宮ノ川 顕のブログ



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12.26
年末年始。
オレのような貧乏自営業者にとって、仕事が激減する恐怖の季節。僅か二ヵ月ほどで、数十万円の赤字が出ること必至。最悪の時期には100万円の赤字だった。それがこの二十年の間、毎年繰り返されたのだ。そして、今年もその状況に大きな変化はない。
クリスマスもショーガツもカンケーねえ。何がメリクリだ。何がアケオメだ。暢気にネンガジョーなんて書けるかバカ!
そんな気持ちにもなろうってもんだぜ。



彼女の幾つかの短い小説は、
人間の正気という表紙と、狂気という裏表紙を、
事実や史実といった知的エッセンスの背表紙で繋ぎ、
それを、(漢語を多用した?)硬質な文章の糸で綴じることで、
物語としての成功を納めている訳だけど、
彼女はいったいどこまで意識した上で、
そのロジックを執筆に応用しているのだろうか。
ふと、そんなことを思った水曜の夜であることよ。

と、書いてから新作を読む。
何だよ、作風が違うじゃん。
器用にもほどがある。ありえねえ。
とはいえ作者の匂いは残っている。
オレのいうところの文紋は変えられねえ。
これこそ、資質の証明なのだ。
それにしても、相変わらず上手い。小憎らしいくらいだ。
『これで、あっと驚く結末があれば』
悔しいから、いかにも編集が言いそうな、
どーでもいいケチを付けておこう。
それと、最後。
『ビーフシチューの旨そうな匂いがした。』
『旨そう』は不要だろう。
詰めが甘いぜ、ねーちゃん。







12.25
世間様はクリスマスだのイブだのいうけど、オレ様には何のカンケーもねえぜ。





髪が随分伸びたので、昨日10cmほど切った。
ハサミを使う仕事をしているので、
合間にチョンとやるのだ。
切った髪を移植できたらどんなにいいことだろう。



いつかスキンヘッドにしてやる。







12.24
あるところである書き手がこんなことを言っていた。
『リズムが出るのは分かるが、よほど強調したいところでなければ、代名詞はなるべく使いたくない。』
たいした修辞意識だ。どうりで老成した文章を書くと思った。感心した。



何か咥えているトリが好きだ。



オリーブの枝を咥えている鳩は国連だったっけ?



吉兆というか、良いモノを運んでくれるイメージがあるのだろう。



どれもピンボケというのが情けない。






12.23
歴史に題を取った小説を書きたいという願望がある。
ファンタジーばかりというのは、やはり書き手として不満が残るのだ。
土浦藩に関流炮術というのがある。大筒を手持ちでぶっ放すので有名な砲術だ。その射手の若い侍と、彼のライバル。幼馴染で大筒作りを目指す鍛冶屋のせがれ、そして、藩主のお姫さまを主な登場人物に、時代小説を書こうと思ったことがある。
『でも書くには取材とかで大変だと思いますけどね』
『大変だと思うなら止めましょう』
編集は、分かったようなことを言って、そのままボツにしたが、どんな小説だって書くのは大変なのだ。それどころか、書く価値のある小説ほど、書くのは大変なものだ。



三十六歌仙絵巻切断事件というのがあった。
大正八年。国宝級の絵巻が、バラバラに切断され、
三井、住友といった大財閥の当主に売り渡された事件だ。
文化財保護法制定のきっかけになったと記憶している。
その、貴重な絵巻を切断した経師屋を主人公に
この事件を短編小説に仕立ててみたい。
そう知人に話したところ、面白そうだけど売れないでしょ、と言われた。
面白そうだけど、地味で売れそうもない。
どこかで同じことを聞いたような・・・



乱歩賞にでも応募するか。
三十六歌仙ではなく、実は三十七歌仙だったとか。
で、その三十七人目に描かれていた謎の歌人の絵に、
平清盛に由来する財宝の秘密が隠されていた、とかね。
受賞する自信はある。
とかいって、乱歩賞作品って一作も読んでないな。
しょーがねえなあ。
まあ、何をするにも四作目を上梓した後か。

