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2014年7月






7.30
昨日の朝、裏庭にいた黒猫。



今朝はいない。



飼い猫なのだろうか。
妙に人懐こい。



オレの後をずっとついてくる。
餌をやってみたがあまり食べない。
そんなことは滅多にしないのだが、
ひどく痩せているし、
後ろ足を怪我しているから、
ちょっと気になったのだ。



仕事場にまで入ろうとする。
たぶん、飼い猫なのだろう。






7.29
抑制の手法とは、即ち、万人共有の価値観や記憶、感情の流れを利用する技術である。
『墓前に花を捧げると涙が出た。もう母の弁当は食べられないのだ』
これで主人公の気持ちや性格、置かれた状況もだいたい伝わるだろう。母の弁当はそれほどに雄弁だ。余分な説明は読者の想像力を削ぎ、興味を失わせる。



視覚情報だけに頼ってはならない。
五感を全開にして描写することだ。
『そっと触れた墓石が手の平に冷たかった。
日差しは強いけれども、ここは枝を広げたイチョウの影になっている。
緩やかに吹く風が線香の香りを運んできた。
蝉がしきりに鳴いている。
サイダーを口に含むと懐かしい味がした。』




視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚
これらを使って世界を認識するのだ。






7.28
今日は涼しかった。
先週の土曜日。仕事場は35℃。
エアコンがないと、寒暖の差がよく分かる。
20年以上にわたって、エアコン生活を送っていたから、こんな感覚も悪くない。






7.26
愛車のタイヤを交換した。
サイドのワイヤーが伸びてしまったのだ。
前輪は二度目。



修理完了。
北関東の夏はどことなく白い。



除草剤を撒いてから、隣り町の図書館へ行く。



『著者なのですが』
蛮勇をふるって、どのくらい貸し出しがあるか、
司書さんに尋ねる。



『三冊ともゼロですね』
『すみません。せっかく入れて頂いたのに・・・』



今日は、前に住んでいた町のお祭り。
余程顔を出そうかと思ったが止めた。
行けばそれなりに歓迎してくれるだろう。
でも、何となく行き難い。
写真は笠間市の外れでたまたま見かけた神社。
こちらも祭礼だ。



COCO壱番で昼飯。
外を見ると真っ暗。
窓を閉めなかったと、慌てて帰宅。
突風で道路に木々の枝が散乱している。
停電したらしく、信号機が点いていない。
帰宅すると二軒隣りの店のシャッターが風で壊れている。
自分の家の窓を締め、慌てて駆けつける。
丁度出てきた隣家の人と、
暴風雨の中、何とか修理完了。
連絡を受けた家主が帰ってきた頃には雨も止んだ。



ひと眠りしてからカメラを持って出かける。
ゴイサギの幼鳥とギンヤンマ。



風呂に入ってビールを飲んでいると電話。
誰だろう。
『図書館の者ですが・・・』
三冊とも20回以上の貸し出し実績があったそうだ。
『著者の方にお会いするなんて初めてなので、緊張してしまって』
調べ方を間違えていたという。
名刺を置いてきて良かった。
この町の人はとても親切だと思う。







7.25
説現代のショートショートコンテストを読んだ。思ったよりマイルドな印象。というより、星新一の書くSFのイメージが強すぎたのかもしれない。ちょっといい話に、軽くひねったオチを付けるような作風が好まれるように感じられた。オレも応募してみようかな。瀬戸内寂聴氏だって別名でケータイ小説を書いていたというのだから。



百里基地に行った。
民間部分は茨城空港だ。



もちろん、基地の中には入れない。



基地内を装甲車が巡回していた。



今日の仕事場。
暑い。
でも、結構慣れるもんだ。






7.24
『おとうとの木』という作品を書いたことがある。受賞後第一作だ。近所の公園で毎晩ジョギングをしながら構想を練り、また書いた。木に弟の魂が入っている、という話である。先日、久し振りにその公園に行くと、まさにそんな木があって驚いた。








