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2014年4月







先日も紹介した深津十一氏の
デビュー作であり、このミステリ
ーがすごい大賞受賞作品。
気仙沼在住の作家、小鳥遊葵氏
の新刊。名門フランス書院から
上梓。さすがの感ありです。
精力的に執筆を続ける黒史郎氏の
新刊。なお、黒さんはとってもお洒
落で、実に紳士的な方です。






4.30
四冊目のオファーはある。
もう二年になるだろうか。
半分は書いた。
短編集だ。
必ず一般受けするだろう。
この本だけは上梓したい。
それで終わりにする。



問題はその後だ。
できることなら、誰かのサポート役になって、
小説家になる手伝いをしたい。

オレはもう、自分のことでやりたいことは、
すっかりなくなった。

自分のためだけに生きるというのは、
想像よりずっと難しい。
表現者であるならなおさらだ。
子竜氏のいうところの『読者サービス』とは
つまりそういうことだと、オレは理解している。


トップページの画像を、
地球から月に変えた。
特に意図はない。
ただ、月はオレが撮った写真だけれども、
地球はオレの撮影ではないということだ。
著作権にはそれなりに敏感だったつもりが、
このザマだ。






4.29
久し振りに本を買った。



小説を書くなんてことは、もう終わりにしたい。
オレには向かないし、才能もないのだ。
千の物語を読み終えたとき、再び読者に戻れるなら、
オレは躊躇なく筆を置く。






4.28
もう一軒の片付けと掃除が終わった。



オレが28歳の時に建てた家。



からっぽ。



庭の作業場もからっぽ。







4.26
オレの前の前のホラ大受賞者、恒川光太郎氏が推理作家協会賞を受賞したという。
おめでとうございます。
一方、オレ様ときたら、小説を書くどころか、知り合いの女性からメールが来ねえ、とか、フラれちまったか、とか、そんなことばかり気にしている。
おまけに、恒川さんの快挙を妬んで恨み言をこぼしていたら、近所に住む妖怪女子高校生に『人は人。ばっかじゃねえの』と、コケにされる有様。
そーいえば、こやつも先日、読書感想文で県から賞を貰ったらしい。何賞かと尋ねたら、『知らない』と言って、ヘラヘラしていたっけ。
オレ様だけがダメダメなのだ。
ダメダメ、バカバカ、あー、コリャコリャと、きたもんだ。



昼に冷やし中華を食べた。
いよいよ初夏だな。しょかしょか。






4.25
今朝、いつものように缶コーヒーを買いに自転車で駅まで出かけた。
道を渡って前方を見ると、4,5軒先の家の前に警官の姿。
おっとあぶねえ。自転車は左側通行だよな。
でも、交通取り締まりではないようだ。
向かいにある銀行の駐車場にパトカー。家の前には黄色の規制ロープ。
そして数人の警官と、刑事や鑑識の姿があった。
『会っちゃったからねえ』
通り過ぎるとき、野次馬の声がした。
嫌な気分がして、帰りに立ち寄った。
『何があったんですか?』
『強盗ですよ』
思い切って刑事らしき男に尋ねると、丁寧に説明してくれた。
昨夜、二人組の男が押し入ったそうだ。
犯人に出くわしたその家の年寄りが、怪我を負わされたという。
『マジっすか?』
命に別状はないというが、物騒なことこの上ない。
まったく嫌になるぜ。








4.24
作者臭が抜けていない。
アマチュアの書く小説が『小説になっていない』原因のひとつである。
つまり、作品を突き放すことができず、そのために作品に作者が顔を出しているのだ。
確かに一人称の作品で発生し易いようだ。
そして、オレもそうだったように、アマチュアの多くは一人称で作品を書きたがる。特に純文系の書き手はそうだろう。

とはいえ、解決法がない訳ではない。
自作が小説になっていないように思えたなら、試してみるといい。
ただし、自作が小説になっているかどうか分からない書き手は、何をどうしたところで、どうにもならない。

