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2014年8月







8.30
北関東の田舎町。
雨。
まだ腰が痛いけれども、今朝は二週間ぶり韻両手で顔を洗えた。
除草剤を撒かなくてはならないけど、やればまた腰を痛めそうだ。
雨なら撒けないからいいが、雨が降ると雑草も一段と伸びる。
この面倒な人生。
ナントカならねえもんかなあ。





8.28
雑草が伸びてきた。
豆屋ワンダーランドの敷地180坪。
売りに出している家の敷地、90坪が二筆。
合計360坪。
雑草生え放題。
あー、めんどくせえ。
土地は要らねえ。








8.27
水戸で地ビール祭りがあるという。
せっかく駅前の古屋に引っ越してきたのだから、こういうのに行ってみたい。



とはいえ、ひとりで行っても楽しくないだろ。
どっかの可愛いカノジョでもご一緒してくれねえもんだろううか。






8.25
調整など何もせず、モルタルの上に垂木を並べて板を打っただけなのに、ほぼ水平が保たれている。
さずが、左官屋さんだ。



オカメインコの姉妹におもちゃを買ってやった。
朝、ケージの上から下げてやる。
午前中は珍しく静かにしている。
気に入ったのかな?



でも、昼に見に行くとこの始末。
おもちゃが怖いのだ。



鳥は止まり木にいなさいよ。
だいいち、床は汚いよ。






8.24
ぎっくり腰発症から一週間経ってもまだ腰が痛い。
なのに、張りかけた床が気になるもので、朝から大工仕事。
あり合わせの材料でのやっつけ仕事だけど、これでデスク周りもだいぶ使いやすくなった。
土間コンが完全に水平ではないので、ややガタつきがある。
隙間にシリコンを詰めてもいいけど、せっかくのモルタルを汚すのももったない。クサビでも入れてみよう。



あとは明日の朝、腰が立つことを祈るばかりだ。






8.23
腰が痛くてカメラを持てない。
すっかり寂しいブログになっちまった。
でもまあ、腰が痛いと小説を書くぐらいしかできないし、ネットで知り合った可愛らしい女神さまのおかげもあって、とにもかくにも一作書き終えたのだから、それはそれで良かったのかもしれない。
、近頃知り合うのはどうも若い人ばかりだ。アラサーといっても、それ以下だったり、そのものズバリだったり、二十代前半だったりする。詳しいことは知らないが、上の女神さまもそのくらいのような気がする。
オレはというと、実年齢はともかく、失われた十年に加えて、精神年齢は更にマイナス十年だから、正直、オレサイドからすれば、彼等、彼女等と、それほど歳の差は感じないのだけれども、彼女等から見れば、オレは完全にして完璧なる恋愛対象外年齢のオッサンであり、彼等からみれば、飲みに誘われても御免蒙りたい手合いに違いない。
そのくらい、オレだってわきまえてはいるが、やはりちと寂しい。






8.20
持ち株、二日続けての寄らずのストップ高。
三日目に欲張らず高値で売り抜けることに成功した。
オレにしては珍しい。
一ヵ月で資金倍増。
とはいえ、元金が少ないから子供の小遣い銭程度にしかならないのが哀しい。





久し振りに小説を書き終えた。
93枚。
ラスト付近で投げ出しそうになっていた。
このままでは駄目になると、
ネットで知り合った可愛い女の子に読み手になって貰った。
そうすることで、何とか書き上げられたという訳だ。
前回の『ギャラリー・ノベルズ』より、ずっといい出来になったと思う。
彼女はきっと迷惑だったことだろう。
なかなか、オレの読み手を引き受けてくれる人はいない。
だから、とても感謝している。
ありがとね。
今度お礼に食事でも。
と、いえばセクハラになるのが残念だ。






8.18
久し振りにぎっくりを発症。
昨日は雨で屋根に登れなかったもので、それなら仕事場の土間を板張りにしようと作業していた。腰に疲労が溜まっているのは分かっていた。だから、そろりそろりとやっていたのに、昼前に痛みが激しくなってしまった。
こりゃヤバイと、昨日の午後から今朝までずっと寝ていたのだが、痛みは引かないどころか、ますます痛い。こんなに痛いのは初めてやったとき以来だ。
痛くて靴下も履けない。今日からバッチリ仕事しようと思っていたのに・・・。
ありえねえ。