7.23
知り合いのにーちゃんが、小説現代ショートショートに入選したという。
調べたところ、毎月一回の公募から、5作品が優秀作として選ばれ、小説現代に掲載されるらしい。賞金2万円。選者は阿刀田高。
SSだけに応募数もかなりあるだろう。書き始めて半年、SSに出すようになって3作目だといっていただろうか。彼には力があると思っていたが、こうも早く、容易く結果を出すとは思わなかった。
自作が活字となって小説誌に掲載され、しかも賞金を貰えるというのは、ここを見てくれている多くの人が実感している通り、簡単なことではない。
オレは、彼がこのまま正常に伸びて行けば、オール読物を突破するくらいの書き手になれると思っている。彼は理系の博士(修士かもしれないが)だという。理系の秀才が書くミステリは売れるから、もしかして、あっという間にオレを超えていくかもしれない。
利口な彼のこと、エリートの道を捨てて、専業などということもしないだろうから、是非(適度に)頑張ってもらいたいものだ。



そうそう、彼ののことは、7月15日の記事で紹介している。
緑の部分は彼の文章をそのままコピペしたものだ。
若いのに、実に上手い。
夫の目前で、妻が体重計に乗るという話は、
今回、彼が入賞した作品に出てくる場面だ。
女心が分からねえのはオレの方だと、
謹んで訂正しなければならない。
もっとも、オレの古くからの知り合いなら、
そんなことは分かり切っていると笑うだろう。



イケメンのにーちゃんであり、博士である彼について、もうひとつ。
彼は、オレの文章作法をとても参考になると褒めてくれた。
オレのおかげで書けるようになったという、彼の言葉はお世辞だとしても、
それなりのヒントを掴んだ部分はあるのだろう。
実に素直な青年で、
会ったことはないが、直木賞作家の朝井リョウ氏を思わせる。
氏も、謙虚な好青年だと編集が言っていた。



素直で謙虚。
とても大事だ。
お前が言うな、という声が聞こえてきそうだが、
実はオレだって素直で謙虚だ。
ただ、何に対して素直で謙虚かの違いでしかない。



何事に対しても傲慢で、斜に構えている者がいる。
自分では、批判的とか、客観的と思っているらしい。
年配のオッサンに多いが、若い人にもいる。
こういう者は、まず何をやってもダメだろう。








ところで、今日は暑かった。
オレは暑がりで汗っかきだから、夏はタオルが欠かせない。
良く見るブログでタオルの記事があった。母であるブログ主の彼女が、運動をする息子に高級品のタオルを持たせようとしても、息子は〇〇建設と印刷された、年賀タオルしか持っていかないというのだ。
オレには分かるような気がする。
お高いタオルは生地にボリュームがあり過ぎてダメなのだ。
首に巻いているとまるでマフラーみたいで、かえって暑いし、頭に巻くのも厚ぼったくて実に不便だ。
一方、お年賀などで貰った安物のタオルはペラッペラで具合がいいのである。



一月ほど前、ワークマンで色付きのタオルを何枚か買ってきた。
できるだけ薄っぺらいのを選んだのに、
帰って来て首に巻くと、思ったより生地が厚くて調子が悪い。
安かったとはいえ、折角買ったのに使わないのはもったいないし、
だからといって、このままでは使い難くて仕方がない。
しばらく考えて、思いついた。
縦に半分に切るのだ。これでボリュームは半分である。
首に巻いても、頭に巻いても具合がいい。
ただ、切り口がほつれるのが難点だが、使えないよりずっといい。
もったいないというなかれ。
どうせ一年使えばボロボロになるのだ。






7.21
世間様は三連休か。
オレには何のカンケーもねえ。
でも、それがダメなのかもしれない。
休むときは休むべきなのだ。
いつの間にかひどい貧乏性になってしまって、だからいつも仕事をしていないと落ち着かないし、でも、そんなに仕事をしても身体が持つはずもなく、だから仕事だといいながらダラダラしてしまう。



