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2014年2月
2.28 武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう! 汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで! 我々すべてが心を一つにして、 敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め! 進め!進め!進め! |
2.27 それにしてもだ。 もう少しナントカなんねーもんかなー。 このままじゃ、人生終わっちまうぜ。 |
2.26 今朝も書くことなし。 |
2.25 何も書くことがない。 |
2.24 久し振りにつくばのショッピングモールへ行った。 エレベーターの脇に鏡が設置してある。 ああ、トシ食ったなあ。 ありえねえ。 |
2.23 オレとチベットに移住してくれる女性募集中。 年齢容姿職業は問いません。 |
2.22 気が付いたら梅の花が咲いていた。 とはいえ、春は名のみの風の寒さよ。 |
2.21 何十年ぶりにウイスキーを買った。 チョコレートで一杯やろうと思ったのだ。 |
2.20 オリンピックはあまり見ていない。 理由は色々あるが、そのひとつに、注目する選手がいないというのがある。 女子ジャンプの少女はメダルを逃し、浅田真央も金メダル絶望だそうだ。 日本人選手はおよそこのふたりくらいしか知らなかったが、オレはおそらくこんな結果になるだろうと思っていた。 意外だったのは、スノーボード・ハーフパイプのショーン・ホワイト。彼もメダルなしだったようだ。 前回オリンピック。S・ホワイトの演技は未だ鮮明に覚えている。スノボにも、Hパイプにも興味はなかったし、彼のことも全く知らなかったが、その姿は、あの短い時間でオレの脳裏にしっかりと焼きついた。腰パンで物議をかもした国母選手を見た後、確か最終の演技だったと思う。 ショーン・ホワイト。ひとりだけ別の次元にいた。 浅田選手はさぞがっかりしたことだろう。 ただ、今朝の報道は良かった。いや、正確にいうと、彼女を写した写真は良かった。演技を終えて俯く彼女。そこに、人生におけるひとつの長い長い演技を終えた女性の、初めて見せた素顔があった。 |
2.19 売れている小説や、その作者に嫉妬して、罵詈雑言を吐くのは二流三流の証である。 とはいえ、二流三流であるにもかかわらず、泰然自若としているようなら、その者はその後も二流三流の域をでることはないだろう。 |
2.18 アルバムと日記の廃棄を完了した。 ついでに、あれもこれも処分しよう。 捨てるのはオレの最大の趣味なのだ。 |
2.17 やがて春が来る。 問題は雑草。 前の家が売れるまで、合計360坪の除草に追われることになる。 そこで考えたのがヤギ。 ヤギに草を食ってもらおうというのだ。 どうせなら数頭飼って、同じような悩みを持つ人にレンタルしたらどうだ。 が、オレ様の考えるようなことは、既に誰かがやっているもので、調べたらいくつも事例が出てきた。 しかも安いときたもんだ。 ありえねえ。 |
2.15 北関東の寂れた駅前商店街。 未明から暴風雨。 『北から吹きつけると漏りますよ』 売主の言葉通り豆屋ワンダーランドはあちこちから雨漏り。 仕方なく朝から点検に追われている。 とはいえ、雨漏りの悩ましいのは、漏っている最中は補修ができないことだ。 で、後日晴れても、のど元過ぎればナントヤラでやる気が起きない。 漏っているといっても土間だからそれほど問題もないのだ。 そうでなくても、オレは濡れ場に弱い。 |
2.14 『ひとそれぞれ』 訳知り顔でいうヤツを見るとイラッとくる。 つまり、評論家の言葉なのだ。 表現者にとって何の意味もない。 |
