戻る


2013年3月





3.31
霧雨が降っている。花冷え。三月も終わりの日曜日。誰とも話をしない朝。寂しくもあり、寂しくもなしだ。







3.30
『となり町戦争』の三崎亜記氏は、かつて作品を書くために、あえてインターネットから隔離された環境に身を置いたという。報道で知ったことだし、随分前のことだから誤認があるかもしれないが、おそらく事実なのだろう。
インターネットの怖さは独特の双方向性にある。リアルな関係とは違う居心地の良さと言っても良いかもしれない。つまり、理想的な、というか、自分に都合の良い相手だけをモニタに並べ、心地よい言葉のやり取りを続けることが可能だということである。
書き手の仕事は、闇に向かって言葉のボールを投げ続けることだ。読者とのキャッチボールなどではない。インターネットとは対照的な一方向性が特徴といえる。表現者の表現は、いつの時代にも、これからの時代にも、それが基本だ。違うというなら双方向的な作品を書いて証明して欲しい。
返事のない手紙を書くのはしんどい仕事だ。しかし、返事を期待してはならないのだ。返事を期待した途端に、言葉は安きに流れる。相手の関心を買おうと偏向する。傷付けることを恐れて鋭さが失われる。
だから、オレは長い間、コメントを拒否してきた。一方向性を保ってきた。それでも、そろそろ良いのではないかと考え、SNSに手を出した。しかし、結果は見ての通りだ。
オレは古いタイプの書き手なのかもしれない。あるいは、本筋にいる書き手と言い換えることができれば幸いだ。
仲間は書き手の技術を磨くには良いかもしれない。しかし、書き手の魂を腐らせるのもまた仲間なのだ。気を付けた方がいい。



やまざくら





3.29
昨日銀行員が来た。事業系の融資枠を半減するという。すぐさま商工会にに駆け込むも、似たような返答。売り上げが大幅に減少しているため、融資すらまともに受けられなくなってしまったのだ。
昨夜twitterのアカウントを削除した。今夜facebookの登録を解除して、ブログは再びオフィシャルHPのみにする。コメントは受けられなくなるが仕方がない。もはやネットでお友達ごっこをしている場合ではないし、愚痴をこぼしているヒマもないのだ。
角川GHDが角川書店をはじめとする子会社9社と統合し『KADOKAWA』に一本化するという。内部は今、配置換えでごったがえしているだろう。角川GHDも合わせて10人いた社長がひとりになるのだ。担当編集だってどうなるか分かったモノではない。講談社では、編集が移動になって、新作のオファーが立ち消えになったことがある。光文社では一杯飲みましょうという話をなかったことにされた。ヤツらは約束を守らない。会社の命令が絶対だとはいえ、それは事実だ。
年内が勝負になる。まずは小説を書く。オファーがあるうちに書く。急がなくてはならない。約束が有効なうちに履行させなければならない。更に、急ぎながら結果を出さなければならない。売れない作品を上梓した瞬間、オレの作家としての生命だけでなく、事業者としての命も終わる可能性が高いのだ。
ブックマークもそのほとんどを削除する。そうすることで、自由な時間を捻出する。義理だの恩だの友達だの、寂しいだの、愛だの恋だの、オレはそんな人並みなことを言える身分ではない。
衣食足りてなんとやら。ロクデナシで結構だ。
ただ、残念ではある。実に残念だ。







3.28
なのはな







3.27
そめいよしの







3.26
しだれざくら







3.25
先々週の末は風邪ひいて熱を出した。それがようやく治ってきたと思ったら、先週の土曜日はぎっくり腰を発症。丸一日まともに動けなかった。昨日の午後から少しマシになったが、食べ放題に行こうと誘われても、とうてい立ったり座ったりできる状態ではない。仕方なく、オレひとり二合の白米をタッパーに詰め、海苔を敷き詰めた上に、二個分の卵焼き、ウインナー1袋を炒めたものを乗せ、公園で桜を見ながら車の中で食べる始末。まあ、所詮、弁当に勝る食い物はないのだ。
今朝もまだ痛い。悪いことばかりしているのでバチが当たったのだろう。しょうがねえ。







3.23
読む人もたいしていないのに、来る日も来る日も、こんなところでこんな記事を書いているうち、やがて3月も終わろうとしている。馬鹿じゃねえのオレ、と思う。
小説家として食っていくには最低一万人の固定読者が必要らしい。ひるがえってオレの場合、FBのお友達が25人、ツイッターのフォロワーは151人。これでプロとはちゃんちゃらおかしい。話にならねえ。







3.22
『去年はアルバイトにも行きました』
小さな工務店を継いだ大学の後輩から、遅れて届いた今年の年賀状。
『売上高が十分の一になった』
また、ある流通関係の会社に入った先輩から聞いたのは数年前だっただろうか。

バブル崩壊後のデフレ不況について、実感しているひとは意外に少ないのだと思う。おそらくオレの歳を基準にして前後5年。合計10年くらいの年代、そして自営業者かそれに近い場所にいる者にしか通用しないのかもしれない。

先日の報道で、経済的理由で自殺した人の数が大幅に減少したといっていた。合計の自殺者も十年を経てようやく三万人を割ったという。記者は景気回復の兆しだというがオレはそうは思わない。彼らはついに死に絶えたのだ。

