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2013年6月
6.29 第三回『幽』怪談実話コンテストにて、大賞を受賞された丸山政也氏にお願いして、受賞作品集『死神は招くよ』を送って頂いた。しかもサイン入り!である。面倒を承知で依頼したのだ。著者献本なら、出版社に送付先一覧を渡せば全て手配してくれるというし、本代も(送料も?)印税から引かれるらしいので、手間もかからない。にもかかわらず快く受諾してくれた丸山氏には心から感謝している。もちろん、これは保存用で、読書用には別にもう一冊買い求めている。(いや、氏がまだ受賞する前のこと、本が出版されたら十冊買うと約束したのだから、偉そうなことはまったく言えないが・・・) ちなみにオレは出版社経由での著者献本というのをしたことがない。献本される側の面倒を考えると、する気になれないし、それ以前の問題として、偏屈なオレには友人も知人もほとんどいないから献本したくてもできないのだ。そんなオレを見抜いているのか、編集者から著者献本の打診を受けたこともない。 初めて本にサインをして貰ったのは、官能小説家の尾崎嶺氏である。オレは普段自転車競技関係の仕事をしているのだが、氏もまた自転車競技を愛好しており、その縁で知り合ったのだ。小説家というのを生で見たのも、話をしたのも、それが初めてだった。自転車関係の打ち合わせでお会いしたのに、オレは小説のことばかり聞いたものだった。 次のサイン本は、津島佑子氏である。やまなし文学賞佳作を受賞した際、その授賞式で、選者である津島氏にお願いしたのだ。尾崎氏にお会いしてから半年か一年ほど経っていた。その後、ホラ大を受賞し、やはり選者であった高橋克彦氏と対談した折、著書にサインをして頂いた。 デビュー以来、小説家と会う機会も少なからず持てるようになった。しかし、サインを頼んだことはない。会うといっても、たいていは出版社主催のパーティ会場でのことだ。サインを貰って歩く訳にもいかないのだ。実に残念だが仕方がない。オレは有名人大好きのミーハーだから、個人的に会う機会があれば迷わず頼むだろう。AKBのサインだって、くれるというなら是非貰いたい。 丸山氏の怪談コンテスト受賞作『もうひとりのダイアナ』は短編である。その一作を足掛かりに、更に多くの作品を書き、一冊の本にするには大変な努力と労力が要っただろう。オレも短編で受賞し、書下ろし二編を加えてのデビューだったから、その苦労はよく分かるつもりだ。もっとも、丸山氏の才能を持ってすれば容易いことだったのかもしれないが。 最後になってしまったが、改めてお祝い申し上げます。 丸山さん、出版おめでとうございます。 |
6.28 気分の浮き沈みが激しい。 最高のアイデア! オレって天才! そう思った数時間後には、もう絶望的な気分に沈んでいる。 もともとそんな気質ではあるのだけれども、あまりにもそれが激しくて、いたずらに疲労ばかりが蓄積されている感じだ。 とにかく安定したい。あらゆる意味で。 |
6.26 妙に忙しい。夏至を知らずに過ごしたのは記憶にある限り初めてだ。 |
6.25 超高齢化社会が来るという。まあ、その通りなのだろう。しかし、それをおそれる前に、年齢とはいったい何なのか、今一度よく考えた方がいいかもしれない。 たとえばオレだ。 あなたから見て40歳だと思えばそうかもしれないし、45歳だと思うのならそれでも全然差支えない。この程度の差なら見事なまでに無きに等しいのだ。 仮に年齢のデノミを行ったとしよう。それまでの60歳を50歳にするとどうだろう。この際だから0歳児はどうするかという疑問は割愛する。 60歳が50歳になったところで何の不自由があるというのか。あるとすれば、定年と年金という社会制度に基づく生活設計に狂いが生じるくらいのものである。それだって、もともとこの国の先人が、たいした根拠もなく作っただけに過ぎないのだ。 これを見ているあなたが30歳だとする。しかし本当に30歳である保障はどこにもない。親に生年月日を聞かなければ自らの年齢など知る由もないし、この世からカレンダーが無くなってしまえばそれきりのことなのだ。 自らの年齢は自らが決める。自分が食べる分は自分で稼ぐ。人間に定年などない。生きるに必要な食料を生産するか獲得できなくなれば死ぬしかない。動物界において本来当たり前のことこそ、超高齢化社会を生きる唯一の方法だと、オレは思っている。 蛇足だが、働けなくなった人間を切り捨てるという意味ではない。 労働とは尊いものだ。労働とは生命の使命であり、生きることそのものなのだ。 |
