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2012年12月



今日の夕日。
オレは朝日より夕日が好きだ。
人は闇からきて闇に帰る。
一種の郷愁だといえば、感傷に違いない。
それでもご来光に手を合わせる気にはなれない。
劇的な日の出に続く、朝という現実の白々しさにうんざりしてしまうのだ。
だいたい、『日の出』という字面と発音の陳腐さときたらどうだ。
『落陽』と比べるに、あまりに安っぽく感じるのはオレだけではないだろう。
『日の出』というなら『日の入』というべきだという忠告は聞かない。
オレは頭も悪いが耳も悪いのだ。






12.31
雨で写真を撮りに行けなかった。
気が付くと、大晦日。
思うようにならねえ。
ならぬ堪忍、するが堪忍。
もとより、
ならぬ人生、するが人生。







12.29
真藤順丈氏が新刊『墓頭』を上梓した。角川書店での扱いも大きく、嫉妬深く器量の小さなオレは、ちょっと僻んでいる。
まあ、同じホラ大受賞者とはいえ、氏は年間4賞受賞のビッグネームだから、扱いに違いがでるのも仕方がないだろう。

幕張の海にヨットが浮かんでいた。オレは防波堤の先端に立ち、雲間から日が射し込んで、その白い帆が輝く瞬間を随分待った。しかし、ついに雲が切れることはなかった。







12.28
編集から電話。引き分け再試合という感じ。とはいえ、しばらくは勝っても負けても新作を書き続ける方向でいく予定だ。一作ずつ完成させるのではなく、ある程度の数が書きあがったところで、あらためてどうするか考えようという方法。
ここまで一勝一敗一引き分け。勝ち越しに持ち込めないところが辛い。四作目は何とか勝ちたいのだけれども、今のところ三回裏が終わってノーヒットに抑えられている。中盤を迎えて、まずはランナーを出したいところではあるが、ちぐはぐな攻撃が続いていて、攻略の糸口が見いだせない。
書くことで何か見えることを期待している。でも、一度プロットに戻った方がいいかもしれない。







12.27
寒い。







12.26
『筑植写真コンテスト』にて、オレの撮影した写真が『adp12賞』を受賞した。授賞式は1月14日とのこと。ささやかな賞といったら主催者に失礼だけど、たとえ小さな賞でも、認められるのはやはりうれしい。
なにより、小説の賞のように、あたりめえだ、とか、オレ様しかいねえ、という傲慢な気持ちにならないのがいい。







12.25
宮内庁は、来年1月16日に皇居・宮殿で行われる「歌会始の儀」の入選者10人を発表した。(読売新聞)

オレも一首詠むつもりだったのに、すっかり忘れていた。
今年の応募総数は17.800首。選ばれるのが10首だから、実に1.780倍。ひとり一首だというから、相当な倍率だが、なに、オレ様なら届かないこともない。(マジか・・・)
とにかく、是が非でも選ばれて、宮殿に参内し、陛下に拝謁を果たすつもりだったのだ。
オレのドジ。