バブル崩壊後の失われた十年。多くの自営業者はどうにか持ちこたえた。次の十年で立て直すべく、資金繰りを重ねた。しかし、更に十年、景気は更に落ち込んだ。

三万人の自殺者のうち、三分の一が経済的な理由だと仮定した場合、十年で十万人が死んだことになる。オレの推測はたぶんそれほど外れていないだろう。

オレの住むこの北関東の田舎町にはオレと同業の自営業者がたくさんいた。オレが開業した二十年前、その数四十数軒。しかし、二十年を経て残っているのは僅か三軒だ。不景気の津波はそれほど強大だった。

『夢を持って、一生懸命努力すること』
それがオレ達が若い頃に、教師や親、そして社会から教えられた、この国で持つべき価値観であり美徳だった。事実それを口にした連中はそのために充実した人生を送っていた。

しかし、彼らが成功したのは、夢を持って一生懸命努力したからではない。そんな時代だったのだ。ただそれだけだ。違うとは言わせない。昭和の高度成長期に夢を持って頑張って成功した連中の何人が平成のデフレ不況を生き延びたというのだ。地元の商店街を見ればいい。中小零細工場を見ればいい。それが答えだ。ただ、例外はどこにでもある。それだけのことだ。

オレたちの十年で生き残ったのは、頑張らなかったヤツだといっていい。努力しなかったヤツ。夢を見なかったヤツ。それを追わなかったヤツ。利口な連中だ。しかし、連中だって傷を負っている。寄らば大樹の陰。もちろんあの頃だってそんな価値観はあった。オレが選ばなかったというだけのことだ。

『去年はアルバイトにも行きました』
この苦しさが分かる者は少ない。東日本大震災のように見える被害ではない。オレはそれが悔しい。







3.21
今日は実業の締日。生きた心地がしねえ。
今月こそ、来月こそ、もう何年も何年もそう思い続けて頑張ってきた。しかし、実態は悪くなる一方だ。これ以下はないだろうと、もう、この下はないだろう。そう思って資金繰りをしたり、生活費を大幅に切り下げたことが何度あっただろうか。だが、そのたびに更に底を更新する日々が続いている。かつて、年における月あたりの最低売上だった金額が、今では最高金額となり、それすら高値の花に感じる始末だ。売り上げが上昇するなんていうことは、太陽が西から昇るのを期待するくらい絶望的観測になってしまった。

不景気二十数年に及び、借用書万金にあたる。
白頭かけば更に短く、渾て簪に勝へざらんと欲す。

もはや、オレの人生、愛も恋もへったくれもあったもんじゃねえ。
まあ、だから、そんなことを平気で口走る訳だが。

去年だったか、脳科学者の茂木健一郎氏にツイッターでケンカを売ったことがある。まあ、相手にされなかったが。
氏はいった。
『国破れて山河あり。一度負けを認めてそれぞれの山河に帰ろうではないか』
冗談じゃねえ。帰ることのできる山河がどこにある。山で、川で飯が食えるか?田舎で食えないから都市で失敗した人は自殺するしかないのではないか。都会で頑張ったけどうまくいかない。ふるさとに帰って田畑でも耕して暮らそう。そういう救済システムはとうに破壊されてしまったのだ。
国破れて山河なし。それがこの国の現状だ。カナンを失ったイスラエルの民だ。
インテリの小金持ちがアホいってんじゃねえ。ムカつくぜ。






赤い風船』をお読み下さった皆様、ありがとうございました。本当はあまりこういうお礼は述べたくないが、あえて書いておこう。なにしろオレの常識は世間の非常識だから。
『読んで頂きありがとうございました』というのは、商売人が口にする言葉であって、書き手と読み手の間に介在させるべきものではない。書き手と読み手は、同調するにしろ対立するにしろ、イーブンなのだ。オレは読み手の上にも下にも立ちたくない。本は商品でも、作品は商品ではない。そして、オレは本を作っているのではなく作品を書いているのだ。

可愛い女の子からこんな感想を貰った。無断でアップしてしまおう。

『赤い実のはなし。ラストについては色々思われることがあるのやもしれませんが、わたしはゆっくりと消えるのは、とても寂しくてよかった。むかし読んだ漫画で、精進料理をいただく崇高なお坊さんにヒントを得てダイエットクッキーを発明し、食べた人が体重が0になり、解脱して天に帰ろうとしてしまい、発明者があわてて浮き世の執着しているものを持ち出し、引き留めるというものがありました。まんがは執着したいものや、引き留めたいと支えてくれる人たちがいるわけですが、宮ノ川さんの作品にはそれがない。それが、寂しくもよい。世の中、そんなふうに仲間に囲まれて愛されて〜と生きている人たちの方が稀。非現実な中にある書かれている現実がとても、好きです。』

オレの作品に登場する主要な人物は皆孤独にある。
化身、おとうとの木、斬首刀、そしてやまなしで賞を貰ったハンザキも、皆、仲間もなく、欲しいとも思わず、自らの力を信じ、たったひとり生きる人々の物語だった。
そんなことは分かっていたはずなのに、こんな小品にまでその影が色濃く出ているとは思わなかった。

