9.30 毎日毎日、嫌なこと、うんざりすることばかりだ。 |
9.28 描写が多ければ叙情的になり、説明が多ければ叙事的になる。 オレが書く小説の文体は、カッコつけて言うと、硬質な叙情文なのだが、色々思う所があって、近頃は描写と説明の配分を見直し、軟質な叙事文にしようと試みている。 とはいえ、なかなかうまく行かない。磨き上げ、築き上げた手法を捨てるのだから、それもあたりめえか。 ただ、いくら文体を改造したところで、オレの匂いは必ず残る。それは、オレという人間固有の匂いであり、つまり、作品が世に受け入れられるというのは、オレという人間が評価されるのと同じことだといえる。 作家は生まれながらにして作家だ。オレがいうのは、そういう意味だ。そして、そのことを思うとき、オレは絶望せざるをえないのだ。 |
9.27 犬派と猫派があるとしたら、犬派で間違いないだろう。猫も決して嫌いではないが、育った家に猫嫌いが多く、その影響があるようだ。 犬も猫も飼ったことがない。というか、まだ幼かったころ、実家で犬を飼っていたが、オレはよく覚えていない。 温血動物という範疇において、自分で飼ったことがあるのは、『リン』という名のオカメインコが一羽だけだ。初めてのペットだったのに、オレは三か月ほどで死なせてしまった。無知で未熟だったのが原因である。構い過ぎたのもよくなかった。 今も、何羽かのインコがいるが、飼い主はオレではない。とはいえ世話係はオレだから嫌になる。 犬も猫も飼ったことがないのに、こんなことを言うのもナンだけど、鳥の可愛さ、面白さというのは、また別格だと思う。 もし、次にペットを飼うとしたら、ヨウムがいいだろうか、フクロウがいいだろうか、いや、やはり鳥ではなく犬だろうかと想像することがある。とはいえ、今飼っているいるインコがまだ十数年は生きるだろうから、当分先の話だ。 |
9.26 彼岸花とはよく言ったもんだ。 確かにコイツは此岸の花じゃねえ。 |
9.24 近頃はあっちで遊んでいたから、こっちはちょっと手抜き加減になってしまった。 もともと手抜きだろうと言われればその通りだけどね。 |
9.23 北山公園というところに行った。 山の中だというのに、少年野球やら、ローラー滑り台やら、挙句はドラムの練習やら、妙に騒がしいところだった。 所々に実物大の写真を使ったマムシ注意の看板があって、それがまたリアルで、長モノが苦手なオレは思わず引いてしまった次第。 |
9.21 今日はもう土曜日か。 世間様ではまたまた三連休らしい。 いい気なもんだぜ。 |
9.20 久し振りに血圧を計った。 昨日の夕方のことである。 電池が切れていたので、入れ直しての初回チャレンジ。 125-175 見た瞬間、死ぬかと思った。 それからしつこく何度も計った結果、一番低く出たのが、 105-148 だったかな? |
9.19 肩が凝って仕方がねえ。 枕が合わないのだろう。 肌も合わねえ。馬も合わねえ。 おまけに礼服の前も合わねえ。 ついでに美女とも会わねえ。 本が売れねえと合うも会うも愛もねえ。 遭うのはひどい目ばかりだ。 あうあう。(+_+’) |
9.18 つくばの公園にナメコが生えていた。 |
9.17 台風が行き過ぎた。今朝は寒いくらいだった。 |
9.16 ネットで『進撃の巨人』を見る。 なかなか面白い。 |
9.15 台風。豪雨。とても写真を撮りに行くどころではない。 ビールの原料であるところのホップのテンプラが美味いのではないかと密かに狙っている。 しかし、肝心のホップを売っているのを見たことがない。 |