休めなくなったのは事実だ。
そりゃそうだ。
借金だらけなのだ。
働かないと破産なのだ。



そういいながら、いつの間にかこんなトシになっちまった。
どうにもならねえ。





7.19
体重へ減ったのに、顔は太ったかな。



今年は帰路だな。
色々な意味で。





7.18
オレが公募に出していた頃の書式。
表紙と本文は別のファイルにしている。
そうすれば、表紙にページ数が入らずに済むからだ。
綴じ方はWクリップ。
茶封筒に入れて普通郵便。
封筒の宛名面に赤字で『応募原稿在中』と書いていた気がする。

公募に出すときは、些細なことも気になるだろう。
参考になれば幸いだ。
このときは、ちゃんと一次選考は通過している。
だから、まあ、だいたいはこれで大丈夫だろう。

もちろん、さまざま指定されている場合はそれに従う。



本文の体裁はこれ↓
行間を広く、文字間を狭く、だ。
文字の大きさは12pt
フォントは、デフォルトのヤツ。





今は以下の表紙を使っている。



メールに添付して編集に渡す。
そのときの文面もいつも同じ。
でも、もう半年以上そんなメールも書いていない。
オレ様には才能がねえ。

と、いったら
『センセ、才能のせいにしたらあきません』
畿内在住の美人に叱られてしまった。

ははは。
だな。





7.15
以下、知り合いの若きイケメン博士の話。

『人を刺すときって刃を上に向けるんだってね』
料理を作っている女の子に包丁を向けられたことがある。
彼女は悪戯な笑みを浮かべながら、刃先を近づけてきた。
もちろん、冗談で。
僕も冗談だと分かっていたのに、驚くほど背筋が凍った。
以来、通り魔に出くわしたら、まず逃げると心に決めている。



彼は女心が分からないとよく言われるそうだ。
そうだろうなあ・・・。
彼の書いたショート・ショートを読んだことがある。
結婚して間もない奥さんが、夫の目の前で体重計に乗るシーンがあった。
博士はかなりのイケメンで、きっと女性にもモテると思うが、
女心がわからないという周囲の分析は、きっと間違っていないだろう。

若い女性が、若い男性を対象に包丁を使うとき、
そこにあるのは、きっと愛か憎だろう。
少なくとも、小説の中では必ずそうだ。
そして、愛憎はいつだって表裏一体である。

女の子の持つ包丁がそれほど怖かったのは、
彼女の目が笑っていなかったからに違いない。
少なくとも、博士は彼女に、ある種の強い感情があるのを、
無意識に察したのだ。

オレの経験から言うと、
関心のない男性に対して、若い女性はとことん無関心だ。
決して冗談など仕掛けてくることはない。
男女の最も大きな違いのひとつは、そこにあるような気がする。
そして、オレはというと、いつも無関心の対象だった。
彼女達の冷たい態度はまるでサソリの針のようで、
だから、オレのココロには今も冷たく刺された跡がいくつもあるのだ。

『その、女心の分からないところに、女性は惹かれるのね』
別の女性が、そう解説してくれた。
ナルホド、である。
でも、適度に分からない場合は愛の包丁でも、
過度に分からないと憎の包丁になりかねない。

イケメンの若き博士もタイヘンだ。
\^o ^/






7.14
屋上で、ひとり女の子が泣いているのを見かけました。
あなたならどうしますか?