仲間なんてちゃんちゃらおかしい。人という字は支え合ってできているなど聞くと吐き気がする。一見ひとりでは生きられないように見えるのは、社会システムがそうなっているからに過ぎない。ひとりで生きられない者は、仲間が何人いたって生きられない。生きているように見えるか、生きているフリをしているだけだ。

マンガでも、ラノベでも、J-POPでも、仲間だの友情だのそんなことばかり多くて辟易する。どうしてそんなに仲間が欲しいのかオレにはよく分からない。仲間にいったい何を期待してるのだろうか。
自分の人生は自分で引き受けるしかない。
どれほど、親しい友人がいたとしても、そのことは変わらない。
無償の愛で結ばれた母子でさえ、腹痛を訴える子の代わりに母がトイレに行くことはできないのだ。
もし突然に心臓が止まったとする。そのとき彼に愛する者がいたとして、その者が自らの心臓を差し出したとすれば、彼は孤独でないかもしれない。しかし、次の瞬間彼は愛する者を失うのだ。人が生きるというのはそういうことだ。孤独とはそういう意味なのだ。
仲間とお酒を飲んで、カラオケを唄って楽しいなどというのは気休めに過ぎない。気休めで孤独は埋まらない。言うまでもないが、寂しいという感情とは別のものである。孤独とは感情ではない。







3.20
気欝。そりゃもう絶望的に。
八方塞り、四面楚歌、絶体絶命、神も仏もあるもんか。
『絶望は愚か者の結論なり』
昭和の格言は平成デフレの世では通用しない。
早めに絶望し、必要な手を迅速に打つのが生き延びるコツなのだ。



武田神社。やっぱ巫女さんでしょ。





3.19 無断転用不可
赤い風船    宮ノ川 顕



 正月が来た。目が覚めるとD氏は体重計に乗った。いや乗ったというよりも上に進んだと言った方がいいかもしれない。なにしろ重みがないのである。「ゼロだな」D氏は呟いた。もはやいいとか悪いとかではなかった。選択肢は他になかった。「今日、最後の赤い実を喰えばきっとどうにかなる」D氏はそう自分に言い聞かせた。
 玄関を出ると真っ先に石を拾った。そして、それを重り代わりにポケットに詰め込むと、そろりそろりとY神社へ向かった。
 元旦だというのに町は閑散としていた。多くの町民はより大きな社殿をありがたがって、より遠くの神社へ出かけたようだ。D氏は少しほっとしながら、けれども時折強い風が吹くのを警戒しながら、商店街を歩いていった。
 Y神社にはそれでも近所の年寄りが数人、初詣に来ていた。本当はD氏だってこんな年寄りではなく、やはり晴れ着の若い女性が見たかったのだが、今朝になっても着物どころか、伸びきったジャージを着るのがやっとの有様である。かえって若い娘などいなくて良かったのかもしれない。
 とてもじゃないが、たっぷりとお賽銭をはずむ気分になどなれなくて、僅かな小銭を賽銭箱に投げ入れると、拍手もそこそこに拝殿の裏に回った。ご神木を見ると今日も赤い実が生っている。これで最後だと思うといつもより赤いように感じる。すっかり味を覚えた舌の奥に唾液が滲んだ。
 恐ろしい予感がしないわけではなかったが、今更引き返すわけにもいかず、D氏は心なしか震える手で果実をもぎ取ると目をつぶって口の中に放り込んだ。これでよし。心臓が一段と高く鼓動した。
 きっとみるみるうちに痩せるに決まっている。そして、気が付けば体重だってそれに見合った重さに戻っているはずである。そうでなくてはおかしい。きっとそうなる。D氏はきっぱりと自分に言い聞かせた。これはあの老人に与えられた試練なのだ。決意が試されているのだ。ダイエットに正しく成功する。それはD氏にとって、もはや希望というより願望、切望の類であった。
 赤い実を飲み込んでからどれくらい経っただろうか。D氏は自分で自分の身体を固唾を呑んで見守った。だが、何も起こらない。丸太のような腕も、巨大な鏡餅のような腹も何の変化も現れなかった。それなら体重はどうだ。D氏は両足に神経を集中した。足の裏に懐かしい重さが蘇ってきはしないか。しかし、結果は同じである。
 おかしい。D氏がそう思ったときだった。一陣の風が鳥居を潜ってY神社の境内に吹き込んだ。しめ縄が大きく揺れて社殿の扉がガタガタと音を立る。僅かに掃き残された木の葉が舞い上がり風圧を受けて身体が流された。危ない。D氏は咄嗟に腕を伸ばした。腕を伸ばしてご神木につかまろうとした。
 しかし、D氏は瞬間遅れをとった。身体がふわっと宙に浮いた。足が地面を離れる。あっという間のことだった。みるみるうちに電線が目の前を通り過ぎていく。必死にもがいた両手が虚しく空を切った。
 しまった。大変なことになった。D氏は混乱した。石をもっといっぱいポケットに入れるべきだった。いや、それより鉄アレイを買っておくべきだったかもしれない。Hスポーツ店なら鉄アレイくらいおいてあるはずだった。
 けれども、そんなことをいくら考えても、もう遅い。どんなに手足をじたばたしても無駄だった。D氏の身体はどんどん上空へと昇っていった。
 だが、初めての経験なのに不思議と怖くはなかった。落ちる心配をちっとも感じないのである。やがてD氏は落ち着きを取り戻した。
 足元を見ると柿岡の町がもうあんなに小さくなっていた。やあ、クルマなどはすっかりおもちゃのようだ。あのマッチ箱のような建物はJ銀行だろうか。こうしてみると随分小さいようだ。生意気な支店長は今も机にしがみついているだろうか。くるりと姿勢を変えると町外れに役場が見えた。なるほど、余計な金をたっぷりとつぎ込んだだけあってなかなか立派である。しかし無意味とはこのことだろう。あれのおかげで誰がどれほど得をしたのか知らないが、結局みんなこうして上から見下ろす日がくるのだから。
 それにしてもいい気分である。重力から開放されただけで人間はこんなに自由になれるのだ。最初は焦りもした。混乱もした。しかし、今はすっかり平常だ。天に昇るのも悪くない。まるで子供の頃にお祭りで母に買って貰った風船。入道雲を越えてどこまでも高く、どこまでも遠く飛んでいったあの日の赤い風船である。「ちゃんと持ってないからよ」あのとき流した涙が懐かしい。
 見上げる空はどこまでも青く澄み渡っている。さて、この先どこまで行くのやら。とりあえず、行くところまで行ってみよう。行くところまで行ったらきっとあの老人に会えるだろう。会えば詳細を聞けるだろう。折れた杖を突いて、みすぼらしい格好をして、今考えると確かに死神にそっくりだったけれど、案外悪い奴ではないような気がする。
 そうこうしている間に随分高く昇ってきた。あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川。いや違った。あれが筑波山、あの光るのが恋瀬川だ。ははは。どうやら頭まで軽くなったようだ。
 向こうへいったら親父とお袋に遺産のお礼を言おう。懐かしいなあ。親父はケチだったから無駄使いをして怒っているだろうか。まあそれも仕方がないさ。それよりも、こんなことになるのだったら、お袋に新しいエプロンでも買ってくればよかった。
 どっちにしても楽しみだ。D氏は両手両足を大きく広げると深く息を吸い込んで静かに吐き出した。
 どこか遠いところで鐘が鳴ったような気がした。
  