でも、日本武士道党も立ち上げたい。(笑






12.22
つくばの洞峰公園に行った。一年ぶりだ。



耳を澄ませると葦の中でパチパチ音がする。
シジュウカラとメジロの群れが、葦を割って何かをついばんでいた。
目が怖いよ。せっかく可愛い顔してるのだから、
食事のときも笑って食べようぜ。



画像が小さいからいいけど、
原寸だといまいちシャープでない。
時折、ボディとレンズをメンテナンスに出した方がいいと、
美人カメ友が言っていたが、たぶんオレの腕が悪いのだろう。



なっちゃんという、おばさんだけど、ちょっと可愛いくて、
少しとぼけた書き手がいて、
もう随分前だけど、彼女にこんなことを言われたことがある。
『Dちゃんは、若い女の子に話しかけられてうれしかったのよ』
ああ、その通りだよ。
あのとき、オレはうれしかったんだよ。
オレが何を言ったのか忘れてしまったのが残念だが、
その通りだという記憶は鮮明に残っている。
なっちゃんの言うことはだいたいがグダグダで、
大丈夫かよ? と、思うことも少なくないが、
あのときは、見事に人の心を読んでいた。
まあ、オレ様ときたら、バレバレでデレデレだったのかもしれないが。






12.20
田母神元航空幕僚長が落選したという。
ネトウヨは所詮ネトウヨで、右派勢力にはなり得なかったということらしい。
オレは知り合いの剣道三段に『日本武士道党』を結成して国政に打って出ろと、いつもけしかけている。駅前で三年間街頭演説をすれば、議席のひとつくらい獲れるのではないかと思っていたのだ。
でも、田母神閣下が最下位で落選というなら、やはりダメかもしれない。



野田元総理をオレは評価している。
先日の選挙特番で、政治記者が選ぶ、総理になって貰いたい人の二位だった。
ちょっとうれしかった。
一位は、谷垣元自民党総裁。
その谷垣氏が財務大臣時代に色紙を書いて貰ったことがある。
直接ではないが、仕事上の関わりがあったのだ。
その色紙は、今も豆屋ワンダーランドに飾ってある。
だから、これもまたちょっとうれしかった。

国益という言葉を聞くようになったのは、
この五年くらいだろうか。
かつては馴染みのない言葉だった。

オレは国益には興味がない。
それでも、もしオレに、何らかの使命があるのなら、
左翼にでも右翼にでもなるつもりだ。
それを日和見主義という者は、
おそらく何事も成し遂げられない者だろう。
使命と願望は違うのだ。

まあ、オレにはそんな大それた使命などないけどね。






12.19
肩は凝るは、頭痛はするは、腰は痛てえは、もうボロボロ。
頼むよ、マジ。



山を高くするには、石を積み上げるだけではなく、
裾を掘り下げることが肝要だ。
絶対的な高さを追い求めれば、凄い小説が書けるかもしれないが、
面白い小説を書きたいと思うなら、相対的な高さに着目した方がいい。
たとえ100メートルの山であっても、
3.000メートル掘り下げた場所から見上げれば・・・、ということだ。

まあ、偉そうなことを言っても、
オレ様ときたらこのテイタラクなのだけどね。
まるで口だけ番長。どうにもならねえ。






12.18
『飢えた子に、文学は何ができるか』
そりゃ、何にもできないに決まっている。文学が誰かのために何かできるなんて、僭越も傲慢もいいところだ。
たとえ飢えた子にパンを与えられたとして、それで何かできたなどと思ってはならない。
人は人に何もしてあげられない。それが基本だ。たとえ親子であってもだ。
そこを勘違いするからおかしなことになるのだ。

書き手は読み手を救済できない。
けれども、読み手は書き手に救済されることがある。
だから、するべきことをするだけだ。





12.17
拙著『斬首刀』の舞台でもある加波山に登ってきた。



以下、『斬首刀』あらすじ(ネタバレあり)