仕方ない。来年に期待しよう。
と、いう訳で応募要項を改めて調べてみた。

宮内庁の当該サイト
用紙は,半紙とし,記載事項は全て毛筆で自書してください。

毛筆で自書!
ありえねえ。自筆はだめだ。しかも墨書。当落のまえに、まず読めねえ。
そういえば、この条件があるから断念したんだっけ。
忘れていたよ。

ところで、宮殿のイントネーションは、
急流と発音するところの宮ではなく、アルファベットのQ。
つまりQ-デンが正解だそうだ。







12.24
今日はクリスマス・イブだという。オレは今まで生きていて、その日を覚えていたためしがない。いつだって、今日がそうだと言われて、ああそう、と思うだけである。近頃は丸くなったから、オレ様はクリスチャンじゃねえ、などとは言わなくなったが、たいして興味がないのは相変わらずだ。
クリスマスでも正月でも、記念日というのが好きになれない。オレだって男だから、今までに何人かの女の子と付き合ったことがあるが、誕生日を覚えられたためしがない。今も誰一人として思い出すことができない。彼女だけではない。両親のそれすら知らないし、配偶者のそれも、はっきりしない。自分のでさえ、当日に思い出すくらいだ。
ひねくれているのだという人もいるが、必ずしもそうではなく、数字に極端に弱い上に、記憶するのがとても苦手なのだ。だから勉強はまったくといっていいほどできなかった。
オレは何の記念日でもない平凡な日が好きだ。昨日と同じ今日。いつもの日曜日。そんな一日がとても愛おしく思えてならない。それは今日を精一杯生きるとか、毎日が特別なのだとかいう、説教くさい価値観では決してない。あえていえば、普通の日の中にあるちょっとした発見、いやそれが新しものでなくても、昨日と同じだったなあ、という感慨でもいいし、そんなものが何もない日だったという結果でもいい。そんなh日が好きなのだ。あるいは、特別な記念日がもたらす、妙に白々しい気分に馴染めないと言った方がいいだろうか。
この世は、記念日などなくても、充分に魅力的だ。むしろ、記念日を作り、派手に祝えば祝うほど、一日の本質的な魅力から遠ざかっていくような気がしてならないのだ。







12.23
幕張メッセで行われたジャンプフェスタに行った。
去年に続いて二回目。テロリストの脅迫に屈して黒子のバスケ関連の展示がなかったためか、去年より空いていた印象がある。もっとも、オレが会場にいたのは一時間ほどで、ほとんどを幕張の海で写真を撮っていた。
でも、撮るなら、やっぱ鳥だの海より、女の子の方がいい。






















12.23
『植物アート展』国立科学博物館 筑波実験植物園にて本日より開催。『筑植写真コンテスト』の応募作品も展示されているとのこと。オレの写真も展示されているはず。お近くの方は是非。遠くの方もよろしければお運びください。






なんかね、
オレはもういいかな
って、
気もするんだ。





12.21
ほうれい線というのがあるそうな。
初めて知った。
Wikiによると、
『主に加齢によって中年以降に目立ち始めることが多く、若年期までは目立たない人もいる。ほうれい線の深さは見た目の年齢を大きく左右する。』
なんじゃ、思いっきりでとるがな! ありえねえ。






人間は自由の刑に処せられている。
ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル






12.20
小学五年か六年のときだったと思う。
友人とふたり、インスタントラーメンを作って食べたことがある。
彼が住んでいたのは五階建ての市営住宅。その最上階の部屋。北向きの台所は暗いが清潔だった。
二口コンロの両方に鍋を掛けた。お湯が沸騰し麺を入れる。少し柔らかくなった麺を、箸でほぐすオレに彼はいった。
『そんなことしなくても、このまま煮ればいいんだよ』
あのときの彼は誰だったのだろう。顔も名前もまるで思い出せない。
今日の昼にインスタントラーメンを作った。
オレは今でも同じように、箸をせわしなく動かして麺をほぐす。そして、そんなとき、決まってあのときのことを思い出すのである。







12.19
このままではダメだと、朝8:00から夜11:00まで働いた。一か月続けても売り上げは上がらない。そりゃそうだ。昨日なんてほとんど仕事にならなかったのだから。小説も惨憺たる状況。
よい仕事をしようとしたら、よりよく休まなければならない。不眠不休で働いたとて、結局どこかにしわ寄せはくるものだ。小説は特にそうで、如何に書くかは、如何に休むかと同義だといってもいいくらいである。
金も使わなかった。350mlの缶ビールもどきを12本買った。たったそれだけ。いや、公園の駐車場代として、200円を二回払った。だから合計約2.000円/一か月。
オレは何をやっているのだろう、という気分だ。







12.18
『人という字は、人と人が支え合ってできている』
義と恩の押し売り。すり替え。打算。交換トレード。
うんざりする。
人は支え合うのではない。
まず自分の足で立つ。
しこうして後、支えるべき者がいれば支える。
あるいは、支える者がいる。支えられる者がいる。
それだけのことだ。
相互関係など不要。