瓦と、瓦ボンドは届いたけど、
昨日はあいにくの小雨。



そこで、有り合わせの材料で、急遽床を張り始めたのだ。
やはり、コンクリは疲れる。
まずは、根太を回して、半分だけ板を張って、
それから車のジャッキでデスクを持ち上げて、
ずるずると下に入れたところで、激痛発生。



これじゃあ、デスクチェアーも置けねえ。
それどころか、工具を片付けるのもままならない。
仕方がないから、今は丸椅子を置いている。

さっき十円玉を落としてしまった。
とてもじゃないけど痛くて拾えない。

参ったな。
頭を抱えていたらふと思い出した。
痛風の痛み止めがあるじゃねえか。
さっそく服用。
よしよし、これで午後はナントカなるだろう。
いや、なって貰わないとこまる。
たのむぜ。






8.16
『門出』という小説を読んだ。徳川慶喜がちらっと登場する時代モノである。

オレのブログはそれはもう、大変に過疎っている。それが突然アクセス数が増えた。何だろうと思って調べると、こちらにリンクが貼ってあったのだ。

読んだといっても、ひとまず通読したというレベルだ。正直、途中数行飛ばしになった部分も少なくない。そうなった理由はいくつかある。第一に、オレは読者としては優良ではない。第二に一日の仕事を終えた後で疲れていた。
しかし、最良の物語なら、それでもオレを惹きつけて止まないだろう。残念ながらそれは事実だ。
これが最良の物語でないというのは、おそらく作者も気が付いているはずだ。だから、こういうサイトに作品を掲載し、読者の感想を貰おうとしているのだろう。拝読して、思う所がいくつかあった。飛ばし読みになってしまった理由の多くに関係していることだ。たぶんそれは、書き手の求める答えに続いているだろう。だから失礼と思いつつ、感想を述べてみる。
たぶん、酷評になる。

オレが人様の作品について、ああだこうだと、偉そうなことを述べる場合、今までは、主に修辞を中心に語ってきた。
この作品の感想欄にも、まずは『まともな文章で綴ること』に集中するべきだという指摘があったが、そういうことである。想いを伝えるに一番大切なのは、想いの強さである。しかし、いくら強い想いがあっても、伝える技がなければ十全には伝わらない。逆に、想いはほのかであっても、見事な技術があれば、それ以上の想いとなって、相手の心を揺さぶるという訳だ。

でも、オレは近頃あまり技術論にこだわらなくなった。稚拙な文章でも良いとは言わない。しかし、小説において、最も大事なのは、伝えたいモノを愚直に伝えようとする行為そのものではないのかと思うようになったのだ。
オレはひとまずの筆力を手に入れた。あえて自慢するが、『これほど書ける人は、現役作家の中でも稀ですよ』業界関係者の多くは、オレの筆を、見えないモノまざまざと見せる筆力と評価する。
業界にも、ヘタクソな文章で綴られた作品はたくさんある。しかし、そのヘタクソな文章で記された小説が、それと同様につまらないかというと、必ずしもそうではない。そこはやはり認めるべきだと思うのだ。

想いは『選択と集中』によって洗練され、想いの強さは、求心力を増大させる。そして、それは読者をも捕まえる。
この作品の、最も大きな欠点はそこにあるとオレは思う。
つまり散漫なのだ。

構成を見てみよう。
1、大店の娘が、若い板前に恋をする。
2、板前が、修業の旅に出る。
3、帰ってきた板前と結ばれる。

つまり『恋→失恋→恋愛成就』という訳だ。
こう書いてしまえば、実も蓋もないと思われるかもしれない。しかし、これこそ最も肝心な物語の骨格である。まずは、ここを押さえておいた方がいい。

書き手はその間に、様々な事柄を書き入れて、物語を造り上げている。
しかし、残念ながら、そのことごとくが、機能不全に陥っている。
理由は簡単で、選択が不十分な上に、集中もまた不足しているからだ。

骨と骨の間に挟むのは、骨接ぎの役割を成さなくてはならない。しかし、この物語において、それらは、単なる夾雑物となってしまっている。
砂の城というのがあるとすれば、これは砂の小説といえるかもしれない。作者は書いても書いても、『書いている』という満足感が得られなかったに違いない。そこで、何とか満足感を得ようと、主人公に海辺を歩かせたり、投網を見せたり、慶喜に会わせたりするのだが、それらが皆、乾いた砂の一粒一粒なものだから、いくら掻き集めてそれで骨格を繋ごうとしても、砂の城を作るがごとくに、徒労感を味わうばかりなのだ。