10年くらい前だろうか。どうでも良さそうなテレビ番組でのこと。
カウンセラーだか、精神科医だか忘れたが、そんな肩書を持ったおばちゃんが、出演者に向かって上の質問をしていた。
どうするのが正解か、下のふたつから選べ、というのである。


A、大丈夫ですか?と、声を掛ける。

B、そっとしておく。



確か、多くの出演者がBを選んでいたと記憶している。

ひとりになりたいから、屋上で泣いているのだろうという人。
泣いているところは見られたくないだろうという人。
余計なことをして、気を悪くするのではないかという人。

オレも、Bだと思った。
こういうときはそっとしておくのがいいだろうと考えたのだ。



しかし、正解はA。

こんなことに正解なんてあるもんか。
オレは思った。

声を掛けた方がいいときもあるだろう。
しかし、そっとしておいた方がいいときだってあるはずだ。

回答者の多くもそう感じたらしい。

しかし、おばちゃんは言った。



『声を掛けるのが正解です。
声を掛けて、もし迷惑そうだったら、
その場からそっと離れればいいのです』

おばちゃんは言う。
もし、声を掛けなかったら、
その子は飛び降りたかもしれない、と。

声を掛けない、という選択肢は、
女の子を気遣っているというより、
声を掛けて迷惑がられたら、自分が傷付くという心理が
より多く働いているのだ、と。

面倒なことに関わりたくないという心理を、
まるで、それが親切であるかのようにすり替えて、
自分を誤魔化しているのだと
おばちゃんはいうのである。



小説で人を救いたいという人がいる。
自分は安全な場所にいて、
誰も傷付ける危険性がない、どうでも良さそうな、
道徳の教師が好んで言いそうなことを、
さも分かったような顔で口走るヤツがいる。

人を傷付けない言葉は、人を救いもしない。

『うるさいなあ、このスケベオヤジ!』
女の子に言われるくらいのことを恐れていて、
何が救済の文学だ。



単純なオレは、以来、そんな場面に出会うと、
おばちゃんの言葉を思い出し、実践するよう努めている。

もちろん相手が若い女性のときは
躊躇することも多い。

若い女性に優しい言葉を掛けて、
それで感謝されて、
その感謝が、やがて仄かな恋に変わって、
そんでもって・・・・

そんなことを考えないこともないからだ。
オレはスケベだからね。

でも、いいじゃないか。

『この偽善者! 女たらし! 下心野郎!』

罵声を浴びたところで、
所詮、事実を言われたまでのことなのだ。




もちろん、ネットでも何でも、話し掛けるのは、
その人が魅力的だからだ。
いくらなんでも、ただ単にお助けマンになりたい訳じゃない。







7.13
0時少し前のEテレが好きだ。『ナイツの言い間違いで覚える日本史』『美輪乃湯』『ギリシャ伸也』は違ったかな。
そして、『2355』 ♪みなさん、こんばんわ!にーさんごーごーのじかんですう。



北関東の寂れた駅前商店街。
暑い。暑くてたまらねえ。
四半世紀ぶりにエアコンのない夏を過ごす。
家が売れるまでエアコンどころではない。
生きるか死ぬかだな。
マジ





7.12
『ミステリマガジン・八月号』を購入した。
深津十一氏の記事が掲載されているからである。
しかもオレがかつて載ったのと同じ『迷宮解体新書』
筆者も同じ村上貴史氏である。



少しずつではあるが、プロ作家の知り合いも増えた。
投稿を始めた頃には、まるで雲の上の存在だったのに、
気が付くと、それが当たり前の世界になった。
そして、当たり前の世界になったことで、
当たり前のように、興味が薄れていく。
当たり前でない世界に行かなくてはならない。
しかし、その壁は限りなく厚い。
今のオレにはそう思える。
小説を書き始めた頃、そう感じたように。

深津氏の記事は実に興味深い。
新人賞に投稿している人には、
参考になる部分も多いだろう。
あるいは、氏が優秀過ぎて落ち込むかもしれない。
それでも、作家を目指す者にとって、
その道程を経験した者の話は、
決して無駄にはならないだろう。
お勧めする。