主人公、菊地雷太は、横須賀の場末で米兵相手の飲み屋を経営する母と姉と暮らしていた。
ある日、米軍の対テロリスト特殊部隊のモグラに、姉を殺され、
失意のうちに、母も病で亡くなる。
その、母が亡くなる直前のこと、雷太の曽祖父の遺品だといって、
古びた機械を渡される。
聞けば、原子力爆弾の起爆装置だという。



第二次世界大戦終戦当日に、加波山に米軍の爆撃機が墜落した。
山中で炭焼きを営んでいた雷太の曽祖父は搭載されていた原爆を奪い、
加波山七百余の霊場のひとつ『風の岩戸』の奥に隠したという。
雷太は、姉を殺し、自分たちを苦しめたアメリカ軍に復讐しようと、
その原爆を探しに加波山へを向かう。



霊場のひとつひとつを探している雷太。
ある日、ふたつに割れた大きな岩の間を抜けたところで、
ひとりの若い侍の霊と出会う。
幕末、天狗党を率いた首謀者のひとり、田中源蔵だった。
源蔵はこの奥に、雷太の曽祖父が隠した原爆があるという。



不安を覚えながらも源蔵の後に続く雷太。
山頂の風景は何度も来たことがあるのに、まるで違っていた。
ここは異界であり、時間が止まっているのだと源蔵はいった。
神社の扉を開けると小型化された原爆が、真新しいままに置かれていた。
霊である源蔵は、この世から持ち込まれた物にはさわれないという。
そこで、雷太の肉体を奪い、自らの悲願であり、明治維新で亡くなった同志たちの意思でもある
尊皇攘夷を決行しようとしたのだ。



雷太の肉体を奪い原爆を手に里に下りた源蔵は、雷太の寄宿先の前田農園に現れ、
園長の前田に、起爆装置を出渡すように迫る。
拒否した前田は日本刀で足を刺され、吠えかかった犬の小四郎は、源蔵に惨殺される。
ヒロイン風子は、雷太の魂が風の岩戸に封印されていると考え、
源蔵に起爆装置を取りに行くと言って雷太のオフロードバイクにまたがった。
アメリカで育った風子はそこでモトクロスを趣味にしていたのだ。
深夜にたったひとり、バイクに乗って岩戸に向かう風子。
しかし、岩戸は閉じられていて、僅か数センチの隙間しか開いていなかった。
途方に暮れる風子の前に、殺されたはずの犬の小四郎が現れる。
振り向くと岩戸が開き、そこに雷太がいた。



源蔵から肉体を取り戻した雷太は、前田の車に乗って横須賀に向かう。
自分の手には負えないと思った雷太は、米軍基地の裏門に原爆を置く。
これでいい。そう思って帰ろうと思ったところに米兵のモグラが現れた。
雷太のことを、基地を爆破しようとしたテロリストだというモグラの手には拳銃が握られていた。
自分は決して相手を容赦しないとモグラはいった。
モグラの家は代々軍人の家系で、祖父は第二次大戦にも従軍し、
終戦当日に、東京へ向かう爆撃機に乗っていた。
山中に墜落した飛行機の搭乗員は、全員首を斬り落とされたという。
その中にモグラの祖父もいたのだった。
『俺は容赦しない。お前たちがそうだったように』
モグラが雷太の姉を殺した理由を話し、拳銃の引き金を引こうとしたそのとき、田中源蔵が現れる。
きらめく斬首刀。
モグラの首は鈍い音を立てて地面に落ちた。






12.16
気仙沼在住で友人の官能小説家、小鳥遊葵氏が、飲食店を再開した。
先の津波で全て流されてしまった店を再興したのだ。
繁盛することを祈らずにはいられない。
いや、執筆に差し支えるから、ほどほどがいいのかな?