12.17
民主党が政権を獲ったのが2009年8月。
オレは同年5月に日本ホラー小説大賞を受賞、10月に受賞作を上梓し、デビューした。
まさに起死回生。疑問と不安を抱きながらも、国、個人ともに希望に満ちた年だった。

あれから三年。
民主党は惨敗し、昨日再び自民党に政権が移動した。
しかし、自民党に倒れかけたこの国を立て直せると思っているひとは多くないだろう。
ダメなものは誰がどうやってもダメ。
この三年間で多くの国民はそう実感したに違いない。
59%という戦後最低の投票率を記録したことが、それを裏付けている。
少なくとも、かつてない国難にあって、政治に関心がないとは思えない。

三年経って、オレもまた、デビュー前と似たような状況に戻ってしまった。
だから、責任を取って党の代表を潔く辞任した野田総理の心中もよく分かるような気がする。
彼は実際政治家としての信念を全うし、私利私欲、党利党略を捨て、政策実現に全力を尽くしたと思う。
比べるべきものではないし、比べるのもおこがましいが、オレもまた自分の存在意義を賭け、全力で小説に挑んだ三年間だった。

今はまだこの三年間がどんな意味を持っていたのかわからない。
オレも、国もそのことは同じだ。
もちろん良い三年間ではなかった。沈滞と忍耐の三年間だった。そのことを恨んでも仕方がない。
ただ、せめて後日振り返ったとき、辛くとも重要な意味を持つ三年だったと、必要にして重大な三年間だったと、そう回顧できることを願うばかりだ。



昨日つくば市のショッピングモール『iiasつくば』の屋上から撮影した富士山。






一応こっちにも書いておこうか。

オレは正論は吐かない。
正論は書き手の魂を腐らせ
作家を死に至らしめる。





12.15
奥さんに食わせて貰って、それで作家になったようなヤツが多い。
甘ったれた小説書きやがって。
だから、女に受けて、それで売れるのか。
気分が悪い。







12.14
民主主義が好きになれない。
たとえば憲法を改正するのに国会議員の2/3と、国民の過半数の賛成が必要だという。
逆に言えば、その数さえクリアすれば、憲法は改正され、それがどんな法だろうと、国民の半数-1は、新しく制定された憲法に従わなくてはならない。
憲法は国の形だ。自らが良しとしない国の形を持った国に住むという屈辱を、民主主義だからという理由だけで押しつけるのが、民主主義である。
国の形が二分されたら、国民も二分されるのが本来の在り方だ。だから、オレは民主主義ではなく、個人主義を標榜している。
そんなことをいったら、まとまらないという意見を子供の頃から何度も何度も聞かされてきた。特に教師。
オレはまとまる必要なんてないのだと思う。なぜまとまるのか。まとまりたがるのか。
まとまるということは力を持つということだ。権力者を生むとういうことだ。
ばらばらでも、力強く生き、発展を遂げる手段はきっとある。学校に行きたいヤツは、行きたい時間に行きたいだけ行き、そうでないヤツは、そうでないことをする。会社も同じ。そういった混沌から、新たな秩序が生まれ、権力者のない新たな力が生まれるような気がしてならない。

まとまってはならないという法律を作ってもらいたいくらいだ。







12.13
相田みつをが嫌いだ。

つまずいたっていいじゃないか 人間だもの

うぜえ。







12.12
『本当のやさしさは、きびしいものだよね』

オレが即興で書いた一文。
昨日はこんな言葉遊びの、嘘と、傲慢について、長々と書き綴った挙句、アップしようと投稿ボタンを押したら全て消えてしまった。

閑話休題。

ネットの友人はある宗教を信じている。
彼はいう。
『自分の信じている宗教は平和思想に基づいている。皆がこの宗教を信じれば、必ず世界は平和になるのに』

その通りだろう。
しかし、世界が平和になるためには、別にその宗教である必要はない。この国の法律だって皆がきちんと守れば、殺人も強盗も起きない平和な国になるだろう。

道路交通法だって、全員がきちんと守ればおそらく死亡事故は滅多に起こらなくなるはずだ。
つまり、皆が同じ価値観を持ち、同じ方向を向き、同じ行動をとれば、世界は平和になるという訳だ。