 了


無断転用不可
佐伯一麦氏





3.18 無断転用不可
赤い風船    宮ノ川 顕



 やがて一ヶ月が経った。その間、D氏は雨が降っても風が吹いても休むことなくY神社に通った。その甲斐があって体重はどんどん減って、今では小学生並みになっていた。歩くことはもちろん、飛んだり跳ねたりしても、もう畳が凹んだり、家が揺れたりすることはなかった。心身快調、気分爽快である。体重が軽いのがこんなにいいものだとは思わなかった。
 あと半月もすれば正月が来る。初詣には久しぶりに和服でも着て行こう。あの老人はきっと神か仙人に違いない。大分使ってしまったが親の遺産はまだたっぷり残っている。せいぜいお賽銭をはずむことにしよう。
 D氏はタンスの奥から着物を引っ張り出して身体に合わせてみた。だが、どうしたというのだろう。小学生並みの体重だというのに、大人用の着物の前が合わないのである。洗濯機で洗った覚えもないから縮んだわけでもないだろう。D氏は帯を引っ張り出した。だが当たり前のようにD氏の腰周りには短か過ぎた。
 体重は減っているのに、なぜか痩せていないのである。D氏は着物を放り出して考え込んだ。腹の中にたっぷりと空気でも詰まっているのだろうか。いやそんなはずはない。そんなこともあろうかと、昨夜もたっぷりと放屁しておいたのだ。S電気で買った体重計が壊れているのかもしれない。けれども、翌日にK電気店で買った体重計に乗ってみても結果は同じだった。
 やはりおかしい。D氏は思い切って病院に行こうかと考えた。しかし、迂闊なことはできなかった。頭を疑われて精神病院送りにでもなってしまったら、身元引受人のいない自分は一生出てこられないかもしれない。それでなくても、尋常でない体型なのだ。また、もし超常現象の類だ、ということにでもなったら、それはそれで今度は格好の実験材料にされてしまう。どちらに転んでもいいことはなさそうだ。
 だが、まあいい。体調はすこぶる良好なのだ。その上、体重は減っただけでなく、いくら喰っても増えないのである。悪くないではないか。今に何かのきっかけで風船がしぼむように痩せるだろう。D氏はそう自分に言い聞かせて、今日もY神社に出かけていった。
 やがて、暮れも押し詰まった。D氏の体重は減り続けていた。減り続けて今ではもう小学生を通り越して幼稚園、いや間もなく一桁だから乳児に近いだろうか。さすがのD氏も、もう赤い実を喰うのは止めようかと真剣に悩んでいた。しかし、もしここで止めたら、たちまちリバウンドという事態に見舞われるかもしれない。これほど体重が減って、しかし痩せてはいないのだ。本格的なリバウンドに見舞われたら命の保障はないだろう。
 やはり行くところまで行くしかない。D氏はおぼつかない足取りで今日もY神社に向かった。昨日四キロだった体重が今日はもう三キロになっていた。三キロでは新生児と変わらない。それなのに相変わらず体積はたっぷりとあるのだから、これはもう風船と同じである。
 ちょっと大きなトラックが脇を通るだけで身体がぐらぐらと揺れた。「馬鹿野郎!街中なんだから静かに走ったらどうだ」D氏が怒鳴りたくなるのも無理はない。さっきも危なく飛ばされそうになって、思わず電柱にしがみついたばかりなのだ。もっとも飛ばされるのならまだいい。引き込まれたら最後である。
 老人が言っていた正月まであと三日。一日一キロ減ったとしてもあと三キロある。ゼロより下はないだろう。こうなったら、それにかけるしかない。D氏は決意も新たに、ご神木から赤い実をもぎ取った。