9.14 台風が近づいているという。 明日から三日は石岡のお祭り。 いつも天気が荒れる。 むかし昔、付き合っていた彼女が週末になると藤沢からやってきた。 その日の夜、いつものように電車を降りると、駅前はお祭り。 バスの出る場所も変わっていて、よく分からない。 携帯電話もない時代。 ようやく乗ったバスでオレの家に辿り着いた彼女は、貸家の狭い玄関で、オレの顔を見て泣いた。 |
9.12 先生と呼ばれることがある。 でもオレは『先生はよしてくださいよ』などとは言わない。 彼らはただミヤノガワサンと呼ぶより、センセーと呼ぶ方が楽だから使っているに過ぎないからだ。ありていに言えば、あだ名の一種であり、飲み屋で酔っ払いに『よお社長』と呼ばれるのとたいして変わりない。 なのに『先生はよして欲しい』などと言うのは、相手が本気でオレを先生と思っていると、自らの勘違いを堂々と述べているようなもので、それこそ赤面の至りというものだ。 ただ、『先生』という呼称に、先生と呼ばれるにふさわしい人物になれといった叱咤激励が込められているように感じたり、先生足り得る人物であって欲しいという微かな願望の類が垣間見えたような気がしたとき、オレは穴を掘って入りたくなるのだ。 野性時代が届いた。 目次をめくる。 嫉妬ですぐに閉じる。 オレが一人前の作家となるとしたら、この気持ちが無くなったときだろう。あるいは、そのとき、全てを諦めているかのどちらかだ。 |
9.11 去年の紅白歌合戦で、三輪明宏がヨイトマケの唄を歌って、それが大層好評だったという。近頃ラジオでそんな話を聞いたもので、どんなものかネットで視聴してみた。歌詞をまとめるとこんな感じ。 子供の頃小学校でいじめられた。ヨイトマケの子供汚い子供。泣きながら帰った道すがら母ちゃんの働く姿を見た。慰めて貰おうと思ったけど、学校へ帰った。勉強するよといいながら。あれから何年経っただろう。大学も出たぼくはエンジニア。ぼくを励まし慰めた母ちゃんの唄こそ世界一。 つまり、高度成長期の成功物語。ついでにマザコン。 マザコンといえば、宮崎駿も自らの映画をマザコンだと言っていた記憶がある。 強い母。努力。成長。そして栄光。 時代が再び要求しているのだろう。 そして半沢直樹のような、星飛雄馬のような逆転のヒーローを求めているに違いない。 維新の橋本代表なんかも、その類かな。 頑張れば頑張っただけの見返りがあった時代。それに比べてオレの生きてきた時代は、頑張ってもどうにもならない時代だった。三輪明宏がどれほどの苦労を乗り越えてきたのかオレは知らない。ただ、成長期の成功物語ほど、オレを苛つかせるものもない。 かつて軍国主義が民主主義にとって代わった。彼らは当時の大人を、教師を信じられなくなったという。オレには分かるような気がする。インフレからデフレへ。その価値観の逆転は、それくらいの衝撃があった。ただ、一夜にして変わった戦後とくらべ、非常に長く静かな変化だった。そして、それは向上心を持って頑張る者をピンポイントに狙い撃ちした。 僻みだというなら言うがいい。 |
9.10 涼しくなった。明け方は寒いくらいだ。だが、そんなことで驚かない。 オレの懐は相変わらずの氷河期。超氷河期といってもいい。ついでに才能の方も枯野原ときたもんだ。しかも、雪が降り積もっても真っ白にならねえという腹黒さ。 いいとこねえな。 |
9.9 書きたいことがあったのに忘れちまった。 まあ、どうでもいいことだけどね。 |