1、疑似三人称で書く。
2、自分とはまったく違う年齢性別の主人公を据える。
3、一人称の語り手を用意して、別の主人公を設定する。

今日はここまで。



来月は文フリか。
営業がてら行ってみるかな。
何もかもが狭くなっている。
少し動いた方がいいだろう。

誰か一緒に行かない?
バーで酒でも飲もう。
銀座のコナンで。
いやルパンで。






4.23
プロになりたいなら三人称で書いた方がいい。
子竜氏はいう。
オレもそうだと思う。

一人称は作者が作品に出る。
絶対とは言わないが、一人称作品の典型が私小説であることを思えばそれは必然だろう。
特に中年男性。オレにも覚えがあるが、作中、どうしても自己主張がしたくなる。なるだけで書いたりしないとはいえ、やはり、微妙に作品に影を落とすのだ。
私小説家を目指すというならどんどん出せばいいが、隠しきれない中年男性のチラリズムなど、読み手からしたら変態以外のナニモノでもない。

一時期の純文業界で、若い女性の身辺雑記がもてはやされた。一人称を逆手に取った手法といえるだろう。
ネットの世界では、若い女性の部屋にカメラを設置して、それを有料会員に配信するエロサービスがある。オレは見たことがないが、それと似ている。
馬鹿馬鹿しいというなかれ。若い女性を、若い女性というだけで価値があると認識できるようになっただけ、純文業界も進歩したのだ。
女流作家という言葉がまだ生きていた頃。瀬戸内晴美氏が、恋愛小説で『子宮がうずく』とか何かそういう表現を使ったところ、以来、しばらくの間、『子宮作家』と言われ、さげすまれたと、どこかで語っていた。

作家と作品はイコールだ。
オレはそういう立場を採っている。
作家という生き方はある、という考え方だ。
一人称だろうと三人称だろうと、純文だろうとエンタメだろうと、そのことこに変わりはない。
だから、心配しないでも、作者の価値観は必ず作品に現れる。
ただし、それは作品の最も奥深い所でなければならない。
できれば、全集が刊行されて初めて見えてくるくらいが理想的だ。








4.19
『小説の書き方教えます』
このブログはいい。
2日かけて全文読んだ。
同感することしきり。
新しい発見もあった。
いちいち思い当たる節もあった。
うれしくもあり、悔しくもありだ。
異論が全くない訳ではない。
それも含めて実にいい。
子竜蛍という小説家をオレは知らない。
若い女性でもない。
だからお世辞ではない。



子竜氏はエンタメの書き手だという。
オレは文学系だ。
だが、そんなことはどうでもいい。
本来、最高の文学は、最上のエンターテインメントであり、
最上のエンターテインメントは、最高の文学なのだ。






4.19
理研の笹井氏の会見を見た。
実に素晴らしい会見だったというのがオレの感想だ。

STAP細胞の存在を裏付ける論文に多くの瑕疵が見つかった以上、STAP細胞はひとつの仮説に戻った。
しかしながら、STSP現象としかいいようのない現象があったのは事実だ。
だから、今後、その現象について再検証する価値はある.
というのが笹井氏の意見だとオレは理解し、それは納得できるものだった。
理研は税金を使って研究している。そこで納税者への説明責任を果たそうと、論文発表時に少々の演出をした。一方、それが過剰なものにならないよう、配慮もしたつもりなのだが、結果、このようなことになり申し訳ないという説明と陳謝もあり、好感が持てた。

まず、会見で笹井氏が述べた科学の話がほとんど理解できなかったところがいい。
煙に巻こうとしたとう意見も散見されるが、オレは同意しない。
小保方氏のときに彼らはいった。
『ちっとも話が科学的ではない』
話が理解できない、あるいは理解し難いのは、笹井氏が誠実に説明した証左である。
真摯に説明すればするほど、オレのような素人にはチンプンカンプンになるのは必然だ。笹井氏は専門用語を使い、科学者特有のいい回しをすることで、より誤解をされないように配慮したのだとオレは思う。
もし、笹井氏のSTAP論に疑問があるというなら、それこそ科学のコミュニティで解決すれば良いのだ。世間に対する詐欺容疑や、脱税とは違う。我々が口出しする領域ではない。

次に、表情ひとつ変えないのが良かった。
三時間に及ぶ会見中、まさに眉ひとつ動かさなかった。
この件について、自らの中で完璧に整合性がとれているのだろう。
事実のみを述べようとする態度は、なかなかに男前である。オレに似て頭頂部が薄いもの良い。
この会見をテレビで見たオボちゃんが、『私のせいで尊敬する笹井先生が・・・』と、号泣したというが、分かる気がする。