最終章へ、続く・・・



山梨文学館ロビー






3.17 無断転用不可
赤い風船    宮ノ川 顕

  1

「まさかこんなものを喰ったからといって、この肥満体がどうにかなるはずないさ」
 D氏はサクランボによく似た赤い果実を、手の平でもてあそぶように転がしながらそう呟くと、馬鹿みたいに大きな口をあけてから、まるでビタミン剤でも飲むように口の中に放り込んだ。飲み込む間際に軽く噛んでみると、舌の上に甘いようなすっぱいような味が広がったが、それも束の間のことで、つきたてのモチを何段にも重ねたような大きな腹の中を転がって胃袋の奥にすっぽりと収まった頃には、もう味も素っ気も消えてなくなり、D氏はまた敷きっぱなしの布団の上に寝転んだ。
 D氏の身体は立ち上がることすら困難なほど太っていた。何不自由のない暮らしがもう何年も続いていた。両親が死んで遺産がたっぷりと転がり込んできたのだ。もともと働くことが大嫌いで、喰うことが大好きだった。不幸中の幸いとばかりに喰い続け眠り続けた。たちまち太ったのも当たり前である。だが、問題なのはただ太ったというような生易しい太り方ではなかったことだ。D氏の肥満は尋常ではなかった。なにしろあまりに重くて、体重計を幾つも壊したくらいである。おかげで、今ではもう何キロあるのかすらわからなかった。
 あまりにも身体が重いので近頃ではほとんど寝たきりの日々が続いていた。このままではいけない。さすがのD氏もそう思った。明日にも重大な危機に陥るだろう。だが、異常な肥満は時間感覚をも狂わせるのだろうか。何とかしなければ、と考えたのが一ヶ月前なのに、やっと起き上がったのが今朝のことだった。
 昨夜のことである。ひとりの老人がD氏の夢枕に立ってこう告げた。
「Y神社のご神木の幹に赤い木の実が生っている。それを喰うがいい。さすればたちまち身体は軽くなるだろう」
 どうにも胡散臭い老人だった。仙人だといえば言えなくもないが、貧乏神だといわれればむしろそちらのほうがぴったりだった。土色に汚れた着物はところどころにツギがあたっていたし、突いている杖は途中で折れているらしく、ガムテープのようなもので補修がしてあった。
 怪しい。まったく怪しい話である。だが、D氏は信じた。なぜなら老人が鶴のように痩せていたからである。もちろん安手のダイエット広告ではあるまいし、D氏だってあまりにも安易だと思った。しかし、溺れる者は何とやら。今更運動などしたくはないし、だからといって食物を減らすなんて、考えただけでも身が細る。まあいいさ。「騙すより騙されろ」だ。
 外に出るのは何年ぶりだろうか。立ち上がっただけで激しく息切れがした。なにしろ歩くのはトイレに行くときと、たまに風呂に入るときくらいで、食事は出前持ちに枕元まで運んでもらい、洗濯物は足元に溜めておいてクリーニング屋に取りに来てもらうという始末なのだ。それでもやっとの思いで靴を履いたのだが、今度は玄関ドアに腹の肉がつかえて、危うく立ち往生しそうになった。
 久しぶりに見る町はすっかり秋の気配で、ところどころに真っ赤な柿の実がたわわに実っていた。町名が柿岡というくらいだから、生っている柿もうまそうである。D氏は思わず生唾を飲んだ。だがD氏にだって理性はある。目的はY神社のご神木だ。寄り道などしている場合ではなかった。D氏は何年ぶりかの長距離歩行によろよろしながらも、消防署の脇の坂を上り、A薬局の先の交差点を右に曲がった。N書店の前に来ると、人だかりがしていた。聞けばここの店主が町長になったのだという。それはおめでたい。せっかくだから振る舞い酒でも頂こうと思ったら、そういうことはしていないのだという。残念ではあるけれども、それはそれで結構なことである。
 Y神社の祭神は知らないが、裏にあるご神木のケヤキならよく知っていた。子供の頃はよくここで蟻地獄を地獄に送って遊んだものだった。
 D氏はさっそく石段を登って拝殿の裏に回った。澄み渡った秋空の元、紅葉したケヤキの葉がさらさらと音を立てて降り注いでいた。
 半分以上疑っていたのだが、赤い果実は確かに生っていた。太い幹から真っ赤な実がたったひとつだけ、まるでクリスマスの飾りのように細い蔓の先にぶら下がっていた。それはまったく不自然な光景だった。しかし、どこをどう調べても作り物ではない。少し迷ったがD氏はその実をもぎ取るとポケットにしまった。
 D氏が赤い実を飲み込んだ翌日のことである。起き上がると確かに身体が軽かった。嘘のような本当の話である。すかさずD氏は体重計を探した。しかし、残念なことにどれもこれも壊れていて役に立たない。まあいいだろう。夢に現れた老人は確か正月まで続けるように、と言っていた。ならば今日もY神社に行くとしよう。体重計は帰りにS電気店で買えばいいだろう。
 Y神社に着くと昨日と同じところに実が生っていた。よしよし。D氏は昨日とは打って変わって大事にもぎ取り、S電気店で一番高い体重計を買って急いで帰路につくと、今度は壊さないようにそっと体重計に乗った。多少みしみしいいながらも体重計はD氏の重みを受け止めた。自分の体重を知ったのは久しぶりである。しかし、現在の体重がわかっても昨日の体重がわからない。これでは減ったかどうか分からない。「残念だ」D氏は悔しそうに呟くと、赤い木の実を今度は良く噛んで味を確かめてから胃袋に流し込んだ。
 翌朝、さっそく体重計に乗ると確かに減っていた。D氏はうれしくなって何度も乗った。何度乗っても減っていた。久しぶりに外を歩いたのですっかり腹が減ってしまい、昨夜はI寿司の出前を三人前と、S精肉店に持ってきてもらった鳥の唐揚げ五百グラムを、きれいに平らげたというのに体重は減っているのである。これはいい。D氏はうれしくなって思わず飛び上がった。だが油断大敵。数センチしか飛ばなかったのに畳が凹んで家がぐらぐらと揺れた。危うくタンスが倒れて下敷きになるところだった。やはりまだまだである。
 翌日も、翌々日もD氏はY神社に出かけた。夢枕に立った老人はああ見えても紳士だったようだ。約束どおり体重は日ごとに減っていくし、赤い木の実は行けばちゃんとそこにある。大分体重が軽くなったおかげで近頃では歩くのも苦にならない。しいて言えば体重は減っているのに痩せたという感じがしないのが不満であり不思議だったが、D氏は決して訝ったりはしなかった。きっと見えないところで贅肉が落ちているのに違いないのである。
 今日もいい気分だった。天気は良いし心も身体も軽やかだ。D氏は鼻歌を歌いながら柿岡の商店街をY神社に向かって歩いていった。「散歩ですか? 毎日精が出ますね」U自転車店の主人が声をかけてきたがD氏は生返事でごまかした。自転車店の主人は痩せているが、商店街には太目の店主が大勢いる。誰が聞いているとも限らない。なにしろ赤い木の実は一日ひとつしか生らないのである。確認したから間違いない。