9.7 近頃の若い女性は、結婚をしたがらないどころか、恋愛も敬遠がちなのだそうだ。 なのに、会いたくて会いたくて震える西野カナは4.000万ダウンロードだという。 ネットで調べてみると、思った通り彼女のファン層は主に若い女性である。 オレはどうも若い女のこういう矛盾というか、嘘が苦手だ。昔むかし、四畳半フォークソングが流行ったとき、オレは女は銭湯に行ってキャベツを齧るのが好きなのだと勘違いした。もちろん実態は違う。彼女たちが好きなのは、風呂付の高級マンションで、バカ高い料理で、ブランド物のバッグだ。あれは歌だけの世界なのだ。だが、素直で間抜けで純情なオレは、真に受けてしまった。おかげで随分損をした。未だにトラウマになっているくらいである。 西野カナのファンで、会いたくて会いたくて震えた経験のある女性は非常に少数に違いない。 少なくとも、震えた経験のある女性のうち、そのほとんどは、震えたくて震えていた、というのがオレの推測だ。しかも本心から求めている訳ではないから始末に悪い。安っぽい願望。怖いものが嫌いだといいながら、お化け屋敷に行きたがる心理。怖いもの見たさならぬ、震えたさしたさ。 『勝手に震えてろ』綿矢りさ なるほど、時代をうまく捉えている。(読んでないけど) 西野カナ、綿矢りさ。名前まで似ている。 だからどうしたって? うるせえ、もてないおっさんの過去の恨みと、今のひがみだよ。 |
9.6 写真を撮りに行く暇がない。仕方なく庭のあちこちに被写体を探してはインスタントにチマチマ撮影している。今日は睡蓮の雄蕊?雌蕊? |
9.5 池井戸潤氏の小説が売れているそうだ。メディアの記事を読んだだけなので詳しいことは分からないし、間違っているかもしれないが、銀行員が主人公の企業小説だという。なんでも、主人公のサラリーマンらしからぬスカっとした言動がウケているようだ。これを読んでオレは真っ先に本宮ひろしの『サラリーマン金太郎』を思い出した。 それが文学足り得るかどうか。 もっとも大きな要因のひとつが、その作品が現実に根差しているかどうかにある。 つまり、どれほど突拍子もないファンタジーであっても、それが文学であるというなら、その根は深い所で現実に繋がっていなければならないということだ。 逆にそれがどれほどリアルな現実を舞台にしていても、その根がファンタジーに繋がっていれば、それは文字化されたマンガだということだ。 上記でいうところのマンガとは、つまり現実逃避だ。主人公のスカッとした活躍というのは、要するに見果てぬ夢であり、願望のかりそめの具現だからだ。 一方、現実に根差した文学の場合、描くのは夢を見る人間であり、願望の根源である。だから、同じく主人公にスカッとした言動をさせてみても、そこには如何ともしがたい人間の哀しみが滲む。それは、読者をあまり愉快にさせない。けれども、そこには、それが必要な読者の人生を変える力があるのだとオレは思っている。 マンガの主人公に憧れてサッカーを始めた。 これは変化ではなく遠い世界への憧憬、あるいは衝動だ。 自分の立っている位置は同じである。 一方、文学の起こす変化では、自らの位置が変わる。 どちらが良いという訳ではないが、その違いは大きい。 |
9.4 雨。 でも、あまり涼しくない。 オレは暑いのが嫌いだ。 暑いと汗をかく。汗をかくと髪の毛がぺちゃんとなる。 髪の毛がぺちゃんとなるとハゲが余計に目立つ。 だから、暑くて雨の日は最悪なのだ。 |
9.2 苦労は仕方がない。でも、要らない気苦労はしたくない。 一度合格を貰ってから、やはり不合格でしたという類の誤報。持ち上げてから落とす。ショックは倍増する。悪意はなくても恨みたくなるのが人情だ。 |
9.1 誘われて回転寿司に行った。 夏休み最後だからか、ひどく混んでいた。 待たされること30分以上。 外は雷雨。 混雑する店内。 湿気。 小説家たる自由の魂は一分ごとに減滅した。 ようやく座った席で、生ビールを注文する。 しかし、待てど暮らせど来やしねえ。 きっと注文の機械が壊れているのだ。 走馬灯にように寿司がオレ様の前を行き過ぎる。 喉の渇き、空腹。 ビールは来ねえ。 やがて自由の魂は死に絶えた。 |