理研の管理能力不足という意見もある。
笹井氏は科学者として一流であっても、管理能力には疑問があるというのだ。
それの何が問題なのだろう。
理研は科学者の集団だ。科学に秀でていればそれで充分だ。

上司としての責任という声も多い。
甘い連中だと言わざるを得ない。
筆頭著者はオボちゃんだ。
この論文に関して、最も多くの責を負うのは彼女である。
年齢の上下も、立場の上下も関係ない。

やたらに連帯責任を問いたがるのは、この国の悪いクセだ。
理研は学校ではない。だいいち学校でさえ、生徒の罪を先生が負ったりしない。一般の会社では・・・、という理屈も間違っている。理研は一般の会社ではない。ひとりひとりの研究者がそれぞれの責任を負う個人の集団と捉えるべきだろう。
オボちゃんが出したデータに誤りがあったとして、それに気づかないというのは当たり前だ。そんなことまで検証していたら仕事にならない。

二十歳を過ぎた若者が犯罪を犯したとき、その親にまで謝罪を要求する風潮があるが、まるで旧日本陸軍の憲兵のようだ。
みのもんた氏の息子が不祥事を起こしたときもそうだ。まあ、彼の場合、親の自業自得のようにも見えたが・・・。

オレは笹井氏にまんまとハメられたのかもしれない。
しかし、それならそれで良い。
ノーベル賞級の科学者に、科学の話で勝てるはずがない。
笹井氏は、その程度には真剣だった。
悪くないではないか。
もともと、STAPがどうであろうと、オレに大した実害はないのだ。



近頃、髪が伸びなくなった。
やっぱSTAP細胞はないと困る。
だからさあ、
オボちゃん、しっかり頼むぜ。
マジ。






4.18
何も書くことなし。



新しい写真もなし。

何もなし。






4.17
豆屋ワンダーランド。
ようやく片付いてきた。



ただし、オレの人生はちっとも片付かねえ。






4.16
ムスカリがあちらこちらで咲いている。
何年か前に初めてその名を知って以来、急速に増えているような気がする。
繁殖力が強いようだ。
ウチの庭にも生えてこないかと思うが、除草剤を撒いているので無理だろう。
残念ながら庭いじりをするようなゆとりはない。








4.15
庭にツバメが来た。
巣を掛けてくれたら素敵だろうと思う。
とはいえ、ツバメの巣は青大将とセットが相場。
駅前とはいえ、寂れた商店街である。
連中はきっと生息しているだろう。
オレは足のないヤツも、やたらに足の多いヤツも苦手なのだ。



もっとも、二本足のヤツが一番苦手かもしれない。
トリは例外だが。






4.14
前の家の掃除。
二軒目。
終わらねえ。



庭に花大根が咲いている。






4.12
ヘアブラシを捨てた。
まだ二十代前半だった頃、カノジョに貰ったものを、未だに使っていたのだ。
カノジョに未練がある訳ではない。
いや、絶対にない、とは言わないし、今会えば、それなりの感情が芽生える可能性もある。ただ、そんなことよりもこのブラシ。使っていて、とても具合が良かったのだ。
事実、何度か違うモノを買って試したことがあるが、どれも使いモノにならなかった。
それでも、長年使っているからだいぶくたびれてきたし、もしかして、カノジョの怨念でも残っていて、それでハゲたのかもしれないと考えたのだ。まさか別れた相手を呪うような女性ではないが、少なくとも当時は、恨みを買ったことは間違いない。
ドラッグストアに行き、これでもないあれでもないと、さんざん悩んだ挙句、小ぶりのブラシを買ってきた。
買ってきて驚いた。なんだ、同じじゃねえか。
やれやれ。



こんなオレに、ヘアブラシをプレゼントしてくれる女性は、いないもんかねえ。






4.11
もう金曜日か。
ありえねえ。



雨が上がりの朝。
朝日を受けた畑から湯気が立ち昇っていた。






4.10
PL(偏光)フィルターを買った。
子供の小遣い銭程度ではあるが、電子書籍の印税が入ったのだ。
桜は週末までに散ってしまうだろう。
それでも、来る夏の景色に、このフィルターは役に立ちそうだ。
問題はレンズフードをどうするか。
PLフィルターは二重になっていて、前のガラスを回転させて偏光具合を調整する。
そのときにフードが邪魔という訳だ。
まあ、使いながら考えよう。



豆屋ワンダーランドは棟瓦が崩れている。
その隙間からペンペン草が生えてきやがった。
参った。
屋根に登るか?






