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2011年11月





11.30
健康のために素振りを始めた。一日100本。少ないけどやらないよりはいいだろう。そろそろ1ヶ月になる。民舞の師匠だった亡くなった義母が、踊りは肩より上に腕を上げるから健康にいいのだといっていた。確かにオレの両腕はいつだってだらりと下がったままで、ほとんど矢吹ジョー状態なのだ。腕を上げて、ついでに株が上がって、それでもって血圧が下がればいうことなし。



下から三本目が男子用三尺九寸。
結構重い。






11.29
出版社はオレのような売れない作家でも、パーティなどに行けば一応丁寧に扱ってくれる。今日はダメでも明日にはベストセラーを書くかもしれないという思惑があるのだろう。
オレはというと根が商売人なものだから、仕事を発注し金を払う方が上位だという意識がある。だからどうしても必要以上にペコペコしてしまい、どうもうまく話が噛みあわない。
角川三賞では同社社長の井上氏に挨拶を頂いた。斬首刀の見本を見たとのこと。あれだけの会社の社長でありながら、オレの顔を覚えておられるのが不思議でならなかった。



変な鳥で検索すると出てくるという。
確かにちょっと変わっている。
何しろパンを千切って与えていると、
千切った方ではなく、反対の手に持っている本体を狙ってくるのだ。
気が付くと後にいて、ふくらはぎを突いて催促したり・・・。
オレもこんな風に図々しくなりたいものだ。
まあ、そこそこ図々しいとは思うけれども。






11.28
『角川三賞』 カメラを持って行かなかったので去年の画像です。××階で贈賞式、○○階でパーティー、で再び××階で二次会。オレは酒も飲まずに食うことに専念。でも、雰囲気のためかシラフなのに酔ったような感じになった。つまり、こういう場では飲まない方がいいということ。


パーティーは直木賞と同じ会場だそうです。↑↓


二次会は着席して円卓。左隣りは朱川湊人氏。
はっきりいって場違いなオレ。
『御殿場の兎が急に日本橋の真中へ抛り出されたような心持ち』
夏目漱石の一文。さすが文豪。


梱包しておいた『斬首刀』を、郵便局に持って行った。
郵送は実家1冊、国内1冊、海外2冊。
また、日を改めて、取材に行った農園に1冊と、
地元の高校、二校に『3冊セット』で献本する予定。
こんなに本を配るのはきっと最初で最後だろう。
ヘタクソなサイン入り。正直かなり恥ずかしい。







11.26
『斬首刀』の見本が届いた。これで止めを刺されるのはオレだろう。








11.25
今日は夕方から角川三賞の贈賞式に出席する予定。行ったところで、知り合いや話し相手がいる訳でもないから、今回は欠席するつもりだったけど、『斬首刀』が今月発売になるので、この機会に編集に挨拶しておこうと思ったのだ。



毎回のことだけど、余計なことは言わないように注意しよう。
この季節はなぜか神経に障る出来事が起きる。
去年もそうだったが、今年もそうだ。
だからといって、口は慎もう。
いつまでも若くない。オレだってもう大人なのだ。






11.24
『あの日、彼女とぼくが一緒に海に行ったことをFは知らない。誰もいない小さな砂浜を突然大きな波が襲った。ぼくは遠い浜に打ち上げられ、彼女は海の底に沈んだ。それがぼくたちにとって永遠に最後の密会となった。』