2.13 『星の王子様』が好きだと知り合いの女子高校生が言う。 『大切なものは目に見えない、とかいうあたりかな』 『えー、違うよ』 『じゃあ、どんなところ?』 『そーねー、大人はみんなキノコだってとこ』 何でその部分が好きなのか尋ねたが、彼女は、『だって、面白いじゃん』と、いってケラケラと笑うばかりだった。 はっきりいってオレは『星の王子様』が好きではない。 いかにも裏に何かありそうな書き方が鼻に付くのだ。 大切なものは目に見えないというなら、大切なモノとは何かを明らかにし、目に見えない理由をきちんと言葉にする。 それが、小説の大きな役割のひとつだと思うのだ。 まあ、あの作品はたったひとりの友人に宛てて書かれたという。しかも戦時中のことだというから、その友人にしか分からない暗号のような書き方がされていると考えるのが自然だろう。物語という体裁を借りた、個人に宛てた手紙であるなら、使われている謎めいた隠喩も、もっと狭義のものではないだろうか。さまざま聞こえるご大層な解釈には、作者もあの世で苦笑いしているような気がしてならない。 『子供には見えて大人には見えないものがある』 話はちょっと変わるけれども、たとえばこういった価値観を有するひとがいる。失礼とは思うが、女性か、女性に近いタイプの男性に多いようだ。 オレはまったく賛成できない。 『大人より優れた子供はいない』 それがオレの基本姿勢だ。 この場合の子供は、自身の子供時代か、それに近い者を想定している。 『大人は大切なことを忘れてしまった』 そんなことはありえない。 大切でないから忘れたのだ。いや、忘れたのではなく不要なモノとして、記憶の押入れにしまったに過ぎない。要するに幼すぎる視点や感慨であり、恥ずかしくて思い出したくもない手のモノという訳だ。 若さとは輝ける羞恥である。歳と共に輝きが失われれば残るのは羞恥のみだ。 オレは見ていないが、シャア・アズナブルも言っているではないか。 『認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを・・・。』(笑) 子供は天才。 子供は自由に考える。 子供は大人が見えないモノを見る。 オレがもし、生まれたときから大人だったなら、子供の優位性を認めてもいい。大人にはない何かを持っているという説を検討してもいい。 しかし、オレはかつて子供だった。子供の考えることくらいお見通しだ。 未熟、無知、経験不足。 それが、子供の実態である。 森の妖精も、真っ黒クロスケも、サンタクロースも、オレは見たことがない。仮にそれらしきものを見たと子供が言っても、余程のことがない限り、オレは取り合うつもりはない。残念だが自然はそんな簡単に奇跡を見せてはくれないし、奇跡を発見するのはいつだって大人だ。 自分の子供が、子供であるがゆえに、大人がはっとするようなことを言い、また、見えないモノを見るというなら、それはただの親バカか、あるいは、その大人が子供の頃から成長していない証拠である。どころか、退化したと言われても仕方がない。恥ずべきことだ。 未熟がゆえに、ちょっと目先の違うことを述べた程度のことで、『子供は自由にモノを見、考える』などといって褒めるものではない。 未熟な者は未熟と評する。それが子供に対する礼儀というものだ。 おかしな形で子供を褒めるのは、たいてい大人の持つ厭らしさに端緒がある。そういう大人に限って、本当の子供の姿が見えていないものだ。 子供を子供以上に扱うヤツは信用できない。 |
2.11 落ち着いたら、というか、今の人生に一応のケリがついたら、南の島に移住したいと思っている。 もちろん、今後ともオレの小説は売れないだろうし、それどころか書ける気すらしない有様なのだから、いずれ金持ちになってそんな所に別荘やら本宅やらを建てることもないだろう。 しかし、それがどうした。 たとえどんな所であっても、そこに『南の島』と額を掲げれば、そこが南の島となる。更にいえば、額など必要ないし、それが南の島である必要もない。ただ、どうせ行くなら、北の山より、東の原野より、西の都会より、南の島が良いのではないかと思うだけの話だ。 |
2.10 うんざりする。 |