『説明過多ではないだろうか』
書き手は悩んでいる。
その通り、説明過多であることは間違いない。
しかし、問題なのは、そのことではなく、その説明が、骨格を繋ぐ軟骨や筋になっていないことにある。

小説というのは、全ての出来事や会話、語句が、ある一点を示していなければならない。
一点とは、物語の核心である。
つまり骨の髄だ。骨格とは、物語を支える構造であり、また髄(核心)を内包するものである。

書き手は、もっともっと、主人公の気持ちの奥深くへ入っていかなければならない。好きな男と別れ、様々な出来事を経て、再び再会する主人公。数年にも及ぶ苦悩の果てにようやく訪れた一日に、深く深く想いを馳せなければならない。
そして、『それを中心に』、書くべきことの選択と集中を行わなければならない。
それができれば、自然と夾雑物は排除され、砂の一粒一粒が、骨を繋ぐ筋や軟骨となるだろう。

もう一度書く。
この作品が失敗している原因の最も大きなところは、選択と集中の欠如にある。

ただ、全然駄目かといえば、そうでもない。
いや、作品自体は『このままでは』はっきり言って全然駄目だ。
しかし、次の作品もそうかと言えば必ずしもそうではない。
つまり、この作品は駄目でも、作者が駄目という訳ではないということだ。

オレも、たくさん駄作を書いていきた。
こんなモノしか書けないようでは、文学賞など獲れる訳がない。
どん底の気分に陥ったことも一度や二度ではない。
オレだけではない。
こんなヘタクソな小説しか書けないようでは、この人は到底駄目だろう。
そう思っていた書き手が、次に見違えるように素晴らしい作品を書いてきたことも、何度もある。
過去に書かれた作品の良し悪しで、作者の評価を決してはならないのだ。


技術的なことにも言及しようと思ったのだが止めておこう。
随分長くなってしまったし、一度にたくさん言われても、混乱するばかりだろう。
それに、たったひとつの、そして小さなヒントを得ることで、目を見張るほどの変貌を遂げるのが、作家であり、作品だ。
そして、そのヒントは、むしろオレの意図しないところにある場合が多い。優れた書き手とは、それを見つける能力を有する者なのかもしれない。


酷評、失礼。
どうか、ご健筆を。

オレのサイトをご紹介頂き、ありがとうございました。





8.15
『二度と戦争を起こさないよう、戦争の悲惨さを語り伝える』
それはそれで価値のあることに違いない。しかし、誤解を恐れずにいえば、恒久平和を追求するための手段としては、あまり効果的だとは思えない。

人の記憶は減衰するものだ。記念館をいくいら建てようと、語り部をどれほど並べようと、本を何万部出版しようと、戦争の記憶はやがて遠ざかる。戊辰戦争の記憶が遠のくように、太平洋戦争の記憶もまた、やがて遠ざかって行く。
戦争を美化してはならない。それが常識だというが、それでは関ヶ原の合戦は美化してもいいのだろうか。
笑い事ではない。太平洋戦争だって、400年後には関ヶ原と同じになる。いや、時の流れは、科学や社会の進歩に合わせて速度を増すから、あと100年もすれば、似たような扱いになっているだろう。
つまり、戦争の悲惨さを伝えることによって、戦争を起こさないようにするためには、常に新しい戦争が起こる必要があるということだ。詭弁でないことは、歴史が証明している。誰だって、戦後は平和を強く願うものだ。だから、大きな戦争が起きた後は、しばらく平和が続くのであり、しかし、残念ならが、記憶が薄れた頃にまた始めるという訳だ。
記憶を風化させてならない、という考え方はあまりに情緒的過ぎる。何度もいうが、人の記憶は衰退するようにできている。しかも、戦争経験者はやがて死ぬ。だから代々語り継がなければならない。それはあまりに脆い。その方法は人の生理に合わない。生理に合わないことは続かない。