続く・・・



山梨文学館





3.16
実業の落ち込みはがありえねえレベルで続いている。去年、巨額資金(オレにしては、だが)を手当てしたのに、このままでは、あれから一年を待たずに、再び借金生活に突入するのは間違いない。生きた心地がしねえ。正直にいって、お気楽なエンタメ小説なんて書く気分ではない。
経済的理由で自殺した人の数が大幅に減少したとの報道があった。記者は法的救済の整備が進むと同時に、経済が好転し始めたのだと論じていたが、アホ丸出しだな。バブル崩壊から20年余、死ぬほどの借金を抱えた奴らは、その間に首を吊って死に絶えたということだよ。全ては手遅れだったということさ。そして、オレのようなギリギリ生き残っている残党が現役を退く頃、オレ達の年代の屍の上、この国に経済は何もなかったように立ち直っているだろう。

2006年に地元町民文化誌『ゆう』に発表した『赤い風船』という20枚の掌編小説を三回に分けて掲載する。出版社は新しい作品にしか興味がなく、全集でも刊行されなければ、この作品が日の目を見ることはなさそうだ。書けないなら古い作品で誤魔化そうという姑息な手段という訳だ。
なお、作品の舞台はオレの住む北関東に田舎町。主人公のDという名前はオレのハンドルネームとは関係ない。







3.15
たとえば命懸けで小説を書くといった場合、煙草も酒も止め、きちんと運動をし、食事や睡眠にも気を配り、よって健康な肉体を維持し、その結果、強靭でしなやかな精神を得ることによって、より良い小説を、一日でも長く、一枚でも多く書くことを意味する。決して、自堕落な生活をし、不健康な毎日を送り、よって命を縮めながら、ペンを握るということではない。
本当にいい仕事をしたければ、生活を正しくすることが大事だ。麻薬を使わなければ、麻薬患者を書けないなら小説家は廃業した方がいい。あの太宰治ですら、良い仕事をした時期は、生活もきちんとしていたという。
無精の畳にあぐらをかいてはならない。言い訳の布団にくるまってはならない。命懸けと称して、死という究極の逃避に色目を使ってはならない。
地味でしんどいことだが、命を懸けて仕事をするとは、そういうことなのだ。