4.9
新津きよみという小説家が、大町市の観光大使になったと、友人で怪談作家の丸山政也氏のタイムランにあった。
大町といえば丸山健二。
まあ、それはさておき、新津きよみという名前には聞き覚えがある。
もしかしてと思って名刺ホルダーを繰ると、確かに彼女の名刺がある。
いつかの角川三賞のパーティーで隣の席だったのだ。

初めて会った小説家は官能作家の尾崎嶺氏である。
小説とはまったく別件で知り合ったのだが、作家志望だったオレにとって、それは特別な出来事だった。
次に会ったのは高橋克彦氏。オレのデビュー作を高く評価してくださったことで、対談をさせていただいたのだ。

小説家の知り合いは決して多くない。売れない作家は出る場所も少ないし、オレは社交的とは言い難い。それでも、それなりに増えたのは事実である。
ただ、そういう知り合いが増えれば増えるほど、オレが業界から遠ざかって行くように思えてならない。
不思議なものだ。



今日も朝から身体が重い。
疲れが抜けねえ。
嫌になる。






4.8
知り合いの作家が、次々に新刊を上梓している。
うらやましいというか、みんな立派なものだと、感心することしきり。
オレ様もナントカならないもんかねえ。








4.7
景気が回復しはじめているのかもしれない。
ユニークな軽自動車が幾つかのメーカーから発売されるというニュースを聞いてそう思っていた。
格安スマホも次々と発表されている。
仮に、三千万人の通信費が、ひとりあたり五千円安くなったとすると、月額合計一兆五千億円。年額十八兆円だ。(違うかな?)
これが消費に回るとすれば、相当な経済効果があるだろう。格安SIMが仕掛けられた政策だとすれば、政府だか官僚だかにも頭のいいヤツはいるようだ。
そして、今朝ネットで見かけたアイドル、橋本環奈。
バブル前、アイドル全盛期と言われる時代があった。
彼女を見たとき、そのことが思い出された。
社会が浮ついてきたように思える。
その空気はまだ希薄で、いつ霧散してしまうとも限らない。
1.000兆円の借金も気になるし、日銀の国債買いオペも気に掛かる。
それでも、この妙に普通で、妙に若いアイドルの画像を見たとき、オレは時代が一回りしたような気がした。
ただ、仮に好景気がくるとしても、それはオレが現役を引退した後のことだろう。享受するのは平成時代の申し子だ。
高度成長期を生きた者たちが貯め込んだ膨大な資産が市場に出るにはまだ時間がかかる。彼等の死という昭和の決算はまだ先のことなのだ。
つまり、経済的にいえば、オレ達は昭和と平成の谷間の世代という訳だ。







4.6
小雨が止んで陽が射してきた。
日曜日の朝。
カメラを持ってクルマに乗り込んだ。



桜の写真ほど、美的センスが試される素材はないかもしれない。
きれいだからと、うっかりシャッターを切れば、
そこに写るのは桜ではなく、
首からカメラをぶらさげた観光客そのものの自分の姿だ。
間抜けなことこの上ない。



被写体の前でうかれている自分の姿は写真に写る。
小説も同じで、自分に酔った、ひとりよがりの文章は、
書き手のアホ面が物語の中に垣間見えて、
読んでいて気持ちが悪くなる。



対象には、愛情を持って冷たく接することだ。
誰よりも近くに寄りながら、誰よりも遠くから見つめること。
そのクセをつけること。
結果、嫌なヤツにならざるを得ないだろう。
逆の立場からいえば、
誰からも好かれる表現者など、
ただの凡人か、
ウソつきのロクデナシということだ。



まあ、偉そうなことを言っても、
写真に関してはズブの素人だけどね。
でも、小説に関しては・・・
いや、これもちょっと怪しい。






4.5
知り合いの小説家、深津十一氏の『このミステリーがすごい』受賞作で、デビュー作の『童石をめぐる奇妙な物語』が、『コレクター 不思議な石の物語』というタイトルで文庫になったという。
本日発売とのこと。
誠におめでとうございます!
また、受賞第一作も来月上梓されるご様子。
重ねてお祝い申し上げます。