この方法の問題点は記憶だけではない。悲惨な目に遭ったのは、あくまで戦争経験者であって、戦後生まれのオレではないということだ。
人の気持ちを考えるとか、他人の立場になって想像するとか、ご立派なことを教師はいうけれども、そんなことができるなら、そもそも戦争など起きないはずだ。
人の悲惨な経験は、どれほど想像力を高めてみたところで、所詮は人の経験でしかない。まして、戦争経験者が亡くなった後に、戦争未経験者がその悲惨さを語ってみたところで、そこにどれほどの説得力があるだろう。
それに、人にはさまざまな立場や価値観、そして利害関係がある。どの人の立場に立って考え、どのひとの気持を想像するかで、結果はまるで変わってしまう。自国が善で、他国が悪なら簡単だが、事はそんなに簡単ではない。真逆のこともあるだろうし、それどころか、善悪入り乱れているのが現実なのだ。

『二度と戦争を起こさないよう、戦争の悲惨さを語り伝える』
あえていうが、この方法で戦争の根絶を図るのは無理だ。戦争が悲惨であることは、経験などしなくても分かっている。分かっているのに戦争は繰り返されてきた。
何万人、何十万人、何百万人が悲惨な死を遂げようとも、その悲惨な死は、個人のものである。決して他人が共有することはない。その証拠に、戦記物を読んで涙したところで、数時間後には、テレビでも見て笑っているではないか。

自分は絶対に人殺しなどしない。
そんなのはただの驕りか、運が良かっただけだ。
仮に家族全員を惨殺された者がいたとして、犯人の死を望まない者は皆無と言って良い程に稀だろう。まして憎しみを抱かない者はないはずだ。あるいは、誰かによって家族が殺されかけているならどうだろうか。自国の、あるいは他国の為政者によって、死に等しいほどの状況に置かれていたら。
戦争はそうして起こる。
もちろん、極論である。しかし、根も葉もない空論ではない。
いくら悲惨な結果が待ち受けていようとも、現在はもっと悲惨であり、未来は更に悲惨だと思ったとき、人は悲惨を承知で殺人を選ぶときがある。

『戦争の悲惨さを語り伝える』という行為は、戦争を想像力で抑止しようとする運動だ。しかし、その戦争は想像力から発生する。
オレはここに危うさを感じるのだ。

オレに非戦の良い考えがある訳ではない。
ただ、情緒に訴えかけるやり方には限界があるし、あるときを境に、それはむしろ逆効果となるのではないか。そんな思いがある。
だから、もっと合理的というか、人間の生理に合致した方法で、戦争を避ける知恵を絞るべきではないかと思うのだ。



『戦争をしてはならない』
なぜなら、
『戦争は、あまりに悲惨だからだ』

政治家であり戦争経験者の野中広務の言葉だ。

オレはでも、その言葉をとても重く受け止めている。






8.14
豆屋ワンダーーランド。
雨樋に泥が溜まっているもので、取り除いていたら軒先近くの瓦が割れているのを発見。
なんで、こんなに泥が溜まっているのか不思議だったがこれで納得した。
瓦を葺くのに、野地板の上に乗せた泥が流れ出していたのだ。
割れたのは震災当時だろう。二階の棟瓦でも落ちたに違いない。



屋根に登って修理しなければ・・・

修理方法は、
1、瓦を買ってきて交換する。
2、シリコンで割れた部分を補修。
3、銅版を買ってきて上に乗せる。

どれも簡単ではないし、
確実でもないし、
だいたい、同じ瓦なんて売ってるのかよ。
銅版を挟むなら、風で飛ばされないようにしなきゃならないし、
シリコンは確実にではないし、十年も持たないだろうし・・・

ああ、めんどくせえ。








8.13
持ち株が二日続けて寄らずのストップ高。
PTSを見る限り今日は寄るだろう。
さて、どうするか。
いったん利確か、ホールドか。
なにしろ一枚の全力買いだから、もし利確後に上げたら買い戻せない。
ならばホールドか。



元金が少ないと、
いくら上がってもタカが知れている。
手元に残るのは、いつも気苦労ばかりだ。

それに、株式トレードは、
小説にとても悪い影響がある。

買うなら書くな。
書くなら買うな。
だな。






8.11
北関東の田舎町。
今夜は随分涼しくなった。



写真は先週の日曜日。
上はヤナに行く途中の景色。
下は水戸の公園。



勝負作を書いている。
現在80枚で、残り10枚。
結末が決まらない。
この一作が、オレの結末をも左右するだろう。
渾身の一作にしたい。
それができれば、まだオレにも可能性は残される。