3.14
やまなし文学賞の受賞席に出席。
文学好きの山梨美人をナンパして、あんなことや、こんなことをしてやろうと、ロクでもないことを妄想していたバチが当たったらしく、風邪をひいてしまった。
都内の渋滞を避けるため、朝5:00に家を出た。時間があったので、ヤクを打ちつつ・・・もとい、風邪薬を飲みながら富士山へ。
まあ、色々あったような、何もなかったような一日だった。ただ、ひどく疲れた。
7年前、オレの作品『ハンザキ』は佳作だった。当時の受賞式で、圧倒的だったとか、全応募作の中で図抜けていたという話を数人から聞かされたが、今回改めてそのときの様子を聞くことができた。選考に携わる多くの人が、オレの大賞を信じて疑わなかったという。ただ、選考委員の中に、たったひとり強固に別の作品を押す人がいたのだそうだ。
大賞は本になる。佳作は新聞連載だ。物書きにとって、それが本になるかどうかは、最も重要な要素である。
『今に見てやがれ。必ず大手出版社から作品を上梓してやる』
あのときオレは、固く心に誓ったものだった。

今も内心期するものがある。しかし、こういった復讐のエネルギーでモノを書くのにちょっと疲れてきた。そんなことを思うのも風邪のせいだろうか。
ああ、オレの差し出した名刺を、椅子に座ったまま受け取った小説家がいたっけ。自分の名刺を出すでもなく、持ち合わせがないと弁明する訳でもなく、自らの名を名乗ることもなく、ただ座っていた。
次、同じことしやがったら、椅子ごと蹴り倒してやる。
まあ、オレが彼に頭を下げることは二度とないから、そういう物騒な事態にはならないのだが。






3.12
童画家・挿絵家の【猫目書房】さんが、個展を開催するそうです。詳しくはブログにてご確認ください。
http://bookscatseye.com/
オレは24日(日曜日)に行けたらいいなあと思っている次第。 
写真は去年の深川怪談にて撮影。美人だ。


無断転用不可





3.11
こうして、記事を書くたびに写真を掲載するには訳がある。
もちろん、せっかく撮った写真を見て貰いたいという気持ちが第一なのだが、こうまで写真に拘るのは、このFBというヤツは、写真を掲載しておかないと、記事の修正ができないからだ。
相変わらず誤字脱字が多い。せっかちなので、ぱぱっと書いてさっさと投稿ボタンを押す。読み直すといつもタイプミスがある。文章も乱れている。そこで、何度となく編集するハメになるのだ。
稀に他の方のFBやブログの記事にコメントすることもあるが、非常に緊張する。ミスタイプはないか、誤字脱字はないか、文章はおかしくないか、なにしろ、図々しくも小説家を名乗っているのだ。笑われるような文章は書きたくない。が、やはりミスる。緊張するから余計にミスる。じゃあと気楽に書けば更にミスる。ミスコンに出たらグランプリ間違いなしだ。

あれから二年が経った。あの頃オレは『斬首刀』の推敲をしていた。ここ北関東の田舎町でも、かなりの被害があった。幸い死者は出なかったが、今まで生きてきた中で、最も激しい混乱だった。とはいえ、ガスはすぐに復旧したし、照明も確か翌日には点いた記憶がある。ガソリン温存のため、車は動かせないし、意外とヒマな毎日だった。特にすることもなく、三日後から推敲を再開した。
今も小説を書いている。まあ、ひどくのんびりしたペースだけど、一応書いている。
それがとても不思議だ。






3.9
先日のこと。
ショッピングセンターでの出来事だ
『ママー!ママー!ママー!』
振り向くと泣き叫ぶ小さな女の子。
傍らには真面目そうな若いパパがいる。
『×××だから』
懸命に慰めるパパ。
『ママー!ママー!ママー!』
しかし、頬を伝う大粒の涙は止まらない。
『だから、×××』
『ママー!ママー!ママー!』
女の子に聞く耳はない。
『ママー!ママー!ママー!』
もはや絶叫。
やがて黙るパパ。
嗚呼、パパよ哀しき。






3.8
デビューして数か月後のこと、新聞社の取材を受けた。質問にしばらく答えてから本を持って写真を撮影していたとき、同行の編集者がいった。
『足は組まない方がいいのではないでしょうか』
はっきりいって、オレの態度はデカイ。だから編集者は読者に反感を持たれないよう気を配ったのだろう。しかし、オレは今でも不満だ。そんなことでオレの本が売れなくなるならそれで結構だ。
いつからか、作家は読者の下僕となった。読者が喜ぶ作品を書くことが至上命題になった。資本主義のブタがペンを握ってどうでも良いことを書き連ねているに過ぎない。つまりエンタメなんて屁みてえなもんだ。ついでに純文はといえば作家と編集者で傷のなめ合いをしているばかりだ。
作家は死んだ。
もはや、作家のプライドは、この青い小さな花にすら到底及ばないだろう。