7.11
暑い。
ハンパねえ。








7.10
北関東の田舎町。
路地栽培のトマトを見かける様になった。
食いたい。







7.9
庭の睡蓮鉢の睡蓮が咲いた。
もう一株、ピンクの睡蓮があるのだが、そちらはまだつぼみが見えない。
睡蓮を植えて四年目くらいだろうか、根詰まりを起こしているようだから、土の入れ替えをしようと思っていたのだが、引っ越しで随分遅くなってしまった。本来なら真冬にするべき作業だというが、ようやくやったのは五月の連休過ぎぐらいだった。
だから、黄色が咲いたのは、実はちょっとうれしかったりする。



5匹まで減ってしまったメダカも、
今年は順調に増えて、今では100匹は下らないだろう。
鉢がふたつでは少なすぎるくらいだ。






7.8
リンが逝っちまってからというもの、ハッピーがうるさくて仕方がない。
寂しいのは分かるけど、ピー!という、オカメインコの呼び鳴きは頭に響くし、これじゃあ近所迷惑になっちまう。
しょーがねえから仕事場の土間に連れてきたら、今度は呼び鳴きに加えて、餌も食わずに出せ出せダンス。
ちょっと静かだと思って振り向くと、出せ出せ念力熱視線。
リンとは長い間同じケージにいて、毛づくろいをし合う仲だった。そのリンがいなくなってしまったのだからナーバスになっているのだろう。
実際、ハッピーからすれば末の娘を亡くしたのだから、察してやらないと気の毒というものだ。



でもさ、インコは止まり木の上にいろよ。
そんな出入り口の前にいると
ニワトリみたいだぜ。



トリは面白い生き物だ。
同じオカメインコでも個体ごとに性格がまるで違うし、
男女、いや、雄雌の愛情も深いものだ。
インコの中には『ラブバード』という区分けがあって、
つまりオスメスのペアが、やたらとラブラブする訳だが、
一方が死んでしまうと、
寂しさからもう一方も死んでしまったりするというから、
名前通り相当なものだ。

オスがメスに餌をプレゼントするのは、
人間以外の動物では鳥だけだと聞いた記憶がある。
相当に知能が高い動物でも、
餌のやり取りだけはしないという。
食料は生死に直結しているからである。
それだけでも鳥がいかに風変りか分かるというものだ。
もっとも、恐竜の生き残りなのだから、
彼等にしてみれば、哺乳類など問題外なのかもしれない。

ネットで知り合ったねーちゃんが、鳩のキスシーンを撮影していた。
三十分にわたり、チュッチュしていたそうだ。
その写真があまりに見事なので、
内心、嫉妬していたのだが、
彼女曰く、200カットも撮ったそうだ。
少し安心した。

とはいえ、別件のトビの写真もよく撮れていて、
猛禽がまだまともに撮影できていないオレは、
うーーーーーむ、と唸るのだった。
プロの指導を受けているらしいが、
こと、鳥撮りに関しては、機材、経験とも、
オレの方に一日の長があるはずなのに・・・。

もっとも、文学賞などでもそうで、
なんだって、のんびりしていると、
♪あ〜と、か〜ら〜、き〜たあ、の〜に〜、お〜い、こ〜さ〜れ〜♪
は常識だけどね。



ちなみに、オレは鳥は好きだけど、
基本的に動物は何でも好きだ。
長細い爬虫類は除く、だが。






7.7
七夕だな。
七夕の雨。
クリスマスイブに雪が降ったためしがないが、七夕もまたそれが決まりかのように毎年雨だ。
そして、オレはというと毎年タナボタを期待しているが、バレンタインデーの放課後の如くにいつも空しく終わる。
あたりめえか。