『みちのく怪談』応募作品『鬼の手形』で、当初、オレはU子が死んだ理由を上のように書いた。書いてからみちのく怪談のブログにアップされた作品を読んだ。思いの外津波に題を取った作品が多かった。それが良いか悪いかオレは知らない。また他の書き手の判断は尊重するつもりだ。ただ、オレはそのとき、津波を連想させる上記の表現は避けようと思った。
上記の場合、季節は夏になる。震災は早春。それでも『小さな砂浜を大きな波が襲った』と書けば、どうしても先の震災による津波を連想するだろう。あの日、津波に飲まれた人たちの中で、一人が助かり一人が死んだという状況はたくさんあるに違いない。当事者でも、知り合いでも、そんな目に遭った人が、これを読んだら何と思うだろうか。
表現だから、文学だから、何でも書いていいのではないと思っている。まして『みちのく怪談』である。このコンテストの優秀作が一冊の本に纏められることになれば、東北地方を中心とした書店に置かれることになるずだ。来店した何人かは、自分たちに関わりのある本ということに興味を惹かれて手に取ったり、中には身銭を切って買ってくれる人もいるだろう。オレは、そのことを踏まえた上で書く必要があると思ったのだ。無名とはいえ、自身がプロの書き手だということもある。
できれば海から離れたかったのだけれども、山や川、あるいは都市において似たような設定を考え付くことができずに、『防波堤を高波が襲った』という状況にした。これならギリギリ津波から切り離せると思ったのだ。
オレの知っている狭い範囲だけれども、マスメディアは差別や、嫌悪をもよおす表現にとても神経質になっている。『これくらいはいいだろう』と思って書いた表現にチェックが入ったのは一度や二度ではない。たとえば『斬首刀』で主人公にこう言わせた場面がある。
『姉貴は生まれたときから指が一本足りなかったんだ。お袋は筑波山のガマガエルのたたりかも知れないっていってたよ。四六のガマだね。馬鹿馬鹿しい』
少指症の取扱いについては慎重に。というのが編集の鉛筆だった。これを原文ママとするかどうかは、各々の書き手の判断だろう。でも、オレは改稿した。やはりそのことで苦しんでいる人のことを最大限考慮すべきだと思ったのだ。もちろん、それがその作品にとって重要であり、他の書き方では絶対に表現できないのなら、そのまま書くべきなのかもしれない。しかし、それを書くのなら、それによって傷付く読者がいる可能性を引き受ける覚悟が必要だろう。その覚悟がないままに書くべきでないとオレは思う。もちろんそれに気付かず書いてしまうことも多いから偉そうなことは言えないのだが。
以上、全て私見であることを付記します。



牛久からつくばへ。








11.23
そろそろ書影が掲載されたかと角川書店のHPを覗くと、『斬首刀』11月30日発売とある。どうやら発売延期になったらしい。これで二度目だ。
初めて子供が生まれたときのこと。予定日を過ぎても一向に出てくる気配がないもので、日が経つにつれ、このまま膨らんだお腹がしぼんでいくのではないかと思ったものだった。まあ、子供は一応生まれてきたが・・・。



貰った、貰った、貰った。へへ、プレゼントだぜ。
わーい (●⌒∇⌒●) わーい




11.22
今朝は霜が降りた。温かい日が続いていたので、寒さがこたえる。葛の葉は全て茶色に変色し、春まで毎朝地面は真っ白になるだろう。








11.21
『鬼の手形』は当初、双子の女の子で書くつもりだった。仲の良い双子。そのうちのひとりが交通事故に遭って亡くなってしまう。顔がオニヤンマのようになったという。悲しんだもうひとりは鬼の手形に願う。『もう一度会いたい』と。やがてその子も病気で亡くなってしまう。トンボのようにやせ細って。ふたりは一匹のオニヤンマとなって山の向こうに消える。
いくらなんでも悲惨すぎる。それで内容を変えた。震災がなかったら書いただろうか。だが、刺激的だからといって書いて許されるのだろうか。時折とても迷うことがある。



つくばの公園。いつものようにカモが渡ってきた。





11.19
仕事場の窓にスズメが大激突。ただの激突ではなく、まさに大激突だった。慌てて外に出て見ると、窓の下でひっくり返っている。あれほど小さな鳥がこれほど大きな音を立てたのだ。助からないかもしれないと思ったが、箱に入れてやると目をぱちくりしながら静かにしている。大丈夫だろうかと心配したが、やがて我に返ったように暴れだし、これなら大丈夫と外に放してやると、元気に飛んでいった。
スズメの恩返しが期待できるかと思ったが、買った株はその後大暴落。まあ、もともとありえねえくらいアブないヤツに手を出したのだから仕方がない。



みちのく怪談にオレの応募作が掲載された。
福島に生まれたオレには東北の血が色濃く流れている。
ささやかではあるけれども、
このような場に作品が出せて良かったと思っている。
『鬼の手形』宮ノ川顕





11.17
自宅の庭から南西方向。やがてケヤキの葉が落ちると枝の隙間に筑波山が小さく見えるようになる。



こんな写真を掲載すれば、どんな田舎に住んでいるのかと思われるだろう。
確かに田舎だけれども、こんな風景が360度続いている訳ではなく、
背後には住宅地が広がっている。
それに東京まで日帰りできるのだから田舎とはいえオレには充分だ。