それは、個人を捨てるということだ。個人を捨て、人間という巨大な塊の中の一個の細胞になるということだ。小さくいえば、大企業に就職するのに似ている。

『可能な限り個として生きたい』
そんなオレを嘲笑し、こんなことをいったアホがいる。
『そんなにひとりがいいなら、光合成でもしてひとりで生きたら』
そういえば、このアホとオレ様が似ていると言われたことがある。言ったのが美人の女性だけにかなりショックだったなあ。例によって会ったことはないけど。

人間は群れで生きる生物だという。だから助け合って生きるのが、本質であり善なのだと。しかし、それは同じ価値観を持ち、同じ方向を向き、同じ行動をする者たちの群れの中でのみ通じるローカル・ルールだ。

価値観の違う者を助けることはできない。もしできるというなら、その者は神か、傲慢の何たるかを知らない愚者である。







12.10
たとえば、ほのかさんという名の女性がいる。人妻好きのオレにしては珍しく独身の女性である。社長令嬢にしてスタイル抜群。ピアノも弾けて酒も強い。辛い物も強かったっけ?その上、高学歴で英語ペラペラ。ちょっとテンネンなところもまた魅力的で、とにかくモテモテの美女である。(オレは会ったことがないけど)
そのほのかさんのパソコンには白いヤギが住んでいる。いや、住んでいるのか、飼っているのか、はたまた居座っているのか、オレは知らない。ただ、その白ヤギさん。彼女が書いたお手紙を頻繁に食べてしまうのだという。そのことが原因で、フラれたと勘違いした男は星の数ほどいるらしい。まさに星野数男だ。
白ヤギさんの正体は彼女のパパだ。彼女のパパはサリーちゃんのパパほどに、ほのかさんを愛している。そして愛するがあまりに、彼女のパソコンに入り込み、宛先がうぜえ男の場合、むしゃむしゃとメールを食べてしまうのだ。哀れ星野数男。
一方、オレのパソコンには黒ヤギさんがいる。ヤツはオレが小説を書くのに熱中している間に、こっそりモニタから抜け出しては、オレ様の髪の毛をムシャムシャと喰いやがる。見てみろ、オレ様の頭を。風邪引きそうじゃねえか。髪じゃなくて紙を喰え馬鹿野郎!じゃなかったヤギ野郎!今度やりやがったら承知しねえぜ。







12.9
ヤフー掲示板にオレの別ハンを騙るヤツがいるそうだ。 ニセモノが出現するとはオレ様も偉くなったもんだ。







12.8
ホラ大の賞金で買ったパソコンをネットに繋いだ。専用のパソコンで小説を書いていられるほど優雅でなくなってしまったのだ。
更新プログラムは200近くあったし、無線はうまく繋がらないし、ウイルスソフトの契約はややこしいことになっているしで、セッティングに丸二日ほど費やしてしまった。おまけにメモリの増設や、外付けDVDドライブの購入などで結構な散財。それでも、苦労した甲斐あって、なかなか調子が良い。
これで、現在使えるパソコンが3台。ご丁寧に、XP、VISTA、7の三種類。しかも全てデュアルディスプレイなのはいいけど、大は30インチから、小は17インチまで6枚とも全部違っていて、まるで、つぎはぎだらけの障子みたいだ。
先日8が発売になったようだが、やはり良いのだろう。98からXPに買い換えたときは、技術の進歩というか、使い勝手の良さに感心したものだったが、そのXPも7から見ると、どうにもトロくて面倒なOSに思えるのだから、色々悪評があってもマイクロソフトは頑張っているようだ。
この文章は、そのVISTAで使っていたロジクールの無線キーボードを使って書いている。なかなか具合がいい。キーボードもマウスも数えきれないくらい持っている。別にパソコンが趣味な訳ではなく、気に入らない道具を我慢して使うことができないのだ。腕の悪さを道具で補うタイプだともいえる。
弘法筆を選ばず。オレも大師ほどの書き手になれるなら、間違いなく原稿用紙に万年筆を使う。いや、チラシの裏に100円のボールペンか。