クマバチは好きなハチだ。
曇天の夕方。
光が足りない状況では、これが精いっぱい。
フルサイズ機に明るいレンズならなら、
もっと鮮明に撮れるのだろう。

とはいえ、秒速8コマ+Lレンズは
オレにとって奇跡的とも言える環境だ。
多謝。






7.5
『リンちゃんが変な声で鳴いてる』
久し振りに帰ってきた長男がいった。
昨夜遅くのことである。
何だろうと見に行くと、ケージの床にうずくまるようにしたリンが、断続的に、弱々しい声を上げている。
リンは、ハッピーとランの間に生まれた三羽のオカメインコの末っ子で、もともとあまり丈夫そうではないので、心配することは多かった。
タマゴが詰まったかな。
北関東は昨日の夕方から妙に寒くなった。
こんなときは、保温が第一だろう。
さっそく仕事場に連れて来て、ペットヒーターを準備した。
リンは辛そうに鳴いている。
ネットで病状を調べながら、様子を見ること僅か三十分。
リンはひときわ辛そうに、そして長く鳴くと、そのまま死んでしまった。
インコの最後は何度か看取ってきたが、初めて聞く声だった。



このところ毎朝、オレが仕事場に来るたびに、
同じケージにいるハッピーが母屋でうるさく鳴くもので、
何だろうと思っていたが、リンの具合が悪かったのだ。
鳥は病を隠す。病気がバレないよう、元気なフリをするのだ。
自然界で生き延びるための知恵である。
今朝見ると、餌がほとんど減っていなかった。
ハッピーもまた、一日中食べずに過ごしたのだ。



リンは長男が帰って来るのを待っていたのだろう。
鳥には不思議な力があるという。
久し振りに長男が帰って来ることをどこかで知り
彼の顔を見るまで頑張っていたのだ。
インコが死ぬのは大抵、良く晴れた早朝だ。
空の向うへ旅立つのには、そんな日が良いのだろう。
こんな夜更けに逝ってしまったのはリンだけだ。
昨夜は、本当に久しぶりに全員が家にいた。
リンは、それを待っていたに違いない。
そうでなければ、病院に連れて行く暇もなく、
あんな急に死んでしまうはずがない。



ハッピーは今朝早くから、リンを探してしきりに鳴いていたが、
オレが埋葬を終えるとそれきり静かになった。
その場を見ずとも、彼には分かるのだ。
北関東の田舎町、空はどんよりと曇っている。
やがて雨になるだろう。






7.3
仕事場の入口にスズメの巣立ち雛。写真を撮っていたら、電線の上でお母さんスズメが大騒ぎ。さらったりしないから大丈夫だよ。この仔は足もしっかりしているから、オレが手出しする必用もない。まずはひと安心だ。



オレを嫌いな人は
オレが思うよりずっと多いだろう。
考えてみれば子供の頃からそうだったような気がする。
オレが人嫌いといわれるのは、
たぶん、人がオレを嫌いだからだ。
オレを嫌いな人をオレは好きになれない。
タマゴとニワトリではなく、
これは事実だと思う。





7.2
最後のヤマ場で筆が止まった。
唐突過ぎるのではないかと、不安になったのだ。
参った。



オレは関西の女性が好きだ。



関東の女性も好きだけど。










新しいパソコンがネットに繋がらないという
半年前に買ったようだからWIN8.1だろう。
たぶんノートパソコンだから子機は内臓されていると思う。
まさか、そうでないなら、まず子機を買ってくることだ。
1.000円でおつりがくる。

問題は無線LANの通信方式にありそうだ。
アクセスポイント(無線LANの親機)が古いのではないだろうか。
親機の通信方式が11bとか、11gのような気がする。
それで、子機が最新の11aだとすると、
もしかして繋がらないかもしれない。

もちろん、子機が親機の11b、11gにも対応していれば問題ないが、
古いアクセスポイントは通信速度はもちろん、
セキュリティの観点からもあまり感心できない。

オレは詳しくないが
可能であれば、アクセスポイント(親機)を、
新しくした方がいいような気がする。

セキュリティの問題
暗号方式とか、ウイルスソフトがブロックしている、など、
だとすれば、ちょっと面倒かもしれない。
一度ウイスルソフトを無効にして接続してみるのも可かも。
オレは詳しくないけどね。