11.16
北関東の田舎町。今朝は車のウインドウが凍っていた。顔を洗うのもお湯を使う。冬だな。



去った季節を懐かしむのが情であり、
来る季節を待つのが希望なら
この季節を楽しむのは強さなのかもしれない。





11.15
十一月ももう半ばか。早い。早すぎる。
オフ会などに参加したことはないけれども、ネットで知り合った女性ふたりに会ったことはある。
ひとりは『おとうとの木』を上梓した直後。彼女はまだ二十歳半ばだっただろうか。小説のことで怒らせてしまい、それきりネットでの音信も途絶えてしまった。あの頃はまだオレも肩に力が入っていた。今ならそんなこともないだろうけど、彼女の場合、あれで良かったのだと思っている。良くないと思った作品を、若くて美しい女性だからというような理由で褒めるようになったら、それはただのスケベオヤジに過ぎない。オレはスケベでオヤジだけど、ただのスケベオヤジではない。
もうひとりは文学フリマで立ち話。『うる星やつら』のラムちゃん似の美人さん。お茶に誘おうかと何度も思いつつ、そうしなしなかったのは、テーブルひとつの距離が妙に遠く感じられたからだ。不器用なだけといわれればそうかもしれないが。きっと彼女は疲れたことだろう。反省・・・だけなら猿でもできるか。



タンポポは好きな花のひとつだ。
特に冬がいい。






11.14
文字通りの貧乏暇なしだった筈なのに、いつの間にか貧乏暇だらけになってしまった。
『仕事が少ないなら、仕事が来れば業績が回復するのだからいい。オレはこんなに忙しく働いているのに、厳しさが増す一方なのだからどうしようもない』
忙しかった頃は、そんな風にうそぶいていたけど、いざ仕事が激減すると、冷や汗をかきまくっているのだから、結局オレは駄目なヤツなのだろう。
暇なら小説を書けばいいと思う。でも書けない、書く気にならない。書きたくない。オファーがないし、どうせ売れないだろうと思うとやる気も出ないのだ。理解者がいる。求められている。期待されている。他者にモチベーションを求めるのは感心できたことではない。でも、デビューして、周囲を見返してやるのだという動機はもう使えない。オレはこの三作で受賞がまぐれでないことを示したつもりだ。それで評価されないというなら、社会は、時代は、オレを求めていないということになる。だったら、オレが書く理由はどこにもない。








11.12
こんな画像を掲載すると、嫌味だと思われたり、怒っていると思われたりするかもしれないが、全然そんなつもりはなくて、ただ、こんなイレギュラーがあるんだなあと、面白く(失礼)思った次第です。オレは無害なイレギュラーが大好きだから。
なお、順番に追っていくと、p4〜p16、p225〜p240、p33〜p244(ラスト)
ということで、つまりp17〜p32までの15枚が、p225〜p240の15枚にダブって置き換わっているのだった。
内容としては、主人公の『わたし』がまだ幼い自分を回想する場面。家を出て行ってしまった父に心が傷ついている描写が続き、次のページに目をやると『片方の小指のない人生ってのは不便なものだろうかと。』と続いている。(いや続いてはいないのだが)
リアルタイムの主人公は、藤枝氏という、かつての大家であり、社長を待っているから、あるいは氏の職業は失敗すると小指がなくなるソレかと思ったが、それにしては話が飛躍し過ぎる。しかも、次の文章には『すぐに僕は答えた』と、ある。僕??? と、ようやくここで気が付いて、待てよ、本のページを切り貼りすることで、人生が変わってしまうホラーが書けるのではないかと、思いついたが、たぶん書かないだろう。だって、オファーがないから。



ネットでW.W.ジェイコブズ著『猿の手』を読む。
化身に収録されている『幸せという名のインコ』がこれに似ているという、
ネットの感想を何度か見かけたから気になっていたのだ。
読むとなるほど頷くところがある。
それにしても、1902年に発表されたというこの作品。
100年以上にわたって読み継がれるだけのことはある。
まさに名作。
そして、小説とは即ちストーリーなのだと、
改めて思った次第。