6.24 雨・・・、だな。 |
6.23 オオワシのような顔をしているが、実はムクドリ君だという事実。 とはいえ、 ムクドリにしか見えないオオワシよりは良いのかもしれない。 人は見かけによるものだ。 どれほど隠そうとも、本物はその魂が表ににじみ出るものだし、どれほど繕っても、偽物はその浅薄な心が透けて見える。 つまり、彼がオオワシに見えるのなら、種の問題はともかく、その魂はオオワシに違いないし、彼がムクドリにしか見えないなら、彼の本性はオオワシでなくムクドリだということだ。 顔は作るものではない。できるものなのだ。 |
6.21 今年のホタルより、去年見たホタルの方がきれいだったと思うのは、まだ信じる未来があるからだ。 もし、去年のホタルより、今年のホタルの方がきれいだと思うようになったら、それは一歩寂滅に近づいた証かもしれない。 気を付けた方がいいだろう。 |
6.20 『忙しいのは良いことだ』 かつて、よく言われたものだった。 『どうせ儲からないならヒマな方がいいですよ』 その都度、憎まれ口を叩いたのを思い出す。 早すぎる隠居に魅力はあるが、余生のない人生も悪くない。 ただ、それを決めるのは、今の自分ではなく、これまでの自分に違いない。 |
6.18 話がものすごい勢いで進んでいく。 まさに激流。 怖い。 岩に激突し、粉々に砕け散ってしまいそうだ。 オレ様も臆病になったもんだ。 |
6.17 日曜の昼下がり。 激安物件を見に行った。 猫の子一匹通らない北関東の某駅前。 不動産屋の案内で中に入る。 太い柱。高い天井。頑丈な小屋組み。 まだまだしっかりしている。まさに激安。 貸ギャラリーという構想が頭から離れない。 改装すればかなり良くなる。 絵画も良いが陶芸にも向いていそうだ。 窓を塞いで照明を工夫すれば雰囲気も出るだろう。 書斎兼寝室棟を売り払って購入したい。 これなら実業の仕事をしながら商売ができる。 しかも駅前。 東京にだって飲みに行ける。一石三鳥。 もちろん命懸け。 それでもいい。 計算上ではさほど借金が増える訳ではない。 何より小さくても美術館を所有するのだ。 こいつは悪くない。 できることなら、企画展がしたい。 客など入らなくてもいい。 とはいえオレは忙しい。 今から管理人を募集しようか。 |
6.14 暑い。 オレは暑いのが苦手だ。 女の子と寝るのに、その身体が熱くて参ったことを思い出す。 むかしむかしのことだ。 |
6.13 『あじさいの庭』という小説を書いたことがある。 好きな作品だった。 ダンプカーの運転手をしていた父と不仲だった俺は、若い頃に家を出た。やがて、結婚して息子が生まれた。子供はやがて成長し、高校生になると俺に反発するようになった。警察沙汰を起こした日。怒鳴りつける俺に反抗的な態度を取る息子の目は、あの頃の俺にそっくりだった。 ・・・という小説。 もう発表する術はない。 『おとうとの木』でその大部分を使ったからだ。 『あじさいの庭』 (最後の部分を抜粋) この数年の間にめっきり酒量が増えた。 若い頃はあんなに嫌っていたのに不思議なもので、今ではアルコールなしでは一日たりともいられない。 この年になっていよいよ親父に似てきたようだ。近頃そんなことをよく考える。 親父以下の人間はいないとさえ思っていたのに、今になってみると、あの時代のどこにでもいたありふれた中年男だったように感じるのは、自分が似てきているからなのかもしれない。 少しの金と毎日の酒が親父の欲望の全てだった。