気仙沼大島・お食事処『漁師のせがれ』

宮ノ川のブログを見て来ましたといえば、
漏れなく、店主から特別サービスがあります。たぶん。(笑





12.15
オレは粘着質だからしつこく言う。
特攻隊員を主人公にした反戦小説が何百万部も売れて、それを原作とした反戦映画も大ヒットして、それらを読んだ人、見た人の多数が涙を流し、戦争はしたくないと思ったそうだが、だったらなぜ、憲法を改正し、自衛隊を軍隊にして、集団的自衛権を容認しようとする政党が、衆議院選挙で大勝したのだろう。



つまり、ニセモノなんだと思うよ。
ニセモノが言い過ぎなら作り物。
他人事の反戦。雰囲気だけの戦争反対。
結局、自分には関係ないんだよ。
お話の中の特攻だから、涙なんて流すんだ。
死はそんなに甘くない。

小説に登場するひとりの特攻隊員に涙して『戦争はしたくない』と思うのと、
爆弾を抱えて敵陣に突っ込んだという三人に感化され軍隊に憧れるのは、
心理の動きとしては同じことだ。
感傷でモノゴトを判断するのは危険だ。
なぜなら、それは容易に反転する。

ついでにいうけど、
経済政策が最優先なんていう反戦思想があるもんか。

じゃあ、オレはどうかといえば、
たぶんWW2のような戦争はもう起きないと思っている。
だから、自民党に票は入れないけど、自民党の経済政策は支持している。
安部、黒田コンビなら、
この国の経済を破綻させてくれるかもしれないと思っているのだ。
破壊と再生。
博打は承知。他人がどうなろうとカンケーねえ。
オレはしぶとく生きる。
生きて再び浮上してやる。
安っぽい反戦もどき小説なんかで泣いているヒマはないのだ。






12.13
こういう言い方はしたくないのだけれども、アマチュアの書き手による小説の批評で、『伝わらないので、もっと書き込んだ方がいい』というのを目にすることがある。
『もっと』というのがどのくらいか分からないが、たとえば、50枚の作品を80枚にするというのであれば、それは見当違いというものだ。
読者に伝わるか伝わらないかは、長さの問題ではない。どれほどたくさん書いても、伝わらないものは伝わらない。それどころか、書けば書くほど混迷の度合いを増すだろう。
読者に伝わらないのは、そういうことではない。もっと別の決定的な何かが欠けているか、文章の流れが違う方向を向いているのだ。
伝わるときは、たった一行で存分に伝わるものだ。
それを探すことが肝要であり、唯一の道である。



映画『テルマエロマエ』の撮影がここで行われたそうだ。
どことなく奇妙な公園だった。

オレが行ったときは、数人のカメラマンが、
モデルの若い女性を撮影していた。
『寒いけど、モコモコしないようにね』
『はい』
白レンズをくっつけたカメラをぶら下げて、
オレはその前を横切った。
オレの方がきっと上手いぜ。
根拠もなくそんなことを思いながら。







12.12
数学が好きだ。全学校生活において、常にクラス最低レベルの成績だったし、今でも九九すら言えないけれど、文学なんかよりずっと数学が好きである。
NHKなどで数学関係の番組をやっていると必ず見る。とはいえ、たいていは途中で眠ってしまうのだけれども。
オレの脳味噌はかなり少ない。そこで、一般的な知識の吸収を諦めて、その大半を小説に使うことで、ようやく文学賞を貰える程度になった。
かつて少年ジャンプに『奇面組』という漫画が連載されていた。主人公は『筋肉大移動』と称して、上半身の筋肉を下半身に移動する技を持つ。それを使うと走るのが滅法早くなるのだ。それに似ている。
もっとも、そんなことをしたらバランスが崩れてかえって遅くなることは明白だ。オレが時折りおかしなことを口走ったり、奇行にも似たことをするのは、やはり無理な脳味噌の使い方をいしていることに原因があるといえる。
数学が好きだといいながら、そのテレビ番組の途中で眠ってしまうのもそのためだ。一般的な容量の脳味噌を持つ、大多数の人には理解できないと思うが、オレの脳味噌はその容量が少ないがために、明らかに数字を拒絶している。だらか無理に受け入れようとすると、シャットダウンするのである。数字がゲシュタルト崩壊することなどしょっちゅうで、だから絶対にレジの仕事はできない。
こういうと屁理屈だと思われるだろう。でも、屁理屈でもなければ嘘でもない。九九も言えないのに数学が好きだという現象が、それを逆説的に証明している。つまり、オレが数学に心惹かれるのは、脳が拒絶するが故の渇望なのだ。