11.11
震災から八カ月。時は容赦なく過ぎ去り、やがて自分を含めた全てを過去に押し流すだろう。せめて行き先を見定めるまで生きたいと思う。








11.10
『斬首刀』の舞台となった加波山から、筑波山へ至る山並に建設された風車。回っていることの方が少ないような気がするし、たった二機では発電量も大したことはないのだろう。
それでも、やがてこんな風車が稜線に林立する日が来るのだろうか。パラグライダーの愛好家たちは困るというけれども、オレはそんな時代が来ることを楽しみにしている。








11.9
平将門の乱で焼かれたという説もある常陸国分尼寺(こくぶんにじ)。



写真では分かり難いけれども、とても広い。
そして何もない。
それがむしろ想像力をかきたてる。






11.8
『タイニー・タイニー・ハッピー』という小説がブレイクしているのだと角川書店の社長が呟いていたので、ググったら冒頭の立ち読みができた。



オレの作品とは違う。あまりにも違う。
内容、文章、会話、全てが違い過ぎる。
で、『うんちゃらハッピー』は、現在ブレイク中なのだ。






11.7
久し振りに横浜の実家に行く。ヨコハマ・ベイ・ブリッジ。珍しく霧が出ていた。ランドマークタワーや、パシフィコヨコハマもまったく見えなかった。



実家にいる間にタイヤがパンク。
というよりバルブからの空気漏れ。
まったくロクなことがねえ。


大阪の彼女はまだ混迷の中にいるようだ。
簡単ではないよな、気の毒に。






11.5
ボールペンを買った。自宅用と外出用。オレはありえねえくらい字が下手だ。ゲラが嫌いなのも一因はそこにある。著書にサインとか、契約書に住所と名前なんて言われると、それだけで前の晩から優鬱になる。おまけに小学生レベルの漢字しか書けないときたもんだ。つまり徹底的にワープロ作家なのである。
しかし、本当にそうなのだろうか。ダメだダメだと思い続けているうちに、それ以上にダメになってはいないか。
そこで、思い切ってボールペンを買った訳だ。いいパソコンを使う、でかいモニタを買う。そんなことで小説の腕が上がることだってある。いい筆記用具を使えば、少しはマシになることだってあるかもしれない。それに一応小説家なのだ。いい歳こいてるし、スーツの内ポケットに100円のボールペンというのもどうだろう。何百万の借用書に署名するのに100円のボールペンを使っているからいつまでもボンビーなのではないか。
と、いう訳でかなり散財。







11.4
昨日は文学フリーマーケットに行った。デビューして二年余、近頃ようやく他者の小説を読めるようになったし、知り合いも増えたので一度行ってみたいと思っていたのだ。何人かと会って話をすることができたし、電話でお話する機会にも恵まれた。忙しい中遊んでくれた方には、心より感謝いたします。



『サロン・ド・マロリーナ』『へんぐえ(夜道会)』『michi(日大芸術学部)』を手に入れる。
ざっと目を通したけれども、力作揃いで刺激を受けそうだ。
参加サークルが800を超えると記憶しているが、
その数が示す通り、来場者の数も多く、熱気が感じられた。
全般にラノベ関係が目立ったが、
思い返せば、ディスプレイが目立っていたことも一因かもしれない。
別に俺は有名人でも何でもないけれど、
会場に着いたら妙に緊張してしまった。
○○○○さんはソーゾー通り美人でした。
○○。○ちゃんの声は、ソーゾーより低くてちょっとびっくり。
男性は皆落ち着いた印象で、チャラいのは俺だけだったような気がする。
いずれにしても、楽しい一日だった。





11.2
観光ヤナの設置が10月いっぱいだというので、ノコノコ出掛けた。残念ながらアユはあまり落ちてこなかったが、代わりに鮭がたくさん。ほとんどの個体は身体ボロボロ。オレの身体もボロボロ。血圧が下がらない。今朝は143-101。やばいな。



落ちアユの塩焼きをたくさん買って帰った。
卵もいっぱい入っていた。
しかし、身の方はまるで干物のように痩せてボソボソ。
初夏の若鮎を思い出し、季節の移ろいと、
鮎の一生を思ったのだった。





11.1
茨城県立歴史博物館ロビーのガチャポンで『金剛力士像、吽形』GET! でも300円
は高かった。






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