考えてみればささやかな望みだった。反発を感じるほどのことではなかったような気がする。 親父は早死にした。あんな仕事しかできなくても、右肩上がりの時代が生活の底を上げてくれた。 酒代に困らなくなったのが幸いだったのか不幸だったのか、希望通り呑んで呑んで呑み続けて、ついには血を吐いて死んだ。 まだ俺が事業で一定の成果を上げる前のことだった。 家を出た俺は新聞配達をしながら自動車整備の学校に通った。学歴がないのだからせめて資格を取ろうと考えたのだ。やがて修理工になり、技術を身につけながら、業界の仕組みと、ついでに世間の表と裏を学んだ。 そのうち中古車販売に手を出してそれがうまくいった。運もよかったし、時代にも助けられた。 世の中から見れば取るに足らないものでも、中卒の学歴なら成功した部類だと思っている。 お袋はそれを見て安心したのか、ある日庭で倒れたきり、そのまま逝ってしまった。 梅雨の間のことだった。 葬儀を終えて誰もいなくなった日野の家に帰ると、トタン屋根を叩く雨音が懐かしく響いていた。 ダンプカーがなくなってぽっかりと空いてしまった庭の片隅に、お袋が丹精を込めて育てたあじさいが見事な花を咲かせていた。 僅かに残された轍に沿って、いくつかの水溜りができているのをじっと見つめていると、やがて花の染料が滲むように溶けだして、あの頃の日野川のように赤く青く流れていくようだった。 了 |
6.12 『文章作法1』を更新。 段取りについて。 |
6.11 本気で小説家を目指し、初めて北日本文学賞に応募したのが10年前。 やまなし文学賞佳作受賞が7年前。 そして、ホラ大受賞の電話を貰ってから4年が過ぎた。 なんだかんだの10年。 10年ひと昔。 昔からオレは小説を書いていた訳だ。 プロ4年目の4作目は難航している。 毎度毎度の難産というか、いつもの絶望的気分。 それでもいつもと少し違う。 10年やったのだからもう充分のような気もするのだ。 ただ、終わりにするなら、せめて4作目を出してからにしたい。 |
6.8 ツイッターと、フェイスブックを止めて二か月あまり。 まだそのくらいしか経っていないのかと思う。 思ったよりずっと静かになってしまった。 誰とも話をしないと、時間が経つのも緩やかになるようだ。 『文章作法1』を更新。 段取りのいい文章はつまらない? |
6.7 円が急騰。今日の日経も下げるだろう。 『文章作法1』を更新。 小説文とは? |
6.6 久し振りに『文章作法1』を、更新。 まず、核心を突け。 |
6.5 オレはサッカー日本代表が嫌いだが、もっと嫌いなのはサポーターとか呼ばれる連中だ。彼らは村上春樹氏のファンとなぜか同じ臭いがする。オレは別に村上氏が嫌いではないが、ファンの方はダメだ。先日、氏が新刊を上梓した際、深夜にもかかわらず書店の前に行列ができたという。まるで新興宗教の信者だ。 あの、異様なまでのはしゃぎっぷりはいったい何なのだろう。ファンとはそういうものかもしれない。しかし、タイガースファンや、村上龍信者と決定的に違うように思えてならないのだ。 ある、文芸評論家がこんなことを言っていた。 『太宰治という作家は、読者に、太宰だけが自分を分かってくれると思わせる作家ですが、村上春樹は、自分だけが春樹を理解できると読者に思わせる作家なのです』 聞いたときには、なるほど、うまいことをいうと感心した。 たぶん、こういうことなのだと思う。 『自分だけが春樹を理解できる』 『サポーターとは12人目の選手だ』 この、ボーダーレスというか、ある種傲慢な考え方に共通点があって、オレはそこに違和感を覚え、そのはしゃぎっぷりにイラっとくるのだ。 ホームタウンディシジョンはあるかもしれない。しかし、サッカー観戦者はあくまで観戦者なのであって、断じて選手ではない。協会に、チームに、放映権を持つテレビ局に、まんまと乗せられているだけに過ぎない。 村上春樹氏のファンも同じだ。いくら春樹氏を深く理解したところで、一読者であることに変わりはない。