8.10
北関東は時折り強い雨。



文章作法1を更新した。
「舞台について」
主人公の住所と住居に関する話。







8.8
もう金曜日、そして、もう立秋。
早え。早すぎる。



水戸の大塚池公園という所に行った。
先週の日曜日のことだ。
池を中心に遊歩道が整備されている。
クルマでは何度も通ったことがあるが、
降りて歩いてみると、思ったよりずっと広いのに驚いた。



そして、もっと驚いたのが、
湖畔に金持ちハウスがたくさんあること。
たぶん、水戸藩以来の金持ちなのだろう。
成金とは違うそんなイメージだった。






8.5
『絶対受賞する』女子中学生から40歳のおじさん、合計10人にモニターとなって貰い、その意見を参考に応募作を書いたと彼は言った。
全員に面白いと言われた作品は一次落選。
それはそうだろう。
彼のしたことは、表現が最も忌み嫌う平均化だ。
最も高い評価は、いつだって最も低い評価と一体なのだ。



暑い。
昨日の仕事場は35.8℃
最高気温更新だ。







8.4
那珂川に行った。
一番好きな川は只見川。そして二番目が那珂川だ。
一番嫌いなのはもちろん、宮ノ川。




オレは日本ならたいていの所を自転車で走ったが、
夏でもこれほど水量の多い川は滅多にない。
水はもちろん、河原もきれいだ。
清流とはまさしくその通りで、
瀬の青さも、淵の緑も申し分ない。



ヤナで、アユの塩焼き十本。
あいにくクルマだから家に帰ってひとりで食った。
以前、落ち鮎の頃に買ってひどく不味かったので、
今度も期待していなかったのだが、
養殖とはいえ、やはり今頃の鮎は
太っていて、実に美味かった。
一緒に行ってくれる美人を毎年募集しているのだが、
ちっとも応募がない。



川面から山道を登ること一キロほど。
標高にして200メートルくらい上がったところに
小学校がある。
校庭から眼下に川を見ることはできないようだが、
もし見えたとすれば、こんな景色だろう。



向うの山の中腹に小さく建物が見えるが、
その間が深い谷になっていて、
那珂川が滔々と流れている。



これは、地元の家族ではないだろう。
でも、こんな場所に生まれ、
こんな小学校に通うのは、
やはり幸せなことだとオレは思う。



本さえ売れればなあ。
行く度に、そう思わずにいられない。








8.3
昨日の仕事場。
この夏一番の暑さ。



豆屋ワンダーランドは古い。
一階には網戸のない窓もある。
何とかしたいが、なかなかに面倒くさい。



ラジオで聞いたのだが、
長州藩の母体はかつての毛利家である。
毛利は関ヶ原で西軍の総大将だった。
そのために、徳川によって120万石の領地を
僅か30万石に減らされたそうだ。
怒った毛利一族は、毎年正月の挨拶で
『殿、そろそろでしょうか?』
『いや、時期尚早』
という、つまり倒幕のお伺いを立てる儀式を、
江戸300年にわたって続けたそうだ。

で、やがて明治維新。
徳川に対する長州の恨みつらみは凄まじかったらしい。
江戸情緒が失われたのは、
そんなことにも原因があるのだろう。
文明開化という名の元に、
徳川色を一掃したいという意識もどこかにあったに違いない。
もし、徳川幕府のまま、開国に踏み切っていれば、
ここまで、この国の文化が失われることはなかったような気がする。

当該県の方には申し訳ないが、
薩長土肥は、やはり田舎だ。
60年代、アメリカに憧れた安っぽい連中のように、
自分達の文化を軽視し、必要以上に欧米列強に憧れた一面は
やはりあるのだとオレは思う。

たらればを言っても仕方がないが、
江戸の知識人や、大阪商人が国の中枢を担っていれば、
これほどまでに、根無し草の国にならずに済んだのではないだろうか。

つまり、関が原は、当時における時代の転換期というだけでなく、
明治維新にも大きく影響したということになる。

まあ、だからどうしたという訳ではない。

江戸城天守閣を木造で再建しようという動きがあるそうだ。
オレは良いことだと思う。



一ツ橋大学が、全学生に短期留学を義務付けるそうだ。
グローバル社会に対応するためだという。
他の大学にも追随する動きがあるらしい。
馬鹿じゃねえかと思うよ。
これが、この国の最高学府の、
最高クラスの大学のすることか。

いつまで、どこまで欧米主義なんだよ。
だいたい、全員ナントカなんていいうのは、
小学校のすることだ。







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