まあ八つ当たりだ。みっともねえ。訳もなくイラつく。






3.7
気持ちばかり焦って、なのに、どこかのんびりしている。小説のことばかり考えて十年が経った。節目なのかもしれない。それがどんな節目なのか分からないが。






3.6
阿佐田哲也著『牌の魔術師』を、少しづつ読んでいる。気が付いたのは、小説というよりエッセイに近いスタイルだということ。事実もあるだろうが、虚構もあって、それらが混然一体となって、なかなかにリアリティ溢れる短編集となっている印象だ。
エッセイの賞をいくつか獲ったという人をネットの掲示板で見かけたことがある。作品が自身のブログに掲載してあるということで、同じ掲示板の知り合いが読んだところ、書き手の家族構成に明らかな矛盾があたったそうだ。本人に尋ねると、実はエッセイという名の創作だという返事が返ってきた。これはアウトだろう。先日の某小説誌にも、エッセイは事実を元に書くものだと、はっきり記してあった。
オレがネットの掲示板に出入りするようになったのは、もう十年近く前のことだ。初めは2ちゃんねるだった。北日本文学賞に初めて応募して落選。情報を探してネットの中をさまよっていて、たまたま見つけたのが同掲示板の『地方文学賞』というスレッドだった。殆どはロム専として過ごしたが、それでも一時期、頻繁に書き込んだことがあった。半年くらいだろうか。短かかったが、なかなか楽しい時間だった。
それから、しばらくして、ヤフー掲示板に移行した。ここでも、集中的に半年ほど書き込みを繰り返したが、ホラ大受賞もあって、その後はたまに出入りするくらいである。
そのヤフー掲示板も、今はテキストリームというスタイルに変わってしまった。たぶんオレはもう行かないだろう。時は既に流れ去ったのである。
掲示板で知り合った男がいる。仮に名前をXとしよう。アマチュアの小説家である。いや、アマチュアというのは正確でないかもしれない。確かに彼は本を出版したり、印税を貰ったりしたことはいという。しかし、その作品は他のどんなプロの作品よりプロらしかった。彼の作品を初めて読んだときのことは今でもよく覚えている。300枚だというその小説は、彼のブログにひどく見難いスタイルで掲載されていた。実に見事な出来栄えだった。読み始めたのが深夜だったもので、冒頭だけ目を通すつもりだったのに、気が付いたら朝を迎えていた。目を上げると窓が薄っすらと明るくなっていた。その様子を、体中から湧き上る感動とともに見たことを、今も鮮烈に思い出すことができる。
純文学ともエンターテインメントともつかない不思議な作風だった。内容は殺人に関するものだった。講談師は見てきたような嘘をつくというが、彼の場合はその更に上を行っていた。まるで映画でも見ているような圧倒的な風景描写。耳元でささやかれるようなセリフ。そのすべてが正にリアリティの塊だった。
文章は非常に巧みで、意表を突くストーリーも実に見事だった。
しかし、それらに加えて、Xの小説のリアリティを支えていたのは、それが事実に基づいているということだった。
Xが逮捕されたのは、オレが彼の小説を読んでから半年後のことだった。容疑は殺人である。
Xとは一度だけ会ったことがある。新宿の酒場だった。Xは酒に強い男だった。

・・・つまり、こんな書き方がエッセイ風の小説であり、阿佐田哲也氏の作風もこんな感じだという訳だ。
もちろん、掲示板で知り合ったXという男は架空の人物である。

あーあ、小説でも書きてえなあ。







3.5
『やまなし文学賞』から、歴代受賞者宛に授賞式開催の知らせが届いた。こんな案内が届くのは初めてだろうか。あるいは前にも来ていたのだろうか。どうもよく思い出せない。
3月13日、午後2:30〜3:30。平日だし、甲府は遠いけど、少し行きたいような気がしている。文面には歴代受賞者のご活躍の様子を伺いたいとある。オレは佳作だったから、受賞者というにはちょっと憚られるし、かろうじてデビューしたとはいえ、こんなテイタラクでは提げて行くツラもない。それでも、もし本が売れていたり、更なる賞でも貰っていれば、なお行かないだろう。
デビューの際には山梨日日新聞も取材に来てくれた。同紙は、やまなし文学賞の協賛紙であり、オレの作品を連載してくれた新聞社だ。同賞実行委員にはまだホラ大受賞の報告もしていない。行けば恩返しにもなるだろうか。
授賞式が行われる山梨県立文学館には、芥川が描いた河童の絵がある。それを見ながら一度原点に戻るのも悪くない。もちろんゲスなシタゴコロがないこともない。小説家としての営業という意味だ。
とはいえ、行ったからといって何がある訳でもないだろう。受賞者に若い女性がいる様子もない。なのに過去が嫌いなオレが、こんな気分になるのは珍しい。気が弱っているのかもしれない。







3.4
日曜日。雛祭り。曇りがちだけど暖かい一日だった。なのに公園に人は少なく、ついでに鳥も見当たらない。沈黙の春。レイチェル・カーソン。まさかと思いつつ、振り向けば原発。






3.2
実業の仕事が少なくて困っている。ヒマなら小説を書けばいいと思う。パンがないならケーキを食べればいいのだ。しかし書けない。困った。
北関東の田舎町。青い空。冬枯れの山。強い風が吹き荒れている。







作品集を作る話は白紙に戻った。
100作品300カット超の撮影だったが、彫刻家は満足できなかったらしい。
自分で再度撮影するそうだ。
それもいいだろう。
ひとまずオレは手を引く。

無断転用不可
 

  
転用不可

無断転用不可






3.1
先日落選した、地元自治体主催のフォトコンテスト。その最優秀作品が町の広報に掲載されていた。いつものことだけれども、悔し紛れに言ってやる。
オレの写真の方がずっといい。
大人気とか謙虚とか寛容とか、やっぱオレにはカンケーねえ。


無断転用不可





inserted by FC2 system