作家志望のファンの中には、春樹を理解した(つもり)ことで、自分が上等の物書きであると勘違いしている者がいる。特に男性に多いような気がするが、そういう者は書き手でなく評論家を目指すことをお勧めする。まあ、ファンになってしまえば評論もできないとは思うが。 『清志郎がいなくなってしまった。私はもうどうしたらいいか分からない』 ミュージシャンのイマワノ・キヨシローが死んだとき、ある有名な女性作家が朝日新聞に寄稿していた。オレは読んだとき、こいつはバカに違いないと思ったものだ。作家の言葉とは思えない。くだらないにもほどがある。こんな女の本が売れるのでは、オレの小説が理解されないのも無理はないと深く納得したものだった。 オレもイマワノ・キヨシローが好きだ。音楽は彼だけで充分だといってもいい。しかし、キヨシローが死んでもオレには何の関係もない。サッカー日本代表が負けてもファンの実生活には何の関係もない。村上春樹氏の本がどれほど売れても、どんな賞を獲っても読者には何の関係もない。 理由は簡単。所詮他人事だからだ。 他人から影響を受けることはある。だが、ただそれだけの話だ。他人はあくまで他人だ。傍観者が当事者ヅラするのは醜悪だ。 ジョン・レノンが殺されたとき、日本の有名なミュージシャンの何人かが喪章を付けたという。 『あれは若気の至りだったね。思い返すと恥ずかしいよ』 よしだだくろう、だっただろうか。井上陽水だっただろうか。そんなことを言っていたのを思い出す。 |
6.4 東証一部における一日の売買代金が3兆円を超えると、株式市況は活況だという。今日の報道では、五月の売買代金は82兆円。一日あたり3兆9千億と、それぞれ過去最高だったという。去年、安部総理が誕生する以前は1兆円を割り込む日が続いていた。『経済がダイナミックに動いている』といえば聞こえはいいが、日経も短期間に急騰したと思ったら今度は1.000円を超える暴落と、どうにも忙し過ぎるようだ。麻生大臣はコンピューター取引のせいにしていた。まあそれもあるとして、でもそれだけではないのだろう。取引額の60%以上を占めるという外国人投資家の動向も不気味に思えてならない。 数字が苦手なオレのことだから、間違っているかもしれないが、2011年におけるこの国の実質GDPが509兆円。それに対して、同年の東証一部の売買代金が354兆円。2007年には東証一部の売買代金が752兆円だったから、このままの活況が続けば、今年はそのくらいの金額になるのだろう。GDPも少しは伸びるのだろうか。 いずれにしても、GDPに比肩する金額が、証券取引所で動いているという事実。そして、その多くが外国人で、コンピューターだという現実。非常に危うく感じるのは、オレがグローバリズム嫌いのローカリズム好きだからかもしれない。 昨日紹介した藤巻氏が為替について語っている。 氏の予見と予言が正鵠を射ているかオレには分からない。おそらく誰にも分からないだろう。経済とは、マネーとはそういうものだと思っている。ヤフーファイナンス投資の達人における、2011、2012年株-1グランドチャンピオンの西村剛氏だって、勝率は53%。利益は出しているが、的中率は要するに当たるも八卦当たらぬも八卦なのだ。アメリカの著名なファンド、LTCMだって、ふたりのノーベル経済学賞受賞者を擁しながら結局は破たんした。藤巻氏もまた、似たようなものだろう。しかし、オレはそれでも構わない。オレは藤巻氏の言葉に魅力を感じる。力強く、シンプルで、ユニークなところに好感を持つ。 オレもまたそうありたいと思っている。 出来る限りシンプルに、力強く、ユニークな言葉を発したい。 まるで新聞記者のように、どこかの誰かが言ったような、どうでもよい言葉を、どうでも良い調子で語ったところで、それが少しばかり当たったからといって、それが何だというのだろう。少なくともそれは作家の言葉としては甚だ物足りない。 |