2.9 『永遠のゼロ』という小説が売れている。 以前、数人の知人から『とても面白かった』という感想のメールを頂いた。絶賛といってよい印象だった。 作者の百田尚樹氏が東京都知事選挙に立候補した田母神氏の応援演説を行ったという。リンクは貼りたくないので、よかったら『百田尚樹・演説・文字起こし』あたりで検索すれば読めるので、興味があったら読んでみるのも良いかもしれない。 『非常に右傾化した小説ですよ』 知り合いの作家が『永遠のゼロ』読んでそう感想を述べていたが、その通りなのだろう。少なくとも文字に起こされた演説を読む限り、戦前の日本の空気がそこにあるように思えてならなかった。 『何人かの重要な候補と言われている人間ですが、私から見れば人間のクズみたいなもんです。』 『戦争を起こさせないために軍隊が必要なんです。 軍隊は今、戦争を抑止する一番の力です。』 『自衛隊の皆さんは、国のために命を捧げることを恐れておりません。』 『僕は敢えて言いたい。日本は素晴らしい国です。本当に素晴らしい国です。 世界で僕は最高に素晴らしい国だと思ってます。国だけでない。国民がです。』 『この国を良くしていく。自分はこの国の為にも、何かいいことをして生きていきたい。 こういう立派な大人になるためには、やはり教育が大事です。』 『北朝鮮の軍隊を礼賛して世界で一番素晴らしい軍隊だといい続けた。こんなやつが日教組のドンやったんです。』 『中国は世界のガンです。』 『中国、韓国の顔色を見ながら政治をするような政治家は、もう今や日本には全く不必要です。 彼らは売国奴です。』 ひとつ、揚げ足を取っておこう。 『世界で僕は最高に素晴らしい国だと思ってます。国だけでない。国民がです。』 氏がその根拠のひとつとして挙げたのが、阪神・淡路、東日本、それぞれの大震災が発生したときの民衆の態度である。非常時にもかかわらず暴動が起こらなかったとか、自分のことより他人のことを優先したというのだ。 彼は日教組のドンを批判しているが、そういう善良で柔和(悪くいえばお人好しで腰抜け)な人間。非常時にも礼節を忘れない人間を作り出した大きな要因の大きなひとつが、戦後の学校教育ではないのだろうか。 『作家という生き方はある』 オレはそういうスタンスを取っている。 別の言い方をすれば『作家と作品は同一だ』ということだ。 作家の生き方(考え方)は作品に色濃く繁栄される。 非常に右傾化した作品だという感想を抱いたという、前述の作家の目に狂いはないとオレは思う。 百田氏の作品に『海賊と呼ばれた男』という小説があるという。その中に、巨大タンカーの竣工パーティーに15000人の中学生を招待するシーンがあるそうだ。彼等を前に創業者はこう言うそうだ。 『明日の日本を背負う少年少女たちに、日本人としての誇りと自信を持ち、未来に対して大きな夢を持ってもらいたい』 これをして右傾化といえば言い過ぎかもしれない。 ただ、これだけは間違いなくいえる。 オレは絶対にこういう場面は書かない。 感動もしない。 それどころかひどい嫌悪感を覚えるばかりだ。 『是非子どもたちに読ませたい、伝えたいと思った。』 上の場面を読んだ感想として、某ネット書店の感想欄にそう書かれていた。 この小説は、同書店のカテゴリランキキング売上一位だという。そして、上記の感想には359人中303人が参考になったとある。 オレは個人主義を標榜している。 だから、右だろうと左だろうと関係なく、団体が嫌いだ。 『素晴らしい国』などという概念ほど胡散臭いものはない。 『正しい国家』ほど危険なものはない。 『正しい集団』 この言葉に恐怖を感じないというなら、オレの作品は読まない方がいい。面白くないという感想を持たれる自信がある。 集団とは恐ろしいものだ。 ネットの掲示板で、とある宗教団体(彼らは宗教ではないといっているが)に属する人とトラブルになりかけたことがある。オレの言葉に立腹した彼はこういった。 『そうんなことを言って大丈夫ですか? ご存じだと思いますが、ウチの団体は、各界で活躍している人も多いんですよ。もちろん出版業界にもね』 確かにオレは彼を揶揄したかもしれない。非はオレにあると言われても仕方がないかもしれない。しかし、着目すべきは、温厚であることを第一とする彼ですら、揶揄されれば団体の力を誇示する言葉を吐くということである。彼はそういうつもりはないと釈明していた。しかし、オレはここに彼の、あるいは団体に所属する者の本音を見た気がして矛を収めた。団体の圧力を恐れたのではない。オレはそんな大物作家ではない。 また、あるブログ主にケンカを売ったことがある。 長くなるし、今更どうでもいいことだから理由は書かないが、オレの中傷気味の言葉を嫌気した彼は、『もう君の書き込みには答えない。もし、書き込みがあってもすぐに削除する』といった。