7.1
集団的自衛権に関する解釈の変更が閣議決定されたという。
官邸前では、デモが行われたらしい。
安部ちゃんに対して好意的過ぎると思うが、オレは極東有事の可能性が相当高まっているのだろうと考えている。これだけ閣議決定を急ぐにのだから事態は相当深刻なのかもしれない。
有事の際には作戦に加われと米軍に言われているのだろう。軍の行動を甘く見てはならない。企業活動などとは比較にならないほどの緻密な分析と、それに基づいた作戦が検討されているに違いない。あらゆる場合の戦闘が想定され、自衛隊の作戦行動も決まっているはずだ。もちろん極秘。だから総理もあんな言い方になるのだ。
ただ、戦火を交えるとなれば、どういう形であるにしろ、日本は否応なく巻き込まれ、負ければ百年の悲惨、勝てば百年の遺恨が残るだろう。

この度の、解釈変更は、極東有事の際、邦人の救出作戦を速やかに遂行できるよう環境を整えたいのだと考えるのが自然だと思う。だから、この解釈変更をもってして、自衛隊がイラクに行ってドンパチやることは考え難い。とはいえ、総理の口から、極東有事への備えだとは言い難い。言えばただちに国際問題だ。曖昧な言い方をするものだから、世論は当然味方しない。いや、どのみちこのみちこういうことに関して世論が味方してはまずいのだが。
いずれにしても、そんなことは国内の事情に過ぎないし、アメリカはXデーは近いとう。
どっちにしても日本は危ういということだ。

極東の安全保障に関する問題であるなら、沖縄の基地負担とも関係がある話ということになる。ひとついえるのは、軍事行動や、仮想敵国の情報は、極秘中の極秘であり、更に、それに基づいて策定される防衛、戦闘計画は、更なる極秘だということ。
なぜ普天間が必要か、などということを、米軍が言うはずがない。日米安保などといっても、アメリカはそのあたりは冷淡なはずだ。そりゃそうだ、日本など信用できるはずがない。

この度の解釈変更にも、当然アメリカ軍の意向が強く働いており、それが、日本の安全保障に直結しているのだろう。
いくら安部ちゃんがタカ派だといっても、好んで戦争をしたがるとはオレには思えないのだ。お人好しだろうか。
オレの推測が正しければ、邦人救出にかかる作戦は、憲法九条うんぬんはともかくとして、とにかく速やかに実行しなければならないだろう。そして、そのことについては当然アメリカ軍の圧力ともいえる強い働きかけががあったに違いない。だから閣議決定なのだ。総理はともかく、官僚にキレ者がいるのだと想像している。微妙に違憲という形で押し切った方が、改憲より得策だと考えたのである。いや、そう思いたい。
いずれ自衛隊が戦闘に巻き込まれるのであれば、その方がまだ平和憲法に存続の道が残されるからだ。

場合によっては国土が戦場になる可能性があるのが極東危機だ。戦争反対を叫んでも、他国の軍隊が侵攻してくればそれも無意味だし、教え子を戦場に送るなのスローガンは、間違ってはいないけれども、その可能性のおいて、少しピントがずれているようにも思う。

この国の憲法はオレも好きだ。戦争にも断固反対したい。
でも、官邸前のデモを見ていると、どこか、安易なセンチメンタリズムに流されているようにも思えてならない。原発反対のときもそうだったが、議会制民主主義の国なのだから、本気で反対したいなら政党を作るべきなのだ。それをしないということは、結局人頼みのグチにしか聞こえない。居酒屋の政策論議だ。

この国は危うい。戦争をするかもしれない。
だいたい、右翼のハゲ作家のゼロ戦小説がバカ売れするのだから、危ういに決まっている。反戦を叫ぶのは結構だ。しかし、自らの中にある暴力の血に、もっともっと敏感でなければならない。正義という名の暴力的欲求は誰にもあり、その力は強大だ。オレは正直抗いきる自信はない。



つるかめつるかめ。
いや、はくちょうとかめだ。
残念。






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