才能があるのだろう。うらやましい・・・。
それに比べて、オレ様ときたら(T_T)



昨日は夕方から雷雨。
虹が出ているというので、
急ぎカメラを持って裏山に登る。
虹の撮影は思ったより難しかった。
新しい発見がないからだろう。
つまり、イメージに負けているということだ。

小説でも、書く前は傑作なのに、
書き始めた途端、駄作に転落することがある。
イメージを超えられないのだ。

逆に、書き始めると、次々に新しい発見をすることがある。
たいていは、良い作品になる。

どうすればそうなるのかはよく分からない。
というか、分かれば苦労はない。
ただ、おそらく、蓄積が関係しているのだとは思っている。

流し台に置かれたコップ。
蛇口から一滴ずつ落ちる水。
その水がやがてコップを満たし
ついには溢れる。
その溢れた水のひとつひとつを拾うのが、
執筆という行為なのだ。

コップの大きさは書き手の器であり、
蛇口から流れ出る水の量は、才能(技能)のそれにあたる。
オレは残念ながらコップも小さければ、
流れ出る水も、いつ止まってもおかしくない断続的な滴りに過ぎない。
それでも、そういう書き手にはそういう作品がある。
書くべき小説は誰にもあるのだ。






4.4
ひどく疲れる。
トシというのもあるだろう。
引っ越しの苦労もある。
でも、決してそれだけではない。
原因はおそらく鬱だろう。
メンタルクリニックに行けば、かなりの確率で鬱病の診断が下りるに違いない。
小説が書けないし、読むこともできない。
それどころか、先日は書店に立ち寄っただけで気分が悪くなった。
特に小説コーナーを全身が拒否していて、店内にいるのも辛いほどだった。



ネットで鬱病の判定をしてみる。
『中度の鬱病です。専門家の治療が必要です』

なるほど、
本が売れるか、美人の女性とデートでもすれば
治る程度ということだな。

それが難しいから鬱病なのだけどね。
(T_T)






4.3

当たり前のことは書きたくない。
当たり前のことを、当たり前の調子で書いて、
そんなことの何が面白いのか分からない。
マスコミはウソをつくだとか、
政治家は自分の利益しか考えていないだとか、
難民の子供はかわいそうだとか、
AKBなんてくだらないだとか、
そんなことは当たり前なのだ。

ノーベル賞作家が反原発を叫んだ途端に、
そのオーラが失われるのは必然である。
当たり前の言葉なら誰でも吐ける。
そして、そのことは、ノーベル賞作家だろうと、
売れないホラー作家だろうと、
アマチュアだろうと、素人だろうと同じことだ。

個人は砂浜に落ちた、たったひとつのゴマ粒だ。
それが輝きを放つかどうか、
他者に認識してもらえるか否かは、
ひとえに、異端であるかどうかにかかっている。

真実は常に異端の側にある。
だから、生まれながらにして自らにある異端を発見し、
それを基準にモノゴトを考えなければならない。
常識に非ず、という意味で、
非常識でなければならない。
少なくとも、表現者であるというなら、
それは基本中の基本だ。

当たり前の概念は恐ろしい。
それがいくら正論であろうとも、
いや正論であればあるほど、
それを文字にした途端、口にした刹那
何らかの嘘を生む。

だから、
当たり前のことを、したり顔で述べるのは、
書き手において、醜悪を通り越して、
罪悪ですらある。



反モラルではない。
前モラルを意識するということだ。







4.2
今朝も寝床で血圧を測る。
少し下がった。



ボケた写真だな。
f/4
1/500秒
ISO-400
280mm

三脚を立ててスローシャッターにすれば良かった。
でも、横殴りの雨が降っていたし、
だいたい、オレの三脚はボロくて使いモノにならねえ。






4.1
『笑っていいとも!』を見ていたら、眠れなくなってしまった。
日曜日に寝過ぎたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。



先日、このブログの更新と閲覧ができなくなった。
FC2の側の問題だろう。
それならそれでもいいかなと思った。
オレは続けることにあまり価値を見出せないタイプだ。
皆勤賞に何の意味がある。
漬物石のような人生は、まっぴらごめん之介だ。







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