先日、Eテレの白熱教室で素数の講義があった。
やはり途中で眠ってしまったのだけれども、
その週末、小説を書く時間を全て削って、
素数階段についてああでもないこうでもないとやっていた。
リーマン予想は世紀の難問である。
オレなどその意味すら理解できない。
それでも、相手が整数だと、もしかしてという気持ちになるのだ。
笑われても仕方がないか・・・

なおオレには京大の数学科出身の知り合いがいる。
東大の数学科を出た編集者に執筆依頼を受けたこともある。
東西の数学的秀才がオレを認めてくれたのだ。
はっきりいって、オレ最大級の自慢だ。







12.11
ある場所に閉じ込められたふたりの男が登場する物語。
ひとりは、非常にまじめで、結婚したばかりの妻が心配しているに違いないと、何とか脱出しするために、様々な試みを繰り返している。
一方、もうひとりはいわゆるワルで、犯罪を犯して逃げる途中に迷い込んでくる。ここは閉鎖空間で、警察も入ってこられないと知り、むしろ好都合だと、居座っている。

途中まで書いて、知り合いの女性に読んで貰った。オレはワルを主人公に書いていたのだが、彼女は真面目な男を主人公にした方がいいという。ワルは脇役としては魅力的だが、主人公にすると感情移入できないのだそうだ。特に女性の感覚からするとその気持ちは強いという。

なるほど、いわれてみると分かるような気がする。
女性はワルが嫌いなのだ。いや、脇役として、つまり他人事として見る分には良くても、主人公として、自分が感情移入する相手としては不向きだということだ。

十代半ばくらいの若い時期、ワルは意外に女性にモテる。知らない世界への憧れと、性的な興味がそうさせるのだ。子供の頃は、同じ年齢なら男が圧倒的に幼いということもある。
が、その一時期を過ぎると、話は違ってくるらしい。『離婚しようと思っている』そういった途端、親しかった女性があっけなく去っていったことがある。会ったこともないのに、口説いたりしねえよ。オレは思ったが、実はそうではなくて、つまり、離婚を考えるような男を危険視したのだろう。生み育てる性としての本能だと思う。

読者は主人公に非常に厳しい。特に男性の主人公に対して、女性読者はそのような傾向が強い気がする。
ちょっとくらい不幸な生い立ちであろうと、困難があろうと、不幸があろうと、簡単に諦めたり、ワルになったりを許さないのだ。
もっと頑張れ。まだまだできるはずだ。そのくらいでくじけてどうする。家族はお前を頼りにしているのだぞ! さまざまな重圧が主人公にのしかかる。自殺に逃げるなどもってのほかなのだ。
太宰を例に出すまでもないが、甘やかせば堕落し、つけあがるのが男の本質だと見ぬいているのかもしれない。
確かに、自殺するのは圧倒的に男が多いという。女性はそんな簡単にはくじけないのだ。

でもね、でもさ、そうはいってもさあ、と、オレは思うのだけどね。
そう思うこと自体が甘えなのだと言われそうだ。



真面目な男も、ワルも、オレ自身がモデルになっている。
それぞれの側面を強調し、それを元に人物造形しているのだ。
オレは女性にモテないとよくボヤくけれども、
オレのワルの部分に女性は不安を覚えるのかもしれない。
ワルといってもたいしたことはないのだが、
オレがたいしたことないと思う、そこの部分こそが一番ダメなような気がする。

たぶん、ちょい悪オヤジは世間で言うほどモテないに違いない。
もし、モテるとしたら、たぶんワルの部分ではなく、
ちょっと金持ちというところだろう。
オッサンがワルぶるには小金が必用なのだ。
少なくとも貧乏なワルは絶対にモテない。
それは、自信を持って断言する。
つまりオレだ。