12.7
作家だの小説家だのと偉そうに吠えて、恥ずかしくないのかと言うなかれ。そんなことは、このオレ様が一番よく分かっているのだ。




小枝にぶら下がって木の実を食べるメジロちゃん。
別にめじろしい姿ではないというオヤジギャグ。(- -;)






12.6
作家であると自認するなら、アマだろうとプロだろうと、誰でもいえるようなことを誰でもいえるような調子で述べてはならない。
たとえば、原発をなくして子供たちにきれいな未来を、などというどこかの政党が選挙カーから連呼しそうな間の抜けたキャッチフレーズや、子供心を忘れないことが大事だとかいう、聞いた方が赤面しそうな甘ったれた妄言や、自分で考え自分で行動しようという類の、何をどう考え、いかに行動するかという、最も大事な部分がすっぽり抜けた、つまりどうとでも捉えることができる、空疎なきれいごとを述べてはならないということだ。
また、たいそうな賞を獲った有名作家の言葉を引用して、自分もその通りだと思うなどといって、あたかも、自分がその大作家と同じレベルにあるような気分になるのも厳禁だ。
作家であるなら、自分の価値観を自分の言葉で語らなければならない。常識に沿った、言い古された、誰にでもいえるようなことしか言えないなら、本やマスコミから得た知識を披露するしかできないなら、その者は作家に向かない。筆を折った方がいい。
もちろん、今更新しい価値観が登場する可能性は極めて低い。しかし、たとえそうであっても、それを求めるのが作家という生き方であり、仮に古い価値観を踏襲するにしても、出来る限り新しい表現を用い、道徳という名の嘘と陳腐を排し、自分だけの言葉を駆使してそれを表現するのが書き手というものである。
作家とは一個の価値だ。誰とも似てはならないのだ。
書き手の数だけ道がなければならない。既存の道を進むのは、読み手のすることだ。







12.5
北日本文学賞の一次選考の発表があった。オレの公募生活はこの賞から始まったので、気になるところではある。知った名前もいくつか見られた。一次選考は三分の一ほど通過するとはいえ、毎回通る書き手を見ると、出来不出来の差が激しかったオレには、今更ながら羨ましく思える。
だた、これだけは言っておこうか。最終選考からが選考なのであって、それ以外の結果にたいした意味はない。それどころか、いくら最終の選考に残ったところで、受賞しなければ、それが直木賞であっても落選に変わりないのだ。嫌なことを言うようだが、毎回二次、三次というのは、安定した筆力の持ち主といえる反面、書き手としてのオリジナリティ、あるいは爆発力に欠けているのではないか。強烈な個性は、いつも一か八かの結果と隣り合わせだ。そして、読み手が求めるのは、社会が求めるのは、活字になるに足る個性だ。落選を恐れる必要はない。それがホンモノの個性なら、いつか必ず日の目を見るに違いないのだから。







12.4
おっさんになって、デブでハゲになって、オレはもちろん悲しいのだけれども、こうなるともう恋愛うんぬんという感じではなく、だから女性とお近づきになっても、口説かなくていいのだとだいぶ気が楽になった。もちろん、口説けそうなときは口説くけどね。







12.3
ヤマガラ君、木の実GET!




両足で大事そうに持って・・・
嘴でコツコツつついて殻を割って・・・
ご飯粒、じゃなかった、木の実が嘴に付いてますよ。







12.1
ユニセフから封書が届いた。開けずに捨てた。どうせ寄付の依頼だろう。表には泣きそうな顔でこちらを見つめる黒人の子供の写真が印刷されていた。オレは感傷に訴えるこの手の手法が好きになれない。『世界にはまともな医療すら受けられずに死んでいく子供がたくさんいる』それは分かる。彼等の苦境を思うとき、オレの胸も痛む。しかし、それは感傷に過ぎない。感傷に浸るのはいい。しかし感傷を基準に行動するのは危険だ。感傷は物事の本質を覆い隠し、時に誤った方向へ人を導く。なにより、感傷は悪や権力者に利用されやすいのだ。そして、感傷は人を差別し、言論を制圧する。気を付けた方がいい。








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