6.3 六月になったと思ったら、今日はもう三日。ありえねえ。 『みちのく怪談』に落選した自作『鬼の手形』 落選したのだから、それなりの出来だったのだろうと思っていたが、読み直してみると、これがなかなかどうして悪くない。正直なぜ落選なのかよく分からない。怪が弱かったのだろうか。まさか津波との関連が薄いためでもないだろう。オレはあのとき、あえて津波から離れるようにした。できれば、海でなく、川の鉄砲水に書き換えたいくらいだった。みちのく怪談であって、震災ホラーではないからだ。 この作品から想起して書いたのが、5月22日のブログに掲載した『浮き輪』である。幽霊が登場するから、むしろ応募はこちらの方が良かったような気がする。まあ、仕方がない。オレは、いつだって間が悪いのだ。 |
6.2 藤巻健史という人がいる。伝説のトレーダーだそうだ。オレは氏の言うことが好きで、というより説得力を感じるもので、コラムなどがあるとよく目を通している。 先日、アベノミクスの危険性を自身のブログで解説していた。 高学歴特有の読み難さが散見され、『オレが書きなおせばもっと良くなるのに』と、苦笑いしつつ、それでも、この手の人物にしては、説明も丁寧だし文章も平明で、好感が持てる。 アベノミクスというインフレ政策の危険性を氏はこう解説する。 インフレが起きる。株や不動産価格は上昇する。給料も上がる。 しかし、同時に『長期金利も上昇する』のだと。 長期金利が上昇して一番困るのは政府だという。なにしろ1.000兆円の借金を抱えているからだ。金利が年1%になれば、金利の支払は年額10兆円である。この国で最も税収の多かった年でも60兆円であることを考えると、この先、いくら景気が良くなっても、それ以上に金利が上昇すれば、利払いだけでこの国は破たんするというのだ。 事実、1998年、ロシアにおける国債利回りは60%〜80%にまで上昇したという。景気回復への期待から来る『良い金利上昇』ではなく、利払いの増大による国家破たんの懸念に起因する『悪い金利上昇』が起きた結果だそうだ。 先日の日経暴落は、外国人投資家が、そのことを嫌気して、一斉にマネーを引き上げた結果だと藤巻氏は分析している。事実かどうかは神のみぞ知るだろう。 経済はコックリさんに良く似ている。株、債券、為替、三人の指があって、、円やドルの上に乗っている。下には巨大な魔法陣のような絵があって、そこに無数の人の名や、企業、あるいは国名が記されている。三人の指を通して、コックリさんが、あるときはゆっくりと、あるときは素早く動き、それぞれの名の上で停まる。オレにはそんな場面が見えるような気がするのだ。 地球規模の資本主義は、頑張ればどうにかなるなどという、情緒的、感傷的なものではない。頑張った結果金持ちになったと考えるのは理由の後付けに過ぎない。つまり、松下幸之助や、本田総一郎は頑張った結果巨大企業を作り出したのではないということだ。 そこを勘違いしてはならない。神の前で傲慢になってはならないということだ。 |
6.1 ツーシーター・オープンモデルの二台がある。一台は言わずと知れたポルシェ・ボクスター:3.2Lで、もう一台はダイハツ・コペン:軽自動車。 年式はそれぞれ同じ2002年、走行距離も同じく4.9万キロ。新車時の価格帯はボクスターが584万円〜774万円で、コペンが157万円〜208万円。なのに、中古車価格はポルシェが155万円で、コペンが125万円。 価格は需要と供給のバランスにおいて決まる。つまり2002年、ポルシェに乗っていた人は多く、コペンに乗っていた人は少なかった。そして今、ポルシェに乗りたい人は少なく、コペンに乗りたいひとは多いということだ。 例に挙げた二台は、オレの論を補強するために、都合の良いものを選んだ。全体的に見ればやはりポルシェは高く、コペンは安い。しかし、クルマの性能、ブランドから考えれば、コペンに比べて、ポルシェが割安なのは明らかである。 この国の経済はバブル崩壊後の10年、あるいは20年において、スピード、パワー、価格、その他あらゆる意味で、ポルシェから軽自動車になってしまった。極端な話かもしれない。適当な例でないかもしれない。しかし、これは紛れもない事実なのである。 |