12.10
物語の骨格はシンプルであればあるほど強度を増す。一見複雑なストーリーに見えても、中心を貫くのは一本の丸太でなければならないということだ。
井上ひさし氏は、その丸太を、『文章の中心思想、文章の燃料』だという。物語を要約できるかどうか。そこにひとつのポイントがあるそうだ。化身でいえば、池に落ちた男がそこで生き抜くために四苦八苦する話、とひとこと説明できるということ。
今書いている話は、いくらなんでも複雑に過ぎるようだ。というか丸太がなくて枝ばかりのような気がする。再構成した方が良さそうだ。



『奇跡は、ひとつの物語にひとつだけ』
ハリウッドにおける脚本術をまとめた本に、
そんなことが書いてあった記憶がある。
物語を書く上で、奇跡を用いるのはひつだけで、
ふたつ以上の奇跡を持ち出してはならないそうだ。
つまり、ある場所に奇跡的に入って、自力で出るのはOKだが、
奇跡的に入って、奇跡的に出るのはダメだということ。
なるほど、その意味でも、今作は見直しが必要らしい。






12.9
人生、何もかもがラストチャンスに差し掛かっている。
これでダメなら・・・
ダメだったらどうする。
どうする、オレ。



石川県は都道府県別降水日数ランキング一位だという。
松井秀樹の生真面目さは、もしかしてこんなことに起因するのかもしれない。
グラウンドが乾いている日が少ないから
その日は一生懸命に練習しようという訳だ。



恵まれた環境にいるのが幸いだとは限らない。
オレも、もしこれほど貧乏でなかったら、
小説を書いたりはしなかっただろう。



でもなあ・・・
貧乏で死にそうになりながら文学賞を貰うのと、
別に特別なことなどなくても、平穏無事な人生と、
どっちがいいかっていうと、正直微妙だ。






12.8
鳥撮りに行く。



メジロ君発見!



ベンチに腰掛けて耳を澄ます。
コツコツコツと音がする。
キツツキがいるな。
そっと周囲を見渡した。



アカゲラ!



でも遠い。暗い。
そしてポンボケ。






12.6
車検で16万円。高い。株でひねり出したからいいようなものの、高すぎる。ありえねえ。





12.4
原油価格が下がったのに、ガソリン価格がそれほど下がらない理由について、マスコミは円安がどうとか、備蓄がどうとかいうけど、オレは違うと思うよ。



要するに、ガソリンで儲けたい奴等がいるってことさ。
石油資本に、公共とか公平なんて概念があるはずねえ。
マスコミは資本家の犬だから、
連中の言い訳を垂れ流しているに過ぎない。
信じられるもんか。

新聞なんぞ読んで、変に大人ぶって、
分かったような気になるのは危険だ。


ガソリン高けえぞ!
バカヤロー!

ついでに税金も高けえぞ!
バカヤロー!

ひとまずこれでたくさんだ。






12.3
衆議院選挙。
小選挙区制は好きになれない。
中選挙区制にして、当選者人数分の投票(二人区なら二票)にして貰いたい。
政治なんて白黒つければいいってもんでもないだろう。



知り合いの武道家には、
『日本武士道党』を結成して、総理を狙えと
けしかけているのだが、相手にしてもらえない。
残念だ。






12.2
肩凝り、腰痛、痛風。
上中下と身体が痛い。
まあ痛風は発作が出てないから、今は痛くないが、いつ再発してもおかしくないだろう。



私の部下は五十歳というNHKのドラマを偶然見た。
ドラマといっても1話5分。
これが面白かった。



今年の流行語大賞は、『ダメよ〜ダメダメ』だという。
オレは迂闊にも知らなかった。
YouTubeで見たが、馬鹿馬鹿しくも面白い。

どちらも、オッサンがメインというのが何より良い。
しかも、軽薄でスケベ。オレにそっくり。
いよいよオレの時代が来たようだ。



ネットの記事によると、
オッサンの自撮りは、若いねーちゃんに嫌われるそうだ。
今更、何をいう。自撮りなんて、してもしなくてもカンケーねえ。
あの子にも、この娘にも、オレはもう充分に嫌われた。
フラれたことも一度や二度じゃねえ。
オレにはもう怖いモノなんて何もねえぜ。








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