そして、以来それまでと同じように数人の気の合う仲間と、楽しくブログのコメント欄で言葉を交わしている。 はたまた、ある掲示板で近頃こんな光景を目にした。 歓迎せざる客があって、その書き込みが常連達の神経に障ったらしい。繰り返される無神経な書き込みが行われた挙句、その掲示板の中心人物がこう書き込んだ。 『貴方のことは、メールの回覧で、無視することになっています』 確かに、癪に障る文章を書く人物ではあるが、オレはその対応に疑問を感じずにはいられなかった。 正しい者達は集まりたがる。 そして、正しくない者を排斥する。 その性質は国というシステムと非常に相性が良い。 右翼思想と親和性が高い。 『永遠のゼロ』に、自らの正しさを強調し、他者を排斥し、よって自らの行為を美化する様子は描かれていなかったか。 他者とは外国に限らない。つまり、軍の上層部を批判することによって、あるいは、あえてその犠牲になることによって、その行為が現実を超えて美化されていないかとういうことだ。 もしそうなら、それはすり替えのロジックであり、マジックである。 宮崎駿がこの小説を原作とした映画を『戦争賛美』だと、遠回しに評したらしい。前出の知り合いの作家も同じようなことを言っていたと記憶している。 表現者の側でなければ気が付かない巧妙な仕込み。 優越感。選民思想。 読者はまんまとはめられる。 正しいと思った瞬間から間違いは始まる。 集まったときから腐敗は起こる。 全ては表裏一体。そして混沌なのだ。 孤独が無理ならせめて離合集散を厭わない勇気が必要だ。 どこにも正義はない。 正義を求めてはならない。 求めるべきはせいぜい『ひとまず不正義ではない』ことくらいだろうか。 唯一正しさを希求するべきは言葉だ。 『美しい日本』といってはならない。 それは正しくない。 『僅かではあるが、所によっては美しい自然も残されている日本』 と、表記しなければならない。 笑い事ではない。 言葉を単純化して使うのはそれほどまでに危険なのだ。 正しく書き、正しく話すことだ。 言葉を省略してはならない。 それは、現象や現実の都合の良い一面を強調することに繋がる。 『我々は正しく、彼らは間違っている』という単純かつ危険な思想を蔓延させる元となる。 だから、小説家は長々と言葉を紡ぐのである。 |
2.8 仕事場にハゲ確認用の鏡を付けた。 アホ面を眺めながら考える。 オレが再婚する確率は、オレが考える以上に高いのかもしれない。 もちろん、相手が見つかった場合の話。 |
2.7 時折り上空を飛行機が飛んで行く。ひどく低く飛ぶときもあって、たぶん百里基地が近いので、着陸態勢に入った自衛隊機だろうと思っていた。 昨日、爆音が近づいてきたのでカメラを持って外に出た。撮影して驚いた。アメリカ軍だったのだ。これよりもっと低く飛ぶときもあるから、条件が良ければ兵士の顔まで写るかもしれない。実際、百里基地の近くの道路から、上空を飛ぶF-15の操縦士の姿をはっきりと見たことがある。 |
2.6 アルバムを捨てようと思っている。各学校の卒業アルバムや、学生時代に撮った写真を入れたアルバムである。ついでに日記と、それに類するモノも全て廃棄したいと考えている。 若い頃のアルバムは、若い頃に見るものだ。 いまさらそんなものを本棚に並べるのは、自分史を自費出版するほどに破廉恥だし、だいたいもう見ることもないだろう。 なにより物理的に邪魔なのだ。どうでもいい過去を溜め込むほど、この家は広くない。 |
2.4 実業の仕事がない。 破産しそうな状況の中、歯を食いしばっている。 |
2.3 何が恵方巻きだ、バカヤロー。 北関東はいつから関西になったんだ。 関西人にも失礼だ。 クリスマスにも違和感があるし、ハロウィンときた日にゃ、くだらなすぎて開いた口がふさがらねえ。 オレは日本人だ。関東人だ。東男だ。横浜原人だ。 太巻きを黙って丸ごと食うなんて馬鹿馬鹿しくて死にそうになる。 そうでなくても人は死ぬんだ。 |
2.1 このバカ共を目の当たりにしていると、おれは驚愕のあまり死にそうだ。 そうでなくても人は死ぬんだ。 門司邦雄さんのサイトrimbaud.kuniomonji.com ロートレアモン伯爵著 『マルドロールの歌』 第1の歌 第5節 上記よりより引用し、誠に勝手ながら部分的に改稿しました。 |