヤツはこういった。『山の上に住宅地を拓けば港までの道路の整備に金がかかるだろう。その金をどうするのか』と。金がないから住めないというのは事実かもしれない。しかしそれはベストな選択ではない。ベストとは理想のことだ。津波対策に限らず、様々な障壁があって理想が実現できないことは少なくない。いやほとんどがそうだろう。しかし、だからといって理想を追うことを止めてはならないのだと思う。理想とは何か。人それぞれに価値観は違っても、人それぞれの理想を追求し、その過程で金に代表される現実を直視しなければ、どうして正しい進路をとることができるというのだろうか。 津波対策の理想とは何か。この国の理想とは何か。個々人が持つ理想とは何か。便利だとか資本だとか、つまり金のことばかりが声高に言われている。しかし、金の前になぜ理想を掲げようとしないのだろうか。金が全てのこの国において、理想とは金なのかもしれない。金があれば震災復興も容易いだろう。金がないから何もできないというのは事実に違いない。しかし、それは理想に思いを馳せることなく、便利とか発展とかいう目先の欲望に囚われ自然を破壊し原発を作り、何よりも金を優先してきたこの国の来るべき末路だったような気がしてならない。 理想とは本来大人が追うべきものなのだと思う。若者があまりに私的な欲望に走りだしそうになったとき、理想を説くのが大人の役割なのではないのか。なのに、この国の大人は自ら持つべき理想を、青臭い非現実的な妄想と切り捨て、なおかつ理想を夢を見る若者に、自分の無能を棚に上げ、社会は甘くないと重石を乗せ、そんなことはできはしないのだと冷や水を浴びせ続けた。この罪は重い。 |
1.4 オレはどこまで行っても満たされないタイプだ。原因は分からない。持って生まれた性格なのかもしれないし、幼い頃の生活に遠因があるような気もする。絶対的な満足が得られないものだから、相対的な満足を求める傾向にある。しかし、自己に満足できない者が、他者との比較に耐え得るはずがない。愚かなことであり、不幸なことである。しかし前進するための原動力でもあることも事実だろう。 |
1.3 昨日は皇居で陛下を見た。意外に簡単だった。 |
1.2 悔しい。本当に悔しい。悔しさで身体がバラバラになりそうだ。オレを陥れたのは笛を吹く者だろうか。あるいはその音色に耳を塞ぎ、踊るオレを嘲った者だろうか。それとも、間抜けな顔で踊って見せたオレ自身だろうか。 いずれにしても、オレは復讐を企てている。笛を吹いた者に。その音色に耳を塞いだ者に。そして踊ったオレ自身に。 彼らは言うだろう。自分に罪はないと。本当に彼らに罪がないかどうかオレは知らない。しかし、今となってはどうでもいいことなのだ。彼らにとってオレが無意味なテロリストであろうと一向に構わない。問題はいつそれを実行するか